仲順の始まりと七煙(共通語)

概要

仲順で古いのは、上門らしいです。これは、仲順大主時代からという感じもするわけです。その次が上ヌ安里だと思います。今、上門の子孫は、たくさんははいませんがね。上ヌ安里の子孫は、今もこの部落内には多くいるわけですよ。また、年寄りたちは、「この仲順の始まりは、仲順七煙からだ。」と言うことを話されたんですが、七煙の煙というのは竈で炊くと煙がでるでしょう。だから、一煙は一軒という意味で、キブイとは、一戸、二戸の戸ですよ。一戸、二戸というのは、キブイチクブイ、タクブイといいよったよ。昔、仲順には、七煙と言うのは七軒あったわけ。その七煙のころは、上の方にあったわけです。ちょうど私一五才ぐらいになっとったころ、鳥越先生と言う人が来られて、その鳥越先生と一緒にその仲順のその七煙と言うところを見たんです。鳥越先生は、「ここはもとの屋敷だったなあ。」と言うことを確認されて、次々にここへ下りて来て、今のお宮のところに根殿と言うのがあるが、そっちにいわゆる本家の何かが祀られています。それから、ずっとこの仲順と言うのは、平らなところへと来たんですが、それで一番にが殿の方に本家があって、次が与儀主というような話がありました。仲順は最初、喜舎場と合同であったわけなんですね。で、その七煙のころに、もう生まれるだけ武士が生まれていて、その中でも津波主と言う方はとても強力があったから喜舎場の方が、「これらをこっちおいたら大変だ。」と思われたから、喜舎場の人からおだてられて、津波主は、一応今のナスの御嶽のところに移動してきたわけです。津波主は、昔のクェードウィ勝負と言う話が今まで伝えられています。当時、石の鍬いうて、石でつくった鍬を土の中に打ち込むんですよ。そしたら取る人が全然おらなかったらしい。また、片手の指三つの指先で、今大田さんが話したようにシンメーナービに土をこんなに入れて煙草盆として持って行ったら、力自慢で勝負しに来た人も、「この人とは勝負にはならん。」言うてすぐ帰ったそうです。そういう大きな武士が喜舎場には生まれたんだが、喜舎場から嫌われてしまって、東へ東へ追い出してしまわれてここに来たんです。そういうような方が始められて、それが今になって栄えたのがこの仲順の部落です。あのへんに部落を造って、それで、そのころはちょうど七軒あったのが、今はここへ移ってきて仲順も栄えて、百八十戸、約二百戸になっておるということを我々は古老から教えられたわけなんです。しかし、終戦直後は、六五戸だったですよ。居留民が戦後になって、あっちこっちから入りこんできておるんですね。減りはしないで多くなっていきよるのは、部落がよかったんでじゃないかという気がするんです。現在は、宜野湾市、沖縄市のちょうど真ん中に置かれて、どこに行くのも便利ということも考えられます。だから、我々は、たくさんの人からこの辺に屋敷捜してくれと今頼まれているんですよ。

再生時間:1:57

民話詳細DATA

レコード番号 47O383266
CD番号 47O38C167
決定題名 仲順の始まりと七煙(共通語)
話者がつけた題名
話者名 比嘉清昌
話者名かな ひがせいしょう
生年月日 19011010
性別
出身地 沖縄県中頭郡北中城村字仲順
記録日 19810705
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 中頭郡北中城村 T07 A12
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説、
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 北中城の民話 P54
キーワード 仲順,上門,仲順大主,上ヌ安里,子孫,年寄り,七煙,キブイ,チクブイ,タクブイ,お宮,根殿,本家,与儀主,喜舎場,武士,津波主,強力,ナスの御嶽,クェードウィ勝負,石の鍬,シンメーナービ,煙草盆,力自慢,勝負,居留民
梗概(こうがい) 仲順で古いのは、上門らしいです。これは、仲順大主時代からという感じもするわけです。その次が上ヌ安里だと思います。今、上門の子孫は、たくさんははいませんがね。上ヌ安里の子孫は、今もこの部落内には多くいるわけですよ。また、年寄りたちは、「この仲順の始まりは、仲順七煙からだ。」と言うことを話されたんですが、七煙の煙というのは竈で炊くと煙がでるでしょう。だから、一煙は一軒という意味で、キブイとは、一戸、二戸の戸ですよ。一戸、二戸というのは、キブイチクブイ、タクブイといいよったよ。昔、仲順には、七煙と言うのは七軒あったわけ。その七煙のころは、上の方にあったわけです。ちょうど私一五才ぐらいになっとったころ、鳥越先生と言う人が来られて、その鳥越先生と一緒にその仲順のその七煙と言うところを見たんです。鳥越先生は、「ここはもとの屋敷だったなあ。」と言うことを確認されて、次々にここへ下りて来て、今のお宮のところに根殿と言うのがあるが、そっちにいわゆる本家の何かが祀られています。それから、ずっとこの仲順と言うのは、平らなところへと来たんですが、それで一番にが殿の方に本家があって、次が与儀主というような話がありました。仲順は最初、喜舎場と合同であったわけなんですね。で、その七煙のころに、もう生まれるだけ武士が生まれていて、その中でも津波主と言う方はとても強力があったから喜舎場の方が、「これらをこっちおいたら大変だ。」と思われたから、喜舎場の人からおだてられて、津波主は、一応今のナスの御嶽のところに移動してきたわけです。津波主は、昔のクェードウィ勝負と言う話が今まで伝えられています。当時、石の鍬いうて、石でつくった鍬を土の中に打ち込むんですよ。そしたら取る人が全然おらなかったらしい。また、片手の指三つの指先で、今大田さんが話したようにシンメーナービに土をこんなに入れて煙草盆として持って行ったら、力自慢で勝負しに来た人も、「この人とは勝負にはならん。」言うてすぐ帰ったそうです。そういう大きな武士が喜舎場には生まれたんだが、喜舎場から嫌われてしまって、東へ東へ追い出してしまわれてここに来たんです。そういうような方が始められて、それが今になって栄えたのがこの仲順の部落です。あのへんに部落を造って、それで、そのころはちょうど七軒あったのが、今はここへ移ってきて仲順も栄えて、百八十戸、約二百戸になっておるということを我々は古老から教えられたわけなんです。しかし、終戦直後は、六五戸だったですよ。居留民が戦後になって、あっちこっちから入りこんできておるんですね。減りはしないで多くなっていきよるのは、部落がよかったんでじゃないかという気がするんです。現在は、宜野湾市、沖縄市のちょうど真ん中に置かれて、どこに行くのも便利ということも考えられます。だから、我々は、たくさんの人からこの辺に屋敷捜してくれと今頼まれているんですよ。
全体の記録時間数 2:05
物語の時間数 1:57
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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