牛マジムン(方言)

概要

現在の県道からですね、「ンモーンモー」と牛マジムン(牛の化け物)が歩いたようですね。昔、年寄りの方は、夕食が済んで後、昔は野蛮であったようで喧嘩に出掛けたようだ。それで今の読谷では北、南といってあるでしょう。宇座や渡慶次、長浜の人達は、大湾や比謝の人達を大変怖がっていたそうです。現在だから自動車はありますよね。昔は、那覇から豚を買っても、砂糖樽を買っても全部歩いて来たようです。さあ宇座や長浜の北の人達と喧嘩してみようと夕食がすむとすぐ出掛けたようです。それから皆揃って、牛の化け物が「ンモーンモー」と鳴いているから、「さあその化け物を捕獲して来よう」と七、八人の頑丈者が集まったようです。牛は「ンモーンモー」と鳴いて来たようです。そして取り押さえて、夜の明けるまでそのままでいたそうです。昔は、人が死ぬと龕を使用しましたよね。人が死ぬと地葬(風葬)をするため墓へ運びますよね。あの龕の屋根の先に(飾り物としての)小鳥がありますよね。龕の先の尖った所が(牛と思っていたのが)それであったようです。これは親達の話です。

再生時間:1:21

民話詳細DATA

レコード番号 47O375094
CD番号 47O37C218
決定題名 牛マジムン(方言)
話者がつけた題名 牛に化けた龕
話者名 石嶺伝栄
話者名かな いしみねでんえい
生年月日 19090520
性別
出身地 沖縄県読谷村比謝
記録日 19770225
記録者の所属組織 読谷村民話調査団第11班
元テープ番号 読谷村比謝T02B05
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 読谷村民話資料集15渡具知・比謝・比謝矼の民話 P212
キーワード 現在の県道からですね、「ンモーンモー」と牛マジムン(牛の化け物)が歩いたようですね。昔、年寄りの方は、夕食が済んで後、昔は野蛮であったようで喧嘩に出掛けたようだ。それで今の読谷では北、南といってあるでしょう。宇座や渡慶次、長浜の人達は、大湾や比謝の人達を大変怖がっていたそうです。現在だから自動車はありますよね。昔は、那覇から豚を買っても、砂糖樽を買っても全部歩いて来たようです。さあ宇座や長浜の北の人達と喧嘩してみようと夕食がすむとすぐ出掛けたようです。それから皆揃って、牛の化け物が「ンモーンモー」と鳴いているから、「さあその化け物を捕獲して来よう」と七、八人の頑丈者が集まったようです。牛は「ンモーンモー」と鳴いて来たようです。そして取り押さえて、夜の明けるまでそのままでいたそうです。昔は、人が死ぬと龕を使用しましたよね。人が死ぬと地葬(風葬)をするため墓へ運びますよね。あの龕の屋根の先に(飾り物としての)小鳥がありますよね。龕の先の尖った所が(牛と思っていたのが)それであったようです。これは親達の話です。
梗概(こうがい) 現在の県道からですね、「ンモーンモー」と牛マジムン(牛の化け物)が歩いたようですね。昔、年寄りの方は、夕食が済んで後、昔は野蛮であったようで喧嘩に出掛けたようだ。それで今の読谷では北、南といってあるでしょう。宇座や渡慶次、長浜の人達は、大湾や比謝の人達を大変怖がっていたそうです。現在だから自動車はありますよね。昔は、那覇から豚を買っても、砂糖樽を買っても全部歩いて来たようです。さあ宇座や長浜の北の人達と喧嘩してみようと夕食がすむとすぐ出掛けたようです。それから皆揃って、牛の化け物が「ンモーンモー」と鳴いているから、「さあその化け物を捕獲して来よう」と七、八人の頑丈者が集まったようです。牛は「ンモーンモー」と鳴いて来たようです。そして取り押さえて、夜の明けるまでそのままでいたそうです。昔は、人が死ぬと龕を使用しましたよね。人が死ぬと地葬(風葬)をするため墓へ運びますよね。あの龕の屋根の先に(飾り物としての)小鳥がありますよね。龕の先の尖った所が(牛と思っていたのが)それであったようです。これは親達の話です。
全体の記録時間数 1:21
物語の時間数 1:21
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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