屋良のアマンジャナー(シマグチ)

概要

アマンジャラーという人は屋良ムルチに捨てられていた捨て子であったらしいが、人間には運命というのがあるからね、小さい頃に捨てられても、そこで魚でも取って食べたのか、どのように育ったかは分からないが、無事に成人したらしい。そしてだんだん大きく育っていき、頑丈者になったので、勝連城で百姓として使われるようになった。そして次第に力も強くなったので、「城主を殺して私が大将になってやる。」という思いを抱くようになったんでしょうね。ある時、漁師に、「松明をつけて、船を何隻もこちらに寄せて来てくれ。」と頼んだ。そして海の方から、松明をつけて攻めて来たので、「今、あそこから戦争が攻めてきますよ。」と、城主に合図して外に出した。外に出して、海の岸壁にだんだん追いつめていき、突き落としたそうだ。そういうふうにして勝連按司を突き落とし、それから阿麻和利は勝連城の按司となった。それからまた、中城御殿の長女が護佐丸の妻だったらしいが、「次女もまた、この人に娘を嫁としてあげておけば、私にはそういうことはしないだろう。」と、中城御殿は、娘を阿麻和利のウナジャラとして、妻にさせたそうだ。そうであるんだが、この阿麻和利はあまりにも勢力が強かった。もうどうしても、「天下を自分の思いのままにしなければいけない。」という思いがあったようだ。中城護佐丸は、実際には座喜味城にいたそうだよ。山田城から座喜味城に移り、座喜味城は護佐丸が造ったそうだ。そして護佐丸は、山田城から座喜味城へ移ってきて、城を築きあげていた。しかし、首里城、中山が、「中城と勝連との間に護佐丸を連れて来ないと勝連城から私の所へ攻めてくる恐れがある。」と。それで中山の命令でね、読谷の座喜味城にいるのを、中城に引っ越したということだ。阿麻和利はまた、「これは護佐丸を倒さないことには、首里城も手にすることは出来ない。」と企んだ。首里城の婿ではあるんだからね。首里城で嘘をついたが、最初は中山も信じようとはしなかったようだ。その時、中城は新築中であったそうだよ。それで使いをよこして、あちらの様子を見に行った。もうそれは周囲から様子を見ているだけなので、はっきりは分からなかったようだ。そして、「ああそうでしたよ。その通りでした。」と返答した。勝連城は嘘をついて、自分が大将になって中城に使いをよこしていたのである。そうしたらもう、「実際に護佐丸がそうするはずはない。」と信じられなかったが、様子を見に行った人が悪かったんでしょうね。眠っているうちに使いをよこし、中山の命令だと言って、中城に戦争をしかけていった。すると護佐丸もそうではないと思っていたんだが、中山の命令なので手向かうわけにはいかない。「私の誠に間違いはない。私は誠だ。」と。戦争をしたら中山に勝つ可能性はあるんだが、中山の命令なのでやむを得ないと切腹したそうだ。またそれは芝居にもあったよ。子供達や妻も殺して、中城の按司は、自分も切腹するというふうにね。そして下の子一人だけは、乳親が暇をもらって連れて行った。その後、それがはっきりしたので、阿麻和利は中山に戦争をしかけていったが負けてしまったそうだ。楚辺のエンミ原というのがあるがね。そこには戦前、闘牛場があった。そこまで阿麻和利は中山の軍勢に追われてきた。そしてもう中山に追いつめられてしまって、「エンミ〔ごめんなさい〕でした。」ということで、そこにはエンミ原というハル名があったよ。そうしてそこでエンミして、多分殺されたのか、今でも楚辺の上の方に屋良墓というのがあるという話だよ。

再生時間:8:43

民話詳細DATA

レコード番号 47O373529
CD番号 47O37C153
決定題名 屋良のアマンジャナー(シマグチ)
話者がつけた題名 屋良のアマンジャナー
話者名 照屋牛五郎
話者名かな てるやうしごろう
生年月日 18981204
性別
出身地 沖縄県読谷村楚辺
記録日 19770220
記録者の所属組織 読谷村民話調査団
元テープ番号 読谷村楚辺T06B01
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情 祝いの座で親戚の老人から聞いた。
文字化資料 読谷村民話資料集11楚辺の民話 P192
キーワード アマンジャラー,屋良ムルチ,捨て子,頑丈者,勝連城,松明,戦争,勝連按司,阿麻和利,中城御殿の長女,護佐丸の妻,阿麻和利のウナジャラ,座喜味城,山田城,首里城,中山,首里城の婿,中城は新築中,切腹,エンミ原,屋良墓
梗概(こうがい) アマンジャラーという人は屋良ムルチに捨てられていた捨て子であったらしいが、人間には運命というのがあるからね、小さい頃に捨てられても、そこで魚でも取って食べたのか、どのように育ったかは分からないが、無事に成人したらしい。そしてだんだん大きく育っていき、頑丈者になったので、勝連城で百姓として使われるようになった。そして次第に力も強くなったので、「城主を殺して私が大将になってやる。」という思いを抱くようになったんでしょうね。ある時、漁師に、「松明をつけて、船を何隻もこちらに寄せて来てくれ。」と頼んだ。そして海の方から、松明をつけて攻めて来たので、「今、あそこから戦争が攻めてきますよ。」と、城主に合図して外に出した。外に出して、海の岸壁にだんだん追いつめていき、突き落としたそうだ。そういうふうにして勝連按司を突き落とし、それから阿麻和利は勝連城の按司となった。それからまた、中城御殿の長女が護佐丸の妻だったらしいが、「次女もまた、この人に娘を嫁としてあげておけば、私にはそういうことはしないだろう。」と、中城御殿は、娘を阿麻和利のウナジャラとして、妻にさせたそうだ。そうであるんだが、この阿麻和利はあまりにも勢力が強かった。もうどうしても、「天下を自分の思いのままにしなければいけない。」という思いがあったようだ。中城護佐丸は、実際には座喜味城にいたそうだよ。山田城から座喜味城に移り、座喜味城は護佐丸が造ったそうだ。そして護佐丸は、山田城から座喜味城へ移ってきて、城を築きあげていた。しかし、首里城、中山が、「中城と勝連との間に護佐丸を連れて来ないと勝連城から私の所へ攻めてくる恐れがある。」と。それで中山の命令でね、読谷の座喜味城にいるのを、中城に引っ越したということだ。阿麻和利はまた、「これは護佐丸を倒さないことには、首里城も手にすることは出来ない。」と企んだ。首里城の婿ではあるんだからね。首里城で嘘をついたが、最初は中山も信じようとはしなかったようだ。その時、中城は新築中であったそうだよ。それで使いをよこして、あちらの様子を見に行った。もうそれは周囲から様子を見ているだけなので、はっきりは分からなかったようだ。そして、「ああそうでしたよ。その通りでした。」と返答した。勝連城は嘘をついて、自分が大将になって中城に使いをよこしていたのである。そうしたらもう、「実際に護佐丸がそうするはずはない。」と信じられなかったが、様子を見に行った人が悪かったんでしょうね。眠っているうちに使いをよこし、中山の命令だと言って、中城に戦争をしかけていった。すると護佐丸もそうではないと思っていたんだが、中山の命令なので手向かうわけにはいかない。「私の誠に間違いはない。私は誠だ。」と。戦争をしたら中山に勝つ可能性はあるんだが、中山の命令なのでやむを得ないと切腹したそうだ。またそれは芝居にもあったよ。子供達や妻も殺して、中城の按司は、自分も切腹するというふうにね。そして下の子一人だけは、乳親が暇をもらって連れて行った。その後、それがはっきりしたので、阿麻和利は中山に戦争をしかけていったが負けてしまったそうだ。楚辺のエンミ原というのがあるがね。そこには戦前、闘牛場があった。そこまで阿麻和利は中山の軍勢に追われてきた。そしてもう中山に追いつめられてしまって、「エンミ〔ごめんなさい〕でした。」ということで、そこにはエンミ原というハル名があったよ。そうしてそこでエンミして、多分殺されたのか、今でも楚辺の上の方に屋良墓というのがあるという話だよ。
全体の記録時間数 8:43
物語の時間数 8:43
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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