ドゥーヌヒャー(シマグチ)

概要

この堂之比屋(どぅーぬひゃー)は赤ちゃんの頃に首里にある寺の屋敷内に捨てられていたそうだ。捨
てられているのをある坊主が、「ここに赤ちゃんが捨てられているよ。」と見つけた。そうしてその坊さんはまた、その場から黒衣装を身に着けた大変大きな人が、逃げて行くのも見てしまった。「どういう人であったのか、大変大きな人が、そこから逃げて行ったよ。」とね。そうしてその赤ちゃんは寺で育てられることになった。赤ちゃんはそのようにして育てられていったのだが、神様か精霊だったのでしょうね、そのようにして育てられて、赤ちゃんは、親坊主が仕事を言いつけるまでに成長し、ドゥヌヒャーと言われるようになった。掃除するのも仕事の一つであった。その時分は寺には仏があるでしょう。その仏を避けて掃除をするんだがね。坊主が掃除をする時には中に入ると、「どいてくれ、そこを掃除するから。」などと一人言を呟いているから、いったい誰に物を言っているんだろうと、親坊主は節穴から覗いて見た。そうすると不思議なことに、仏は誰の手を借りることもなく、勝手に動いていた。そのようにして掃除を済ませていたので、節穴から覗いて知っていた親坊主は、「珍しいこともあるもんだ、この子は変わった子だ。」とこの坊主にこのような力があるということを認めていた。その坊主が成長した頃に、「沖縄の首里城を打ち落とす人が生まれているよ。」という噂が流れたので、その親坊主は心配になってきた。親坊主は、「お前ではないか、そんなことでもしたら大変なことだぞ。」と。そしてすぐさま、「早く逃げなさい。」と、自分の黒衣を身に着けさせ馬に乗せて、田舎に逃がしてやった。そうこうしているうちに、田舎に逃げているという噂が広まった。そして城の臣下が馬に乗って、坊主を追ってきたのである。ドゥーヌヒャーは高山にある北谷のトンネルを、無事に抜けて田舎に逃げて行った。そこでまた田舎で干されている着物に着替えて、さらに山原に向かって行った。しかし、昔は那覇から山原に通ずる道は一本しかなかった。また、昔は綱引き等に打つ、銅鉦という茶盆のような鉦があった。その銅鉦をドゥーヌヒャーが打つと地震のように地面が揺れたそうだ。そうしたから、銅鉦を打たせれば誰ということが分かるということで、もう首里城から道中を通る者は、一人残らず、銅鉦を打たせよという命令が出されて、「トゥー、トゥー。」と銅鉦を打たせたようだ。もうそのようにしても一向に地面が揺れることはなかった。そうしていると、ついにはドゥーヌヒャーの番にきてしまい、「お前も銅鉦打て。そうすれば通してやる。」と、銅鉦を打たせた。ドゥーヌヒャーが打つと、もう地震が揺れるように地面が揺れてしまった。「ああ、こいつだよ。」と捕まえようとしたが、ドゥーヌヒャーは一目散に逃げ出した。とてもすばしこかったので、比謝矼の橋を越えて、大湾、古堅に入ってきて、ここ楚辺のクミンドゥーまで逃げ延びてきた。クミンドゥーには昔、大きな木があったが、そこに隠れてしまった。クミンドゥーはどうしてそのような名が付いたかというとね、そこから久米島に逃げて行ったので、久米の字とドゥーヌヒャーと合わせて、クミンドゥーと名が付いたそうだ。ドゥーヌヒャーは、しばらくは隠れていたが、そこでもまた凌ぐことが出来ないと判断した。その時分はここの前ヌ浜からも、那覇に山原船が行き来していたそうだ。そしてその人も、「もうこの土地では生活することが出来ない。」と、クミンドゥーから出て、前ヌ浜から船に乗って出て行った。船は那覇に向かっているんだから、那覇に行けば捕まってしまうから、船に乗り沖まで来ると、船の進路を変えるためにすぐ台風が吹いてしまった。乗組員はそのために大変苦しんでいた。すると、ドゥーヌヒャーは、「騒ぐな、まず待て。騒ぐな。」と言った。そして呪文を書き海に投げると、不思議に台風はおさまってしまった。「この船は流れにまかせて進めば、命は助かるから、騒ぎもするな。」ともう方角を変えて那覇に行かないで、その船は久米島に流れて行った。そのようにして久米島に流れ着き、ドゥーヌヒャーは、そこで暮らすようになった。久米島というところは米もないし、何もない。「このように何も食べる物がないと生きてはいけない。」ということでね、それで、山の頂上の割れ目に湧を作り、水が出るようにしたということだよ。そこから、ずっと水を引いてたんぼを作ったそうだ。そのようにして久米島に長い期間住んでいた。そしたら、部落近くにある山の割れ目から岩がやがて落ちてきそうで、危険な状態なので、それで危ないということで、そこから移動させて、今は浜の近くに部落はあるそうだ。また馬は初めは海の生き物だったそうだ。しかし陸の食べ物を食べていて、海から上がろうとしている時に、ドゥーヌヒャーが、陸の作物を食い荒らさないように、「ドゥー。」と声をかけるとすぐ止まって、「これは陸の食べ物を食べるんだから。」と陸に引っ張り上げて人に使われるようになった。だから馬はね、泳ぎが上手で、爪が抜けるまで泳ぐそうだよ。その馬もドゥーヌヒャーが、「ドゥー。」と一声かけると、すぐ止まるそうだよ。

再生時間:9:39

民話詳細DATA

レコード番号 47O373349
CD番号 47O37C145
決定題名 ドゥーヌヒャー(シマグチ)
話者がつけた題名 ドゥーヌヒャー
話者名 松田芳
話者名かな まつだよし
生年月日 19110210
性別
出身地 沖縄県読谷村楚辺
記録日 19770220
記録者の所属組織 読谷村民話調査団
元テープ番号 読谷村楚辺T01B01
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情 昔話は父親が夕食後に話したりしていた。
文字化資料 読谷村民話資料集11楚辺の民話 P161
キーワード 堂之比屋,赤ちゃん,首里の寺,坊主,黒衣装,神様,精霊,ドゥヌヒャー,掃除,仏,節穴,親坊主,沖縄の首里城,田舎,城の臣下,馬,北谷のトンネル,山原,銅鉦,地震,比謝矼の橋,大湾,古堅,楚辺のクミンドゥー,大きな木,久米島,前ヌ浜,那覇,山原船,台風,呪文,山の頂上,湧,水,たんぼ,馬は初めは海の生き物,陸の食べ物,馬は泳ぎが上手
梗概(こうがい) この堂之比屋(どぅーぬひゃー)は赤ちゃんの頃に首里にある寺の屋敷内に捨てられていたそうだ。捨 てられているのをある坊主が、「ここに赤ちゃんが捨てられているよ。」と見つけた。そうしてその坊さんはまた、その場から黒衣装を身に着けた大変大きな人が、逃げて行くのも見てしまった。「どういう人であったのか、大変大きな人が、そこから逃げて行ったよ。」とね。そうしてその赤ちゃんは寺で育てられることになった。赤ちゃんはそのようにして育てられていったのだが、神様か精霊だったのでしょうね、そのようにして育てられて、赤ちゃんは、親坊主が仕事を言いつけるまでに成長し、ドゥヌヒャーと言われるようになった。掃除するのも仕事の一つであった。その時分は寺には仏があるでしょう。その仏を避けて掃除をするんだがね。坊主が掃除をする時には中に入ると、「どいてくれ、そこを掃除するから。」などと一人言を呟いているから、いったい誰に物を言っているんだろうと、親坊主は節穴から覗いて見た。そうすると不思議なことに、仏は誰の手を借りることもなく、勝手に動いていた。そのようにして掃除を済ませていたので、節穴から覗いて知っていた親坊主は、「珍しいこともあるもんだ、この子は変わった子だ。」とこの坊主にこのような力があるということを認めていた。その坊主が成長した頃に、「沖縄の首里城を打ち落とす人が生まれているよ。」という噂が流れたので、その親坊主は心配になってきた。親坊主は、「お前ではないか、そんなことでもしたら大変なことだぞ。」と。そしてすぐさま、「早く逃げなさい。」と、自分の黒衣を身に着けさせ馬に乗せて、田舎に逃がしてやった。そうこうしているうちに、田舎に逃げているという噂が広まった。そして城の臣下が馬に乗って、坊主を追ってきたのである。ドゥーヌヒャーは高山にある北谷のトンネルを、無事に抜けて田舎に逃げて行った。そこでまた田舎で干されている着物に着替えて、さらに山原に向かって行った。しかし、昔は那覇から山原に通ずる道は一本しかなかった。また、昔は綱引き等に打つ、銅鉦という茶盆のような鉦があった。その銅鉦をドゥーヌヒャーが打つと地震のように地面が揺れたそうだ。そうしたから、銅鉦を打たせれば誰ということが分かるということで、もう首里城から道中を通る者は、一人残らず、銅鉦を打たせよという命令が出されて、「トゥー、トゥー。」と銅鉦を打たせたようだ。もうそのようにしても一向に地面が揺れることはなかった。そうしていると、ついにはドゥーヌヒャーの番にきてしまい、「お前も銅鉦打て。そうすれば通してやる。」と、銅鉦を打たせた。ドゥーヌヒャーが打つと、もう地震が揺れるように地面が揺れてしまった。「ああ、こいつだよ。」と捕まえようとしたが、ドゥーヌヒャーは一目散に逃げ出した。とてもすばしこかったので、比謝矼の橋を越えて、大湾、古堅に入ってきて、ここ楚辺のクミンドゥーまで逃げ延びてきた。クミンドゥーには昔、大きな木があったが、そこに隠れてしまった。クミンドゥーはどうしてそのような名が付いたかというとね、そこから久米島に逃げて行ったので、久米の字とドゥーヌヒャーと合わせて、クミンドゥーと名が付いたそうだ。ドゥーヌヒャーは、しばらくは隠れていたが、そこでもまた凌ぐことが出来ないと判断した。その時分はここの前ヌ浜からも、那覇に山原船が行き来していたそうだ。そしてその人も、「もうこの土地では生活することが出来ない。」と、クミンドゥーから出て、前ヌ浜から船に乗って出て行った。船は那覇に向かっているんだから、那覇に行けば捕まってしまうから、船に乗り沖まで来ると、船の進路を変えるためにすぐ台風が吹いてしまった。乗組員はそのために大変苦しんでいた。すると、ドゥーヌヒャーは、「騒ぐな、まず待て。騒ぐな。」と言った。そして呪文を書き海に投げると、不思議に台風はおさまってしまった。「この船は流れにまかせて進めば、命は助かるから、騒ぎもするな。」ともう方角を変えて那覇に行かないで、その船は久米島に流れて行った。そのようにして久米島に流れ着き、ドゥーヌヒャーは、そこで暮らすようになった。久米島というところは米もないし、何もない。「このように何も食べる物がないと生きてはいけない。」ということでね、それで、山の頂上の割れ目に湧を作り、水が出るようにしたということだよ。そこから、ずっと水を引いてたんぼを作ったそうだ。そのようにして久米島に長い期間住んでいた。そしたら、部落近くにある山の割れ目から岩がやがて落ちてきそうで、危険な状態なので、それで危ないということで、そこから移動させて、今は浜の近くに部落はあるそうだ。また馬は初めは海の生き物だったそうだ。しかし陸の食べ物を食べていて、海から上がろうとしている時に、ドゥーヌヒャーが、陸の作物を食い荒らさないように、「ドゥー。」と声をかけるとすぐ止まって、「これは陸の食べ物を食べるんだから。」と陸に引っ張り上げて人に使われるようになった。だから馬はね、泳ぎが上手で、爪が抜けるまで泳ぐそうだよ。その馬もドゥーヌヒャーが、「ドゥー。」と一声かけると、すぐ止まるそうだよ。
全体の記録時間数 9:39
物語の時間数 9:39
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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