モーイ親方 下駄と草履 勉強 難題(シマグチ)

概要

生まれたのだが、もう融通のきかない馬鹿みたいに育って、親の言うことも聞かない。両親が言うのとは反対のことばかりしていたが、モーイ(注 )は大変偉い人でもあったそうだ。成長してからのことだが、片足は草履、片足は下駄を履いて歩く程の馬鹿だったって。片足ずつね。「どうして、お前はこのような履き方をして歩くのか。」と言ったら、「貴方達は分からないのですか。この草履は雨が降らない時に、水や塵もつかない時のための草履。また下駄は雨降りの時に入り用だ。」、というわけさあ。
そういうことで、いつもモーイに振り回されてばかりいた。また、七歳か八歳の時に、皆と同じように勉強したら同じにしかならないと、床下で隠れて勉強したって。床下で勉強するということはどういうことかというとね。今は蛍もいなくなって、あまり飛んでいるのも見られないが。蛍を幾つも集めて、カタツムリの殻に溜めると良く見えたそうだよ。それで夜も、床下で勉強をしていた。。そういうことで、モーイはいつも学問をして、後は偉い人になったって。だけど、今度は薩摩から、琉球に、沖縄は当時は薩摩の支配下にあったから。中国から許された後に、廃藩になって。もうそれは、百年、二百五十年ぐらいまで、大戦は百五十、七、八十年までも戦をしていたらしいが。摂政三司官というのは、今の県知事に仕える人達だったが。そういう意味だったのか、摂政三司官といって、県知事の御側人みたいな方がいた。昔は、御側人と言っていたが、今は何と言うのかな。それは天皇陛下の身辺を護衛する上等兵みたいなのがいて、それに御側人といっていたさあ。ちょうど今で言えば、今の総理大臣とか、某大臣とかいうのだと思うのだが。昔は御側人とか言っていた。また沖縄でも御側人と言っていたが。薩摩が沖縄を制圧しようとしていたらしいが、薩摩から難題が来たって。八重山も沖縄と一緒だったのか。その時、首里勤めをなさっていた伊野波のモーイの親に御用が来た。薩摩から雄鶏の卵と灰縄の御用が来たので、親はもう大変心配なさっていた。モーイが、「どうして、うちのお父さんはそんなに黙りこくっているのですか、お母さん。」と言うと、「お前に分かるものか、馬鹿者は、お前は勉強もせずにいつも遊んでばかりいて。」と、叱られたようだが、今度は「どうしてそんなに黙りこくった顔をなさっているのですか、お父さん。」と聞くと、「これは薩摩の国から、雄鶏の卵と灰縄の御用なんだが、もうそれはどうしたら良いものだろうか。」と言われた。昔は食べ物も満足になかったので、六十一歳になると畦の下に穴を掘ってそこへ連れて行ったそうだ。寒くもあるし、もう今では考えられない苦しいことであった。畦の下に置かれた年寄りに食べ物を運んでいる子供が「話があるさあ。」と、畦の下にいるお祖父さんに言ったようだ。すると、「これはたやすい事だよ。」と。灰縄御用は解いて見せたって。灰縄御用は、お祖父さんが言う通りにしたら解けたって。また今度は、雄鶏の卵だから、「雄鶏が卵を産めるか。」と、「これはもうどうすれば良いものか。」と、大変心配なさっていたそうだ。そうして心配なさっているうちに、「はあ、これくらいの事で心配するのですかお父さん、私が代わりに行って来ますよ。」と、伊野波のモーイは言った。「おまえは馬鹿者は、馬鹿なことを言って。」「大丈夫だってばお父さん、私が行くさ。そのくらいの事で、もう貴方は心配なさって。」と言ったって。「じゃあもう、頑張って来てくれ。」と。首里城でも、某という人が薩摩にそれを披露しに行くということになっていた。(首里に行く時には)縄は良く燃えるようにして持っていたとか。縄を綯ってね。薩摩では、モーイが城に行く途中の崖下の方に刃物を向けていて、やっつけるつもりだった。しかし、伊野波のモーイは武勇も達者だったのだからね。そうして槍が二つ向かって来るのを「ウヮーッ。」と飛んで攻撃をかわした。槍が二つ飛んで来たが、後方から向けられた槍を掴まえて、前方に引きずり降ろしたそうだよ、二人。その崖の下の方は塵捨て場になっていたが、そこから謀反を企んだ人が飛びかかって来たんでしょうね。そうしてもう、口もあんぐり開いて、目も丸くして、こいつは変わり者だと。そこで「父親に御用を出したのに、どうしてお前が来たのか。」と言ったので、「はい、私の父は産気づいております。」と、「産気づいていましたので、私が来ました。」と返した。「男がも産気づくということがあるか。」と言われたので、「じゃあ、雄鶏の卵というのは何ですか。」と言ったものだから、もう負けさあ。「雄鶏は卵を産まないのに、雄鶏の御用がありますか。」と。そう言われたので、「産気づいています。」と、「雄鶏の卵御用ということでしたら、そうじゃないと道理が合いませんよ。」と、それも負けたって。次にはまた、「灰縄御用は。」と言ったらね。それも板切れの上に、きれいによく燃えるようにして縄を綯って、その灰縄は風が吹かないように立派に燃やして持って行ったって。ああ、これもまた負けて。もう薩摩の国は負けたそうだよ。それから戦は始まったが、宮古、八重山の戦も一緒だったのか。また於茂登岳御用と言ったら、「それもたやすいことです。」と。「沖縄は島国だから、琉球の国には、それを取り壊す道具や積む船がありません。薩摩は大国ですから、船を貸して下さい。」と言ったら、それも負けて。「沖縄は小国でそうする道具がないから、船もないから、薩摩から貸して下さい。」と、それも負けて。その後は薩摩は収拾がつかなくなってしまった。そういうことで、「沖縄という国は小島だからね。沖縄にはその道具と積む船がないから、於茂登岳を取り壊す道具と船を貸して下さい。」と言ったら、それも負けてしまった。

再生時間:11:33

民話詳細DATA

レコード番号 47O374268
CD番号 47O37C185
決定題名 モーイ親方 下駄と草履 勉強 難題(シマグチ)
話者がつけた題名
話者名 仲栄間三良
話者名かな なかえまさんだ
生年月日 18940720
性別
出身地 沖縄県読谷村大木
記録日 19761219
記録者の所属組織 読谷村民話調査団
元テープ番号 読谷村大木T03A05
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 本格昔話
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 読谷村民話資料集13 大木・長田・牧原の民話P116
キーワード 融通のきかない馬鹿,親の言うことも聞かない,両親が言うのとは反対,モーイは大変偉い人,片足は草履,片足は下駄,床下で隠れて勉強摂政三司官,県知事の御側人,薩摩が沖縄を制圧,薩摩から難題,八重山,首里勤め,伊野波のモーイの親に御用,雄鶏の卵,灰縄,六十一歳,畦の下に穴,年寄り,食べ物を運んでいる子供,伊野波のモーイは武勇も達者,槍が二つ,於茂登岳御用,取り壊す道具や積む船
梗概(こうがい) 生まれたのだが、もう融通のきかない馬鹿みたいに育って、親の言うことも聞かない。両親が言うのとは反対のことばかりしていたが、モーイ(注 )は大変偉い人でもあったそうだ。成長してからのことだが、片足は草履、片足は下駄を履いて歩く程の馬鹿だったって。片足ずつね。「どうして、お前はこのような履き方をして歩くのか。」と言ったら、「貴方達は分からないのですか。この草履は雨が降らない時に、水や塵もつかない時のための草履。また下駄は雨降りの時に入り用だ。」、というわけさあ。 そういうことで、いつもモーイに振り回されてばかりいた。また、七歳か八歳の時に、皆と同じように勉強したら同じにしかならないと、床下で隠れて勉強したって。床下で勉強するということはどういうことかというとね。今は蛍もいなくなって、あまり飛んでいるのも見られないが。蛍を幾つも集めて、カタツムリの殻に溜めると良く見えたそうだよ。それで夜も、床下で勉強をしていた。。そういうことで、モーイはいつも学問をして、後は偉い人になったって。だけど、今度は薩摩から、琉球に、沖縄は当時は薩摩の支配下にあったから。中国から許された後に、廃藩になって。もうそれは、百年、二百五十年ぐらいまで、大戦は百五十、七、八十年までも戦をしていたらしいが。摂政三司官というのは、今の県知事に仕える人達だったが。そういう意味だったのか、摂政三司官といって、県知事の御側人みたいな方がいた。昔は、御側人と言っていたが、今は何と言うのかな。それは天皇陛下の身辺を護衛する上等兵みたいなのがいて、それに御側人といっていたさあ。ちょうど今で言えば、今の総理大臣とか、某大臣とかいうのだと思うのだが。昔は御側人とか言っていた。また沖縄でも御側人と言っていたが。薩摩が沖縄を制圧しようとしていたらしいが、薩摩から難題が来たって。八重山も沖縄と一緒だったのか。その時、首里勤めをなさっていた伊野波のモーイの親に御用が来た。薩摩から雄鶏の卵と灰縄の御用が来たので、親はもう大変心配なさっていた。モーイが、「どうして、うちのお父さんはそんなに黙りこくっているのですか、お母さん。」と言うと、「お前に分かるものか、馬鹿者は、お前は勉強もせずにいつも遊んでばかりいて。」と、叱られたようだが、今度は「どうしてそんなに黙りこくった顔をなさっているのですか、お父さん。」と聞くと、「これは薩摩の国から、雄鶏の卵と灰縄の御用なんだが、もうそれはどうしたら良いものだろうか。」と言われた。昔は食べ物も満足になかったので、六十一歳になると畦の下に穴を掘ってそこへ連れて行ったそうだ。寒くもあるし、もう今では考えられない苦しいことであった。畦の下に置かれた年寄りに食べ物を運んでいる子供が「話があるさあ。」と、畦の下にいるお祖父さんに言ったようだ。すると、「これはたやすい事だよ。」と。灰縄御用は解いて見せたって。灰縄御用は、お祖父さんが言う通りにしたら解けたって。また今度は、雄鶏の卵だから、「雄鶏が卵を産めるか。」と、「これはもうどうすれば良いものか。」と、大変心配なさっていたそうだ。そうして心配なさっているうちに、「はあ、これくらいの事で心配するのですかお父さん、私が代わりに行って来ますよ。」と、伊野波のモーイは言った。「おまえは馬鹿者は、馬鹿なことを言って。」「大丈夫だってばお父さん、私が行くさ。そのくらいの事で、もう貴方は心配なさって。」と言ったって。「じゃあもう、頑張って来てくれ。」と。首里城でも、某という人が薩摩にそれを披露しに行くということになっていた。(首里に行く時には)縄は良く燃えるようにして持っていたとか。縄を綯ってね。薩摩では、モーイが城に行く途中の崖下の方に刃物を向けていて、やっつけるつもりだった。しかし、伊野波のモーイは武勇も達者だったのだからね。そうして槍が二つ向かって来るのを「ウヮーッ。」と飛んで攻撃をかわした。槍が二つ飛んで来たが、後方から向けられた槍を掴まえて、前方に引きずり降ろしたそうだよ、二人。その崖の下の方は塵捨て場になっていたが、そこから謀反を企んだ人が飛びかかって来たんでしょうね。そうしてもう、口もあんぐり開いて、目も丸くして、こいつは変わり者だと。そこで「父親に御用を出したのに、どうしてお前が来たのか。」と言ったので、「はい、私の父は産気づいております。」と、「産気づいていましたので、私が来ました。」と返した。「男がも産気づくということがあるか。」と言われたので、「じゃあ、雄鶏の卵というのは何ですか。」と言ったものだから、もう負けさあ。「雄鶏は卵を産まないのに、雄鶏の御用がありますか。」と。そう言われたので、「産気づいています。」と、「雄鶏の卵御用ということでしたら、そうじゃないと道理が合いませんよ。」と、それも負けたって。次にはまた、「灰縄御用は。」と言ったらね。それも板切れの上に、きれいによく燃えるようにして縄を綯って、その灰縄は風が吹かないように立派に燃やして持って行ったって。ああ、これもまた負けて。もう薩摩の国は負けたそうだよ。それから戦は始まったが、宮古、八重山の戦も一緒だったのか。また於茂登岳御用と言ったら、「それもたやすいことです。」と。「沖縄は島国だから、琉球の国には、それを取り壊す道具や積む船がありません。薩摩は大国ですから、船を貸して下さい。」と言ったら、それも負けて。「沖縄は小国でそうする道具がないから、船もないから、薩摩から貸して下さい。」と、それも負けて。その後は薩摩は収拾がつかなくなってしまった。そういうことで、「沖縄という国は小島だからね。沖縄にはその道具と積む船がないから、於茂登岳を取り壊す道具と船を貸して下さい。」と言ったら、それも負けてしまった。
全体の記録時間数 11:33
物語の時間数 11:33
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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