「恨(うら)む比謝橋(ひじゃばし)や 情(なさ)きねん人(ひとぅ)ぬ〔恨む比謝橋は 情けのない人が〕私(わん)渡(わた)さとぅむてぃ 架(か)きてぃうちぇさ〔私を渡すつもりで 架けておいてあるよ〕。」吉屋チルーは薄幸な人で、病気か何かで若いうちに死んだんでしょうね。それで兄弟が、吉屋チルーの遺骨を甕に入れて担いで帰る途中に、首里の経塚にある茶山にさしかかった。そこは中城御殿所有の御殿地で、その頃は王様の娯楽の場として茶山というのがあった。昔のムラアシビや村芝居は、茶山で行われていたそうだ。甕を担いでいた兄弟達も疲れたんでしょうね。甕を担いでいるのを降ろして休んでいると、側で見ていた人達が、「ここは何という所かなあ、こんなにアシビが賑わっている部落もあるもんだね。」と。大変珍しがってお互いで話していたら、「拝(うが)りうがんぶさ 首里(すい)てぃんじゃなし〔行ってみたいよ 首里御天じゃなし〕遊(あし)りうちゃがいぬ 御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)〔遊ぶにはちょうどいいよ 御茶屋御殿〕。」と、甕の中で歌ったって。それを聞いた若者達は、「これは吉屋チルーの声だが、吉屋は死んだと聞いていたのだが、今も生きているのかな。」と尋ねてみると、「吉屋チルーは亡くなって洗骨もし、私達は身内だが、生まれ島に連れて行くところだよ。」と答えた。だから、死んで甕の中から歌が聞こえてきたって。そういうことはあり得ないから、これはもう錯覚かも分からないがね、そんなふうに聞こえたって。それで、そこで踊りをしていた若者達は、いくらかのお金を集めて、「このお金で法事をして下さい。」と兄弟に渡したから、それで、法事も済ませたという話。
| レコード番号 | 47O373973 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C173 |
| 決定題名 | 吉屋チルー(シマグチ混) |
| 話者がつけた題名 | 吉屋チルー |
| 話者名 | 浦崎政夫 |
| 話者名かな | うらさきまさお |
| 生年月日 | 19150301 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村親志 |
| 記録日 | 19930120 |
| 記録者の所属組織 | 読谷村ゆうがおの会 |
| 元テープ番号 | 読谷村親志T03A19 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集12上地・親志・都屋の民話 P175 |
| キーワード | 「恨む比謝橋,吉屋チルー,薄幸,病気,遺骨,甕,首里の経塚,茶山,中城御殿,王様の娯楽,ムラアシビや村芝居,御茶屋御殿 |
| 梗概(こうがい) | 「恨(うら)む比謝橋(ひじゃばし)や 情(なさ)きねん人(ひとぅ)ぬ〔恨む比謝橋は 情けのない人が〕私(わん)渡(わた)さとぅむてぃ 架(か)きてぃうちぇさ〔私を渡すつもりで 架けておいてあるよ〕。」吉屋チルーは薄幸な人で、病気か何かで若いうちに死んだんでしょうね。それで兄弟が、吉屋チルーの遺骨を甕に入れて担いで帰る途中に、首里の経塚にある茶山にさしかかった。そこは中城御殿所有の御殿地で、その頃は王様の娯楽の場として茶山というのがあった。昔のムラアシビや村芝居は、茶山で行われていたそうだ。甕を担いでいた兄弟達も疲れたんでしょうね。甕を担いでいるのを降ろして休んでいると、側で見ていた人達が、「ここは何という所かなあ、こんなにアシビが賑わっている部落もあるもんだね。」と。大変珍しがってお互いで話していたら、「拝(うが)りうがんぶさ 首里(すい)てぃんじゃなし〔行ってみたいよ 首里御天じゃなし〕遊(あし)りうちゃがいぬ 御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)〔遊ぶにはちょうどいいよ 御茶屋御殿〕。」と、甕の中で歌ったって。それを聞いた若者達は、「これは吉屋チルーの声だが、吉屋は死んだと聞いていたのだが、今も生きているのかな。」と尋ねてみると、「吉屋チルーは亡くなって洗骨もし、私達は身内だが、生まれ島に連れて行くところだよ。」と答えた。だから、死んで甕の中から歌が聞こえてきたって。そういうことはあり得ないから、これはもう錯覚かも分からないがね、そんなふうに聞こえたって。それで、そこで踊りをしていた若者達は、いくらかのお金を集めて、「このお金で法事をして下さい。」と兄弟に渡したから、それで、法事も済ませたという話。 |
| 全体の記録時間数 | 3:28 |
| 物語の時間数 | 3:28 |
| 言語識別 | 混在 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |