安谷屋の名の由来(共通語)

概要

安谷屋と言う部落の名前はさ、こっちは、昔、アダンと言って海のよく浜辺にあるでしょう。あれがここには一杯生えていたアダニの山であったそうです。それで、そのアダンを刈って開墾したのが、名嘉根屋のうちの神様ですね。そのうちの神様が知念、玉城というところから、芋の種も豆の種もまた稲の種もね、あっちから持って来て作ったら、芋も豆もまた稲もね、みんな繁盛してもう豊作なったから、この神様は百姓の神だったそうですよ。そして、今度はね、皆の方々がさ、神様に、「この上は、どんな御恩返しをするかねえ。」と言われたら、「私は御恩返しはいらない。国が栄え、もう皆が栄たら綱を引いて見せなさい。」と言ったから部落で綱を引かされたそうですよ。それで、みんな部落の方々が集まってね、六月二五日に綱引きするでしょう。そして、この綱引きが名嘉綱と言って今も残っているわけですよ。そうしてね、うちの神様が、「このアダニ山を開墾して村を作ったから、安谷屋と名を付けよう。」と言って、部落の今の名前をつけたそうですよ。

再生時間:2:07

民話詳細DATA

レコード番号 47O383385
CD番号 47O38C174
決定題名 安谷屋の名の由来(共通語)
話者がつけた題名
話者名 金城朝子
話者名かな きんじょうあさこ
生年月日 19160420
性別
出身地 沖縄県中頭郡北中城村字安谷屋
記録日 19810705
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 中頭郡北中城村 T10 A14
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説、
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 北中城村の民話 P220
キーワード 安谷屋,部落,アダン,アダニの山,開墾,名嘉根屋,神様,知念,玉城,芋の種,豆の種,稲の種,繁盛,百姓の神,御恩返し,綱,六月二五日,綱引き,名嘉綱
梗概(こうがい) 安谷屋と言う部落の名前はさ、こっちは、昔、アダンと言って海のよく浜辺にあるでしょう。あれがここには一杯生えていたアダニの山であったそうです。それで、そのアダンを刈って開墾したのが、名嘉根屋のうちの神様ですね。そのうちの神様が知念、玉城というところから、芋の種も豆の種もまた稲の種もね、あっちから持って来て作ったら、芋も豆もまた稲もね、みんな繁盛してもう豊作なったから、この神様は百姓の神だったそうですよ。そして、今度はね、皆の方々がさ、神様に、「この上は、どんな御恩返しをするかねえ。」と言われたら、「私は御恩返しはいらない。国が栄え、もう皆が栄たら綱を引いて見せなさい。」と言ったから部落で綱を引かされたそうですよ。それで、みんな部落の方々が集まってね、六月二五日に綱引きするでしょう。そして、この綱引きが名嘉綱と言って今も残っているわけですよ。そうしてね、うちの神様が、「このアダニ山を開墾して村を作ったから、安谷屋と名を付けよう。」と言って、部落の今の名前をつけたそうですよ。
全体の記録時間数 2:26
物語の時間数 2:07
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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