昔、伊豆の大島から流れて来た方でよ、内間掟という方がいたよ。この方はまあ年は二二、三だったでしょう。そこで、投げ網で魚を取って生活していたんだよ。この網は何で作ったかといえば、ユウナの皮からは非常ににが糸取りやすいんです。皮を剥いでよ、一つに縛ってどぶに入れたらね、三日か四日かで糸になってしまうんです。アダンの髭は糸を取るのにちょっと長うかかるがね。ユウナの筋とアダンの髭から糸が取れるんですよね。その糸で作った網を持って毎日魚を取ったら、魚が豊富に取れるでしょう。あのころは、あまり漁師もおらなかったけどね、内間掟は魚はそこらへんに来る人へ、持たせてあげて、そこで生活していたら、与那原の上の上与那原に按司というのがいたんだよ。それで取った魚はたくさんあるんだから、終いには与那原の上のほうに魚を担いで、「こっちは、どんなところかな。」と歩いて行ったってよ。そしたら、そこに按司の家があって生活しているのは、ちゃんと見たら分かるものですよ。「素晴らしい人がおるんだねえ。」とそこの按司の家に行ったわけさ。そこに行って、「魚いりませんか。」と内間掟が言ったら、「はい。」と言って、向こうは受けたわけです。「私は、海でいくらでも取れるからね。いるだけ魚を取ってください。余った分は持って帰りますから。」と言って、金も取らない。ただでやるわけですよね。そして、それからもやっぱり内間掟は、魚を持って行ってくれるわけですよ。それが四、五回続いたわけでしょう。そしたら、そこの按司の家には、奥さんと娘がいるそうです。「不思議だね。」と思って、その娘がそこに来て、内間掟を見て、そして、その娘は、そのときは、声はかけんはずだが、やっぱし、内間掟にちょっと惚れたわけでしょう。そんな関係であって、またも魚持って行っているうちに、後は、内間掟とその按司の娘は縁が結ばれたんだが、隠し事だから、それは親が分からないわけさね。そして、とうとうこの女は妊娠してしもうたんですよ。妊娠してしもうて、まあ、五ヶ月ぐらいになったら、たいがい色が現れるからね、「父親は、按司でもあるしね、有名な人だから、もうこれが父親に分かったら打ち首にされる。もうこれどうするかねえ。」と言って、女は迷うているのだけれど、とうとう隠せなくなったから、自分一人家から飛び出して、佐敷の上に行って、あっちこっちで家を貸してくれる人を探したが、昔は、本当の家はみんな狭いもんだから、あまり貸す者はおらん。それで、人の山羊小屋の側をちょっと仕切って借りて、自分一人で住んだそうだ。沖縄では昔から、「葬式事は家を貸すが、お産には家は貸さない。」だから、そのうちにお産の前になったら、その山羊小屋の主人は、「葬式事は、悪い物を私らの家からみんな持って行ってくれるからどうもないが、こんなお産は、この子が徳をみんな持って行って私達の家が大変なことになるから貸さないよ。」というふうに言って、もう貸さないわけさね。それで、女は、もう止むを得ずに、そっちから出て行って、岩の下に行って、自分一人でお産したそうだが、そしたらもう、自分の母親のことを思い出したんでしょう。「お産をしても、子どもに食べるものもないから、ぜひ親に会うて事情を打ち明けて助けてもらおう。」と自分の家に行ったわけでしょう。行ったときには、もうその子どもはそのまま岩の下に置いてあるでしょう。その女が母親に会いに行っておるときに、その子どもはどうなっておるかと言えばね、昼は犬が乳を飲まして、夜は鳩が抱いて寝ておったということです。そして、女は、帰って来て、それを見たから、自分もびっくりしていたそうだね。それから、その女は、何も財産ないもんだから、その子どもを抱いて、あっちこっちで食料でもなんでももろうて、またあっちこっちで、子ども背負うて日雇いをして子ども養うておるんだからね。そして、佐敷は稲が豊富なところであるから、田んぼを加勢しに行ったりなんかしても、昔は、金というのはないでしょう。だから、「これは、自分で米を干して食べなさいね。」と物々交換のようなもんだから、米を藁ごと持たされたわけでしょう。「ありがとうございます。」と言って、それを干して、それでご飯のお粥とかを作って食べているうちに、女の親が子供を八つ、九つなるまでは育てるんですが、もうそのうちにこの女は疲れて、病気になって死んでしまうんですね。そのときにこの母親からの譲り渡しがその子にあるわけです。何を渡したかというと、藁一束の半分だからこれぐらいさね。その藁を親が八つ、九つなる子どもに、「これ譲りですよ。」と言って、与えたそうだよ。この子どもは、それまでは、その辺の近所の子ともとら遊んで、ちょっと山遊びなんかして、体は伸びるし、武も優れるし、とてももう元気な者であったというんですね。それが母親が亡くなったものだから、「こっちにおっても仕事も見つからんし、なんとか仕事を捜してみよう。」と母親にもらった藁を担いでよ、南に南に行くときね、「これ親の譲りだから。」とその藁をかついで歩いていたら、おばさんが町に味噌を売りに行くと言って、シマウーの葉を取ってきて、味噌をそれに入れて準備しておいてあるんだよね。そしたら、その包みをくくる藁がなかったのさ。今から包みをくくる草刈りってきたら、その間に時間が過ぎるからね、その子どもが藁をこうして担いで歩くのを見て、そのおばさんが呼んだわけさ。「その藁をどうするのか。私にくれないかね。」と言うたんですよ。「なんで、これは親から譲られたものだから、人にやることはできません。」と言ったら、「それじゃあ、味噌と換えてくれませんか。」と言ったんだよ。その子供は、「よろしいです。」と藁を半分だけ味噌と換えて、そのおばさんもカーサ包みをその藁でくびって町にでる。子供は、藁と味噌を換えて、またそっちから、あっちこっち歩くときに、ナービナクーがおる。このフーチャーフーチャーとふいごを吹いてやる鍛冶屋のフーチャー。戦前もこっちあったんですよ。この道の十字路でフーチを起こして、鍋の穴の開いたのをふさいでくれよったですがね。それが道でナービナクーするんですがね、あれは味噌がなければ出来ないというんですよ。味噌がなければ出来ないというんですよ。そのナービナクーが、フーチャーフチャーして、金を焼いているのをその青年が立って見ておったというんだ。そして、ナービナクーは、「金はもう焼けておるが、味噌はないし、どうしたらいいかねえ。」と言って、迷っておるうちに、その子供がカーサ包み持っておるを見て、「おい、お前これ何を持っているのか。」と言ったら、「味噌ですよ。」と言うから、「それじゃあ、私にくれないか。」「これは親からの譲りで、自分が食うために持っているんだよ。売ることもあげることも出来ません。」そしたら、このナービナクーは、これぐらいの小さいだが、鋼鉄の塊を持っていたんだよ。それで、「これとだったら換えてくれるか。」って言って、子供の藁とその鋼鉄の塊を換えているんだよ。それで、その子供は、そっちから出て、また大きな鍛冶屋行ったわけさね。「私はここに来るにはわけがあるです。これで太刀を打ってくれませんか。」と言ったら、「それじゃあ、お前は私のところで、メーウチの仕事をしないか。ここで働くなら打ってあげよう。」と言って、その子供を雇うた。メーウチとは前打ちですね。親父は鍛冶屋で、このをフーチー吹かしたり、ハンマー打たしたりなんかしておる。二、三年たってもその青年が希望しておる太刀子を打ってくれんそうですよ。もう後は、親父の毎日する仕事が見て分かって、親父のいない場合に自分でやろうと思って、自分でその鋼鉄の塊を何回も何回も金を伸ばしておいて、もう四、五年もかかったそうだが、とうとう優れた太刀が出来ておるというんだね。太刀が出来たもんだから、それを立派に日本刀みたいように作って、それから、馬天には唐船がよく入るというから、「唐を船見に行こう。」と二、三人の同じような子どもたちをくり舟に乗せて連れて行ったら、本当に馬天港に唐船が入っておるそうだ。唐船というのは、今の支那の船さ。それが品物をずっと持って来るんだよね。そうして、船に見に行くときに、フカがおるそうですね。こっちはくり船に乗って行くもんだから、フカがおるって。この子どもら喰おうというて、フカがこう暴れるのをね。唐船からはよう分かるそうです。「危ないよう。」と言って、唐船から声かけるそうだが、その声がこっちのクリ舟まで届かない。そしたら、その青年はこの自分の作った日本刀を抜いて、こう日本刀を前に立ててたらよ、そしたら、そのフカは、このクリ舟の前を通るそうだが、どうもない。これは朝の八時か九時ごろだから、ちょうど太陽の上がる光がこの剣に差すわけですよ。そしたら、唐船の支那の船員たちは、その日本刀の反射がもう目に反射するんだから、目も開かんぐらい光ったから、この剣の鋭さが分かってですよ、青年がクリ舟で唐船のそばに行ったら、「この剣をうちの何かと換えてくれ。」と言って、船長の部屋の枕元にあった金の屏風と持ってきて頼んだそうだ。「我らには向かんからいらん。」「いや、いいからこれを持って行きなさい。」と持たされて、また、「それで気がすまんなら、こっちにこんなものがあるからこれ持って行きなさい。」と薄い鉄板がいくらでもあったから、それを見て、「それとなら換えます。」と、その鉄板を支那のその船員たちを雇うて浜に下ろさせて、自分の作った日本刀と換えたんだよ。そうして、自分が使われておる鍛冶屋に鉄板を持って行って、人夫を雇うて鍬を作るわけです。沖縄の金鍬は、これが始まりだというよ。これは、自分はもうこれだけの鉄板の資本を持って来ておるんだから、そこの親父と半分分けの契約をして作って、半分は親父にやったら、親父は作り次第自分のもの売ってしまったが、この青年は一つも売らない。そのまま作った鉄の鍬を置いてある。それから、あっちこっち沖縄全島まわって、「こんなのがあるが、どうです使うてみませんか。」と使いたい人にはただでやるわけですよね。その信用とって、この青年は大きな人になってもう嫁さんをもろうていたそうだよ。その嫁さんは財産があると思って結婚したんだが、その鍬がただでみんなにくれるだから、少しも暮らしは楽にならない。とうとう怒って出て行ったそうなんだな。一般の農民は、みんなただで鉄の鍬がもらっているから、そのうちみんなは、「こんな立派な人がおる。まあ素晴らしい人だね。」と言って評判が出ておるよ。それを王様に告げるわけでしょう。そしたら、「その青年を王様にする。」って、前の王様から呼ばれるわけですね。後は王様になるということで連れて行かれるんだが、家を出て行った奥さんもそのときに、「私も一緒に行く。」と言うのだが、この青年は、奥さんにね、「行くことできない。」と言って、止めておるわけです。「行きたいと言うならばね、この盥に水を入れて、そこにこぼしなさい。」と言って、こぼさしたそうだ。水はすぐに地面にしみ込むからね、またその奥さんに、「その水をまた盥に入れてみなさい。」と言ったら、奥さんが入れようとしても、地面にこぼした水は入れられないでしょう。だから、奥さんには、「一度こぼした水はもとに返らないよ。」と言って、自分は王様になりに行ったという話です。
| レコード番号 | 47O361563 |
|---|---|
| CD番号 | 47O36C059 |
| 決定題名 | わらしべ長者(共通語) |
| 話者がつけた題名 | タニゲーの始まり |
| 話者名 | 比嘉吉繁 |
| 話者名かな | ひがよしはる |
| 生年月日 | 19051014 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県北中城村字大城 |
| 記録日 | 19810925 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 北中城村字荻道調査班T22A02 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 本格昔話 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 北中城の民話 P441 |
| キーワード | 内間掟,与那原,按司,与那原,佐敷,稲,藁一束,味噌,シマウー,ふいご,鍛冶屋,鍋,鋼鉄,太刀子,馬天港,唐船,支那,金の屏風,気金鍬 |
| 梗概(こうがい) | 昔、伊豆の大島から流れて来た方でよ、内間掟という方がいたよ。この方はまあ年は二二、三だったでしょう。そこで、投げ網で魚を取って生活していたんだよ。この網は何で作ったかといえば、ユウナの皮からは非常ににが糸取りやすいんです。皮を剥いでよ、一つに縛ってどぶに入れたらね、三日か四日かで糸になってしまうんです。アダンの髭は糸を取るのにちょっと長うかかるがね。ユウナの筋とアダンの髭から糸が取れるんですよね。その糸で作った網を持って毎日魚を取ったら、魚が豊富に取れるでしょう。あのころは、あまり漁師もおらなかったけどね、内間掟は魚はそこらへんに来る人へ、持たせてあげて、そこで生活していたら、与那原の上の上与那原に按司というのがいたんだよ。それで取った魚はたくさんあるんだから、終いには与那原の上のほうに魚を担いで、「こっちは、どんなところかな。」と歩いて行ったってよ。そしたら、そこに按司の家があって生活しているのは、ちゃんと見たら分かるものですよ。「素晴らしい人がおるんだねえ。」とそこの按司の家に行ったわけさ。そこに行って、「魚いりませんか。」と内間掟が言ったら、「はい。」と言って、向こうは受けたわけです。「私は、海でいくらでも取れるからね。いるだけ魚を取ってください。余った分は持って帰りますから。」と言って、金も取らない。ただでやるわけですよね。そして、それからもやっぱり内間掟は、魚を持って行ってくれるわけですよ。それが四、五回続いたわけでしょう。そしたら、そこの按司の家には、奥さんと娘がいるそうです。「不思議だね。」と思って、その娘がそこに来て、内間掟を見て、そして、その娘は、そのときは、声はかけんはずだが、やっぱし、内間掟にちょっと惚れたわけでしょう。そんな関係であって、またも魚持って行っているうちに、後は、内間掟とその按司の娘は縁が結ばれたんだが、隠し事だから、それは親が分からないわけさね。そして、とうとうこの女は妊娠してしもうたんですよ。妊娠してしもうて、まあ、五ヶ月ぐらいになったら、たいがい色が現れるからね、「父親は、按司でもあるしね、有名な人だから、もうこれが父親に分かったら打ち首にされる。もうこれどうするかねえ。」と言って、女は迷うているのだけれど、とうとう隠せなくなったから、自分一人家から飛び出して、佐敷の上に行って、あっちこっちで家を貸してくれる人を探したが、昔は、本当の家はみんな狭いもんだから、あまり貸す者はおらん。それで、人の山羊小屋の側をちょっと仕切って借りて、自分一人で住んだそうだ。沖縄では昔から、「葬式事は家を貸すが、お産には家は貸さない。」だから、そのうちにお産の前になったら、その山羊小屋の主人は、「葬式事は、悪い物を私らの家からみんな持って行ってくれるからどうもないが、こんなお産は、この子が徳をみんな持って行って私達の家が大変なことになるから貸さないよ。」というふうに言って、もう貸さないわけさね。それで、女は、もう止むを得ずに、そっちから出て行って、岩の下に行って、自分一人でお産したそうだが、そしたらもう、自分の母親のことを思い出したんでしょう。「お産をしても、子どもに食べるものもないから、ぜひ親に会うて事情を打ち明けて助けてもらおう。」と自分の家に行ったわけでしょう。行ったときには、もうその子どもはそのまま岩の下に置いてあるでしょう。その女が母親に会いに行っておるときに、その子どもはどうなっておるかと言えばね、昼は犬が乳を飲まして、夜は鳩が抱いて寝ておったということです。そして、女は、帰って来て、それを見たから、自分もびっくりしていたそうだね。それから、その女は、何も財産ないもんだから、その子どもを抱いて、あっちこっちで食料でもなんでももろうて、またあっちこっちで、子ども背負うて日雇いをして子ども養うておるんだからね。そして、佐敷は稲が豊富なところであるから、田んぼを加勢しに行ったりなんかしても、昔は、金というのはないでしょう。だから、「これは、自分で米を干して食べなさいね。」と物々交換のようなもんだから、米を藁ごと持たされたわけでしょう。「ありがとうございます。」と言って、それを干して、それでご飯のお粥とかを作って食べているうちに、女の親が子供を八つ、九つなるまでは育てるんですが、もうそのうちにこの女は疲れて、病気になって死んでしまうんですね。そのときにこの母親からの譲り渡しがその子にあるわけです。何を渡したかというと、藁一束の半分だからこれぐらいさね。その藁を親が八つ、九つなる子どもに、「これ譲りですよ。」と言って、与えたそうだよ。この子どもは、それまでは、その辺の近所の子ともとら遊んで、ちょっと山遊びなんかして、体は伸びるし、武も優れるし、とてももう元気な者であったというんですね。それが母親が亡くなったものだから、「こっちにおっても仕事も見つからんし、なんとか仕事を捜してみよう。」と母親にもらった藁を担いでよ、南に南に行くときね、「これ親の譲りだから。」とその藁をかついで歩いていたら、おばさんが町に味噌を売りに行くと言って、シマウーの葉を取ってきて、味噌をそれに入れて準備しておいてあるんだよね。そしたら、その包みをくくる藁がなかったのさ。今から包みをくくる草刈りってきたら、その間に時間が過ぎるからね、その子どもが藁をこうして担いで歩くのを見て、そのおばさんが呼んだわけさ。「その藁をどうするのか。私にくれないかね。」と言うたんですよ。「なんで、これは親から譲られたものだから、人にやることはできません。」と言ったら、「それじゃあ、味噌と換えてくれませんか。」と言ったんだよ。その子供は、「よろしいです。」と藁を半分だけ味噌と換えて、そのおばさんもカーサ包みをその藁でくびって町にでる。子供は、藁と味噌を換えて、またそっちから、あっちこっち歩くときに、ナービナクーがおる。このフーチャーフーチャーとふいごを吹いてやる鍛冶屋のフーチャー。戦前もこっちあったんですよ。この道の十字路でフーチを起こして、鍋の穴の開いたのをふさいでくれよったですがね。それが道でナービナクーするんですがね、あれは味噌がなければ出来ないというんですよ。味噌がなければ出来ないというんですよ。そのナービナクーが、フーチャーフチャーして、金を焼いているのをその青年が立って見ておったというんだ。そして、ナービナクーは、「金はもう焼けておるが、味噌はないし、どうしたらいいかねえ。」と言って、迷っておるうちに、その子供がカーサ包み持っておるを見て、「おい、お前これ何を持っているのか。」と言ったら、「味噌ですよ。」と言うから、「それじゃあ、私にくれないか。」「これは親からの譲りで、自分が食うために持っているんだよ。売ることもあげることも出来ません。」そしたら、このナービナクーは、これぐらいの小さいだが、鋼鉄の塊を持っていたんだよ。それで、「これとだったら換えてくれるか。」って言って、子供の藁とその鋼鉄の塊を換えているんだよ。それで、その子供は、そっちから出て、また大きな鍛冶屋行ったわけさね。「私はここに来るにはわけがあるです。これで太刀を打ってくれませんか。」と言ったら、「それじゃあ、お前は私のところで、メーウチの仕事をしないか。ここで働くなら打ってあげよう。」と言って、その子供を雇うた。メーウチとは前打ちですね。親父は鍛冶屋で、このをフーチー吹かしたり、ハンマー打たしたりなんかしておる。二、三年たってもその青年が希望しておる太刀子を打ってくれんそうですよ。もう後は、親父の毎日する仕事が見て分かって、親父のいない場合に自分でやろうと思って、自分でその鋼鉄の塊を何回も何回も金を伸ばしておいて、もう四、五年もかかったそうだが、とうとう優れた太刀が出来ておるというんだね。太刀が出来たもんだから、それを立派に日本刀みたいように作って、それから、馬天には唐船がよく入るというから、「唐を船見に行こう。」と二、三人の同じような子どもたちをくり舟に乗せて連れて行ったら、本当に馬天港に唐船が入っておるそうだ。唐船というのは、今の支那の船さ。それが品物をずっと持って来るんだよね。そうして、船に見に行くときに、フカがおるそうですね。こっちはくり船に乗って行くもんだから、フカがおるって。この子どもら喰おうというて、フカがこう暴れるのをね。唐船からはよう分かるそうです。「危ないよう。」と言って、唐船から声かけるそうだが、その声がこっちのクリ舟まで届かない。そしたら、その青年はこの自分の作った日本刀を抜いて、こう日本刀を前に立ててたらよ、そしたら、そのフカは、このクリ舟の前を通るそうだが、どうもない。これは朝の八時か九時ごろだから、ちょうど太陽の上がる光がこの剣に差すわけですよ。そしたら、唐船の支那の船員たちは、その日本刀の反射がもう目に反射するんだから、目も開かんぐらい光ったから、この剣の鋭さが分かってですよ、青年がクリ舟で唐船のそばに行ったら、「この剣をうちの何かと換えてくれ。」と言って、船長の部屋の枕元にあった金の屏風と持ってきて頼んだそうだ。「我らには向かんからいらん。」「いや、いいからこれを持って行きなさい。」と持たされて、また、「それで気がすまんなら、こっちにこんなものがあるからこれ持って行きなさい。」と薄い鉄板がいくらでもあったから、それを見て、「それとなら換えます。」と、その鉄板を支那のその船員たちを雇うて浜に下ろさせて、自分の作った日本刀と換えたんだよ。そうして、自分が使われておる鍛冶屋に鉄板を持って行って、人夫を雇うて鍬を作るわけです。沖縄の金鍬は、これが始まりだというよ。これは、自分はもうこれだけの鉄板の資本を持って来ておるんだから、そこの親父と半分分けの契約をして作って、半分は親父にやったら、親父は作り次第自分のもの売ってしまったが、この青年は一つも売らない。そのまま作った鉄の鍬を置いてある。それから、あっちこっち沖縄全島まわって、「こんなのがあるが、どうです使うてみませんか。」と使いたい人にはただでやるわけですよね。その信用とって、この青年は大きな人になってもう嫁さんをもろうていたそうだよ。その嫁さんは財産があると思って結婚したんだが、その鍬がただでみんなにくれるだから、少しも暮らしは楽にならない。とうとう怒って出て行ったそうなんだな。一般の農民は、みんなただで鉄の鍬がもらっているから、そのうちみんなは、「こんな立派な人がおる。まあ素晴らしい人だね。」と言って評判が出ておるよ。それを王様に告げるわけでしょう。そしたら、「その青年を王様にする。」って、前の王様から呼ばれるわけですね。後は王様になるということで連れて行かれるんだが、家を出て行った奥さんもそのときに、「私も一緒に行く。」と言うのだが、この青年は、奥さんにね、「行くことできない。」と言って、止めておるわけです。「行きたいと言うならばね、この盥に水を入れて、そこにこぼしなさい。」と言って、こぼさしたそうだ。水はすぐに地面にしみ込むからね、またその奥さんに、「その水をまた盥に入れてみなさい。」と言ったら、奥さんが入れようとしても、地面にこぼした水は入れられないでしょう。だから、奥さんには、「一度こぼした水はもとに返らないよ。」と言って、自分は王様になりに行ったという話です。 |
| 全体の記録時間数 | 16:19 |
| 物語の時間数 | 15:12 |
| 言語識別 | 混在 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |