妻は豆腐売りにと言ったか、夫は子供のめんどうをみていたようだ。そこで真玉橋の人夫が黙りこんで座っていたようだ。座っていたので、「どうして、貴方たちはそんなに黙りこくって座っているのですか。」と聞いた。「この橋は造っても造っても壊れてもうどんなにしても壊れて造ることはできない。」と答えた。「貴方たちはそれを知らないのですか。」と言うと、「お前には分かるか、教えてちょうだい。」と言った。「七色ムーティーをしている女を生け埋めにすると、この橋はできるよ。」と言ったそうだ。それから島々探し歩いたが、七色ムーティーをしている人はいなかった。そして、今度はもうこの女一人残ってしまった。その女だけ七色ムーティーをしていたからね、それで、子供をおいてひどく泣いて別れることになった。その子供に言うには、「私はね、人より先に物を言ったばかりに、このように行かなければならない。これは私の遺言なので、人より先には絶対物を言ってはいけないよ。」と言ったようだ。母親が出て行った後、その子は親の言ったことを守って唖になっていた。そして父親は位が上がっていた。その親子のことはいつまでもめんどうみるということであった。そこにいてはならないので、山原に行ったようだ。山原に行って、その子は十七、八になっているが、ずっと物を言わなかった。そして、ある娘たちが揃って浜に、三月三日に浜に下りて、貝を拾おうとしているところへ首里の侍がいらしているが、その娘は何も言わなかった。容姿はとても美しいが貝を拾っては入れてしているが、絶対物を言わなかった。それに、その女もやっぱり、その人を思っていたんでしょう。男はその女を見て、どうにかできないものかと思っていた。父親の前に行って、「下さい。」と言った。父親はもうこうこうだよと話をした。そして、首里に連れて行くことになり、そのようにしたようだ。その里之子には、許婚者がいて、許婚者と親は首里で待っていた。そこでも、その女は絶対にものを言わなかった。里之子が何を言っても聞かなかった。許婚者もそこにいるでしょう。皆揃っていて、「そうならば、どうしてもきかないのか。その女がひと言でも言うのであれば、私達はひき下がるよ。」と言った。ひと言でも言ってちょうだいと頼むが、親の遺言なので、絶対に言わなかった。そうして母親が連れて行かれる前に、「蝶となって来たら親と思いなさい。とんぼとなって来たら他人と思いなさい。」と遺言したようだ。すぐに、そこから蝶が飛んだ。そのとき、「待て、待て、蝶。」というわけだ。「えーたり、アヤー〔お父さん、お母さん〕私(わん)ねー立身(りっしん)さびら〔私は立身しましょう〕。」と、それから物を言いだした。それが、真玉橋の由来記である。
| レコード番号 | 47O374004 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C175 |
| 決定題名 | 真玉橋の由来(シマグチ) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 喜友名初江 |
| 話者名かな | きゆうなはつえ |
| 生年月日 | 19220120 |
| 性別 | 女 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村親志 |
| 記録日 | 19930120 |
| 記録者の所属組織 | 読谷村ゆうがおの会 |
| 元テープ番号 | 読谷村親志T04A13 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 本格昔話 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集12 親志の民話 P80 |
| キーワード | 妻は豆腐売り,夫は子供のめんどうをみていた,真玉橋の人夫,壊れて造ることはできない,七色ムーティー,女を生け埋め,人より先に物を言った,遺言,唖,山原,物を言わなかった,三月三日,浜下り,首里の侍,父親,里之子,許婚者,蝶 |
| 梗概(こうがい) | 妻は豆腐売りにと言ったか、夫は子供のめんどうをみていたようだ。そこで真玉橋の人夫が黙りこんで座っていたようだ。座っていたので、「どうして、貴方たちはそんなに黙りこくって座っているのですか。」と聞いた。「この橋は造っても造っても壊れてもうどんなにしても壊れて造ることはできない。」と答えた。「貴方たちはそれを知らないのですか。」と言うと、「お前には分かるか、教えてちょうだい。」と言った。「七色ムーティーをしている女を生け埋めにすると、この橋はできるよ。」と言ったそうだ。それから島々探し歩いたが、七色ムーティーをしている人はいなかった。そして、今度はもうこの女一人残ってしまった。その女だけ七色ムーティーをしていたからね、それで、子供をおいてひどく泣いて別れることになった。その子供に言うには、「私はね、人より先に物を言ったばかりに、このように行かなければならない。これは私の遺言なので、人より先には絶対物を言ってはいけないよ。」と言ったようだ。母親が出て行った後、その子は親の言ったことを守って唖になっていた。そして父親は位が上がっていた。その親子のことはいつまでもめんどうみるということであった。そこにいてはならないので、山原に行ったようだ。山原に行って、その子は十七、八になっているが、ずっと物を言わなかった。そして、ある娘たちが揃って浜に、三月三日に浜に下りて、貝を拾おうとしているところへ首里の侍がいらしているが、その娘は何も言わなかった。容姿はとても美しいが貝を拾っては入れてしているが、絶対物を言わなかった。それに、その女もやっぱり、その人を思っていたんでしょう。男はその女を見て、どうにかできないものかと思っていた。父親の前に行って、「下さい。」と言った。父親はもうこうこうだよと話をした。そして、首里に連れて行くことになり、そのようにしたようだ。その里之子には、許婚者がいて、許婚者と親は首里で待っていた。そこでも、その女は絶対にものを言わなかった。里之子が何を言っても聞かなかった。許婚者もそこにいるでしょう。皆揃っていて、「そうならば、どうしてもきかないのか。その女がひと言でも言うのであれば、私達はひき下がるよ。」と言った。ひと言でも言ってちょうだいと頼むが、親の遺言なので、絶対に言わなかった。そうして母親が連れて行かれる前に、「蝶となって来たら親と思いなさい。とんぼとなって来たら他人と思いなさい。」と遺言したようだ。すぐに、そこから蝶が飛んだ。そのとき、「待て、待て、蝶。」というわけだ。「えーたり、アヤー〔お父さん、お母さん〕私(わん)ねー立身(りっしん)さびら〔私は立身しましょう〕。」と、それから物を言いだした。それが、真玉橋の由来記である。 |
| 全体の記録時間数 | 5:02 |
| 物語の時間数 | 5:02 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |