その頃は長浜、今の山田りまで久良波山田、その辺まで長浜といわれていたらしいですね。本当は今の山田辺に住まっていたと。けれども、もうここでは貧困で生活出来んからといって海んさがちー、「りか」といって、そこに移って行ったと。 それは、で吉屋チルーはだいたい十歳以内までその頃までは山田とにかく読谷山生まりであるということは間違いない。 その頃、もう恋人も出来たんでしょうね。けれども、あっち行ってもやっぱり貧困でとうとうウミチルーはジュリ売いされたわけ。昔はそういうふうな事があったんですよ、ジュリいというのが。辻、仲島といってね、そのがあったわけです。仲島の方にジュリいされたというのかなー。ジ
ュリいされて、ウミチルまた歌みの名人でこの人が詠んだ歌を一つ披露しましょう。ジュリ売いされて行く時に 行くや や花ざかりにいちという琉歌を。という話があります。 そして読谷の比謝橋をこう、その頃比謝橋は石をこう並べて、この石からあの石にといって行くような橋だったらしいですがね。比謝橋を渡る場合にあちらに今のバスセンターの入り口に囲いがあってそこに碑門があって、そこに書かれていますがね。 恨む比謝橋や さとぅむてぃ ぬんぬ きてぃちゃら という歌を詠みながら昔のといって、今嘉手納からこう降りてくるという所があったらしいです。石を敷いてね、えらい坂だった。に登って行きながら、その比謝橋を渡って行きながらそういう歌を詠んだと。 それからもう一つこれもう有名ですがね、またウミチルは仲島のジュリになって行って、もう非常に皆なから大モテで美人でもあり、歌詠みで頭も良いし、それから客を持てなすその態度が素晴らしいと皆から。 その頃は琉球国という尚質王の時代ですウミチルは。今からこう考えると三百七、八十年前になるでしょうな。 また尚質王からも非常に愛されて、一回、そこにといって首里にいわゆる宴会場ね。外国、その当時は清の国といっていたらしいが、今の中華民国、そこと盛んに国交を交えているわけです。 そして沖縄からは馬、ぐゎーという小さい馬ぐゎー。馬とユを持って行って、その他また色々大和の国からも非常に品物を寄せて中国、つまり清の国に持って行った。今度向こうからは何を持って来るかと。いわゆるこの沖縄が欲しい物、鍬とか、ヘラとか、鎌とか、あるいはヤマナジとかそういうふうなのを取り寄せて農業に使う。そういうふうに、国交を交えておったそうですが、向こうからたびたび沖縄にお客が来るんですよ。そしてで持てなして、そしてウミチルがういちするわけ。それで客も帰って後からある時、尚質王が「りか、やんじまれー」といってね、「んじまれー、りかりか」「うー」りち、尚質王追うて来た。そして表玄関から入る事出来んから、きやーなかいっちぇーるばーてー、裏部屋ですね。そこのいわゆる尚質王の奥さんさあね、その部屋とウミチルが泊まる部屋とは別でしょう。そしたらね、奥さんがちゃんと分かっているんですよ。 やりい 赤い立てぃてぃ 花やうしち いや知らにそしたらね尚質王は や むが枕お前は常に私と一緒に寝起きしているんじゃないかと 花ぬウグイシや ふきてぃ飛ぅぶさ今度は翌朝起きて、ウミチルは 一夜たる 花ぬウグイスや とぅに るぶるこういう琉歌が残っているんですよ。これ尚質王代の話です。三百七、八十年前の話です。 ウミチルはこういう琉歌ですが、やっぱりそのぬういちさーなかい、またやっぱり仲島に帰らなならん。 また帰って行って後からある時ね、そのジュリアンマーがね、昔のりーねーなやるばーてー、ですね。ある乞食の親分からというお金を貰ってね、 ウミチルーもその男と一晩何したわけでしょうね。それで翌朝起きて行くの見たら、乞食袋担いで出よったというんですね。それを見て吉屋ウミチルーはもう、いよいよやけくそになって舌を噛み切って死んだというんですね、自殺した。 そしてお墓はといって墓地があるんですが、そこに遺骨は埋めた。そしてね、それも済んでから、そのジュリアンマーは、もうほとんど毎日毎日そのの墓をウミチルーに心から詫びるという気持ちで、「私ぁが悪っさたんどー」という気持ちで墓参りをしたと。それでちょうど四十九日の日にね、ウミチルーが幽霊になって ちちうるや にみそち 死にばに てぃすが幽霊みたいになって、大声を出して。そのジュリアンマーも舌を噛み切って、そこで亡くなったという。いわゆる敵を打たれたわけだね。 兄か弟か知らんけれども、兄弟が遺骨を迎えに来た。そして来る時には今の五十八号線かね、昔から大道があったそうです。。行く時にはこっちから通って行ったんだが、遺骨を担いで、何げなく何げなくこの道びかーる知っちょーしが、何げなくその首里に歩いて行ったんだそうですね。 あんさーに王家のいわゆる奥さん、尚質王居なかったらしいが、奥さんにあったら「とーや唐から客ぬめんそーやーに、んかいぐとぅ、あまんじちゃれー、王様ちゃいがりちびたん」という事言ったら「あまんじちゃれー」と奥さんから言われたと。「ねーさるウミチルーぬイキーやいびーしが、ちゃいがびーたん」「とーあまんじい会ちゃれー」と言われたもんだから仕方なくにまた行ったら、そこにちゃんと受付がおって。「かんかんやしが」と言って。「あーとうとうあんせー、客ぬめんせーてぃからちゃらやーりちいしが、びてぃらさんなー」といって、「うー」りち。そしてにこれ伝えたらさっそく出て来てね、その尚質王はもう遺骨を見て涙をポロポロ流してね、「なーかんなたるばーい」と涙を流して。 その時にそのイキーは、自分で歌を詠むとかそういう素質はないんだけれども、そのイキーの口からですね、こういう歌をこれといって大節ですがね。そのイキーの口から りぬかりらん りぬかりらん そういうふうにイキーの口から出て、それでもうウミチルーは霊になっているけども、そういうふうな歌を詠んだという沖縄の歴史にあるわけです。またちょうどウミチルーが亡くなったのは十九の歳です。あるシールクンチャーのんかい、ジュリアンマーがうりばさんでーあねーならんしやしが、十九の歳に舌を噛み切って死んだという。
| レコード番号 | 47O375070 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C217 |
| 決定題名 | 吉屋チルー(共通語) |
| 話者がつけた題名 | 吉屋チルー |
| 話者名 | 知花義雄 |
| 話者名かな | ちばなよしお |
| 生年月日 | 19050518 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村比謝 |
| 記録日 | 19770225 |
| 記録者の所属組織 | 読谷村民話調査団第1班 |
| 元テープ番号 | 読谷村比謝T01B04 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 久良波山田,貧困,吉屋チルー,歌の名人,ジュリ売い,比謝橋,ジュリアンマー,乞食の親分,自殺,墓地,幽霊,兄弟,遺骨 |
| 梗概(こうがい) | その頃は長浜、今の山田りまで久良波山田、その辺まで長浜といわれていたらしいですね。本当は今の山田辺に住まっていたと。けれども、もうここでは貧困で生活出来んからといって海んさがちー、「りか」といって、そこに移って行ったと。 それは、で吉屋チルーはだいたい十歳以内までその頃までは山田とにかく読谷山生まりであるということは間違いない。 その頃、もう恋人も出来たんでしょうね。けれども、あっち行ってもやっぱり貧困でとうとうウミチルーはジュリ売いされたわけ。昔はそういうふうな事があったんですよ、ジュリいというのが。辻、仲島といってね、そのがあったわけです。仲島の方にジュリいされたというのかなー。ジ ュリいされて、ウミチルまた歌みの名人でこの人が詠んだ歌を一つ披露しましょう。ジュリ売いされて行く時に 行くや や花ざかりにいちという琉歌を。という話があります。 そして読谷の比謝橋をこう、その頃比謝橋は石をこう並べて、この石からあの石にといって行くような橋だったらしいですがね。比謝橋を渡る場合にあちらに今のバスセンターの入り口に囲いがあってそこに碑門があって、そこに書かれていますがね。 恨む比謝橋や さとぅむてぃ ぬんぬ きてぃちゃら という歌を詠みながら昔のといって、今嘉手納からこう降りてくるという所があったらしいです。石を敷いてね、えらい坂だった。に登って行きながら、その比謝橋を渡って行きながらそういう歌を詠んだと。 それからもう一つこれもう有名ですがね、またウミチルは仲島のジュリになって行って、もう非常に皆なから大モテで美人でもあり、歌詠みで頭も良いし、それから客を持てなすその態度が素晴らしいと皆から。 その頃は琉球国という尚質王の時代ですウミチルは。今からこう考えると三百七、八十年前になるでしょうな。 また尚質王からも非常に愛されて、一回、そこにといって首里にいわゆる宴会場ね。外国、その当時は清の国といっていたらしいが、今の中華民国、そこと盛んに国交を交えているわけです。 そして沖縄からは馬、ぐゎーという小さい馬ぐゎー。馬とユを持って行って、その他また色々大和の国からも非常に品物を寄せて中国、つまり清の国に持って行った。今度向こうからは何を持って来るかと。いわゆるこの沖縄が欲しい物、鍬とか、ヘラとか、鎌とか、あるいはヤマナジとかそういうふうなのを取り寄せて農業に使う。そういうふうに、国交を交えておったそうですが、向こうからたびたび沖縄にお客が来るんですよ。そしてで持てなして、そしてウミチルがういちするわけ。それで客も帰って後からある時、尚質王が「りか、やんじまれー」といってね、「んじまれー、りかりか」「うー」りち、尚質王追うて来た。そして表玄関から入る事出来んから、きやーなかいっちぇーるばーてー、裏部屋ですね。そこのいわゆる尚質王の奥さんさあね、その部屋とウミチルが泊まる部屋とは別でしょう。そしたらね、奥さんがちゃんと分かっているんですよ。 やりい 赤い立てぃてぃ 花やうしち いや知らにそしたらね尚質王は や むが枕お前は常に私と一緒に寝起きしているんじゃないかと 花ぬウグイシや ふきてぃ飛ぅぶさ今度は翌朝起きて、ウミチルは 一夜たる 花ぬウグイスや とぅに るぶるこういう琉歌が残っているんですよ。これ尚質王代の話です。三百七、八十年前の話です。 ウミチルはこういう琉歌ですが、やっぱりそのぬういちさーなかい、またやっぱり仲島に帰らなならん。 また帰って行って後からある時ね、そのジュリアンマーがね、昔のりーねーなやるばーてー、ですね。ある乞食の親分からというお金を貰ってね、 ウミチルーもその男と一晩何したわけでしょうね。それで翌朝起きて行くの見たら、乞食袋担いで出よったというんですね。それを見て吉屋ウミチルーはもう、いよいよやけくそになって舌を噛み切って死んだというんですね、自殺した。 そしてお墓はといって墓地があるんですが、そこに遺骨は埋めた。そしてね、それも済んでから、そのジュリアンマーは、もうほとんど毎日毎日そのの墓をウミチルーに心から詫びるという気持ちで、「私ぁが悪っさたんどー」という気持ちで墓参りをしたと。それでちょうど四十九日の日にね、ウミチルーが幽霊になって ちちうるや にみそち 死にばに てぃすが幽霊みたいになって、大声を出して。そのジュリアンマーも舌を噛み切って、そこで亡くなったという。いわゆる敵を打たれたわけだね。 兄か弟か知らんけれども、兄弟が遺骨を迎えに来た。そして来る時には今の五十八号線かね、昔から大道があったそうです。。行く時にはこっちから通って行ったんだが、遺骨を担いで、何げなく何げなくこの道びかーる知っちょーしが、何げなくその首里に歩いて行ったんだそうですね。 あんさーに王家のいわゆる奥さん、尚質王居なかったらしいが、奥さんにあったら「とーや唐から客ぬめんそーやーに、んかいぐとぅ、あまんじちゃれー、王様ちゃいがりちびたん」という事言ったら「あまんじちゃれー」と奥さんから言われたと。「ねーさるウミチルーぬイキーやいびーしが、ちゃいがびーたん」「とーあまんじい会ちゃれー」と言われたもんだから仕方なくにまた行ったら、そこにちゃんと受付がおって。「かんかんやしが」と言って。「あーとうとうあんせー、客ぬめんせーてぃからちゃらやーりちいしが、びてぃらさんなー」といって、「うー」りち。そしてにこれ伝えたらさっそく出て来てね、その尚質王はもう遺骨を見て涙をポロポロ流してね、「なーかんなたるばーい」と涙を流して。 その時にそのイキーは、自分で歌を詠むとかそういう素質はないんだけれども、そのイキーの口からですね、こういう歌をこれといって大節ですがね。そのイキーの口から りぬかりらん りぬかりらん そういうふうにイキーの口から出て、それでもうウミチルーは霊になっているけども、そういうふうな歌を詠んだという沖縄の歴史にあるわけです。またちょうどウミチルーが亡くなったのは十九の歳です。あるシールクンチャーのんかい、ジュリアンマーがうりばさんでーあねーならんしやしが、十九の歳に舌を噛み切って死んだという。 |
| 全体の記録時間数 | 12:40 |
| 物語の時間数 | 12:40 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |