トーカチの御祝というのは、昔神様達が集まって、たとえばここから行くと、ウーシンニー渡慶次小学校の西側の小高くなったような所で、昔は碁もあったのか碁を打って居られたそうだ。楽しみながらやって居られる所から、学校へ通学している子供に、或る神様が「あんなに美しく生まれているもんだなあ。」と言うと、又一人の神様がも「だけど命が短くてねぇ。」と言われた。いつもそこから歩く度に、「こんなに美しい子供もいるね。」と言うと、残りの神がまた「命が短くてね。」と言われた。それで、家に帰って、母親に「私が学校から帰る度毎に神様が集まって楽しみなさっているが、見るごとに私に言われる言葉はいつも決まって、『この子はこんなに美しく生まれているけど、だけど徳が少く短命である。』と話して居られるよ。」と。「そうおっしゃる。そうしたらその理由を必ずその神様に逢って聞かないといけない。」と母親は心配してその神様達の所へ行った。案の定、七、八人集まって碁を打って居られるが、一人の神様がそこに居て、「その人の話をいつも聞いていますよ。」と言ったのでその神様に、「私の子が学校に通って居りますが、その度に『こんなにきれいに生まれているけれど、徳が少く短命とおっしゃる。』との事。それを子供から聞いて、どういう理由があって、そんなお話をなさるのでしょうか。必ずお話を聞かして下さい。」とお願いした。「それは本当は神様の帳簿に何性の子はいつまでの命とちゃんと帳面に記載されているんですよ。それでそう言われるんですよ。」と、「そうですか。どうしたらよいでしょうか必ず教えで下さいませ。」とひとりの神様にお願いした。「そんなら神様が碁を打って楽しんで居られる所に、御馳走、酒、肴を作って持って行き、何も言わずに知らんふりしておきなさい。」と教えた。その神様の教えた通り母親は色々の御馳走を作って、楽しんで居られる所に置いてあったら、碁を打ちながら、取っては食ベ、酒も注いでは飲みしてみんなおあがりになって、碁を打ち終って楽しみも終ってから「今日の御馳走はどこからきているのか、酒も肴もこんなにたくさん、これは珍しいと、私達も考えているけどどういう理由でどこから持って来てあるのか。」と、聞いた。そしたら、その教えた神様は「あのこちらから歩く子供はこんなに美しく生まれているが短命だと言われて、家に帰って、母親にその話を聞かしたら、親も心配して、どうしてそうおっしゃるのかと聞きに行ったら、やっぱし命が短いとの事とて帳面調べてもそうだとの事、それでは幾つまでの命がありますかと言ったら、十八までだったそうです。本当は帳面にちゃんと記されてあったそうです。そうしたらこれはもう少し徳をつけて命を長びかせて下さいとの皆様方にお願いしにこうして、御馳走、酒、肴持って来てあげてあります。「皆様方はおあがりになって居られますか。」と言うと、「飲んだ。」と答えた。「それではもうこれはどうした方がいいのか。」と、皆でひとりずつ話し合いをしているが、「これは貴方考えて下さい。難しいですね。」というと、それでは「何歳の誰、同じ性だから、あの人と取り替えてあげよう。取り替えてもう八つ、八カ年多くしてやろう。」と言った。また、この事を考えた神は、それから女親に、もうすこしお願いしなさいと教えた。十八の下に八つ増やせば二十六にしかならない。これだけの命なのでこうでもいけないと、「なんで、どうせ八つ多くくれるのであれば、皆様方吟味なさって上の方にもう八つ付けて下さい。」「そうですね。」と考えて、「これは下にしか加えることはできない。」としているが、「どうして同じ徳を付けて下さるのなら必ず上にお願いします。」と、頼んだ。そこで十八の上に八を足して米という字になって、八十八になっているでしょう。そうして「もう八つ上につけてあげよう」とおっしゃったので、八十八なっているでしょう。八十八のお祝は天の恵み、神様へのお礼、八十八のお祝はお礼の意味で必ず庭に出て神様にお礼をやるそうです。同年生と取り替えられているそうだ。だから同年生は同じ性なので、同じ年生れの人が病気をしても見舞いに行ってはならない。また葬式にも行ってはいけない。」ということである。昔から同年生の見舞いはするものではない。そんな所でも行ってはならないと、そういうことで同年生は見舞うものではないという話。だから、神様にありがたいという感謝の気持ちである。必ず庭に出てきて東に向かってする。この時の御願は、「これだけ寿命をのばしてくれてありがとうございます。」ということである。しかし御願する人が、「この人もこんなにたくさんの徳をつけてあられるが、もうすこし徳をつけて下さい。」ということで。トーカチを切る時は、前に少しだけ切って、外にはこれは子供や孫達にも徳をつけて下さいと切る。本当からいえば、御願する人がこういうふうに升に米を盛って、御願をする人がトーカチを切るところもあるが、本当は徳をつけられたトーカチ祝いをする本人が切るのである。これは歌とあててする。琉球の歌と。「升に米を盛ってトーカチを切り残った米は子や孫の分である。」と歌もあるよ。
| レコード番号 | 47O372215 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C097 |
| 決定題名 | 子供の寿命(シマグチ) |
| 話者がつけた題名 | トーカチ由来 |
| 話者名 | 福地祭良 |
| 話者名かな | ふくじさいりょう |
| 生年月日 | 18941206 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村渡慶次 |
| 記録日 | 19840405 |
| 記録者の所属組織 | 読谷ゆうがおの会 |
| 元テープ番号 | 読谷村渡慶次T09A07 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 本格昔話 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集7渡慶次の民話 P59 |
| キーワード | トーカチ,神様,碁,子供,徳が少く短命,御馳走,酒,肴,母親,十八の上に八,米,八十八,寿命 |
| 梗概(こうがい) | トーカチの御祝というのは、昔神様達が集まって、たとえばここから行くと、ウーシンニー渡慶次小学校の西側の小高くなったような所で、昔は碁もあったのか碁を打って居られたそうだ。楽しみながらやって居られる所から、学校へ通学している子供に、或る神様が「あんなに美しく生まれているもんだなあ。」と言うと、又一人の神様がも「だけど命が短くてねぇ。」と言われた。いつもそこから歩く度に、「こんなに美しい子供もいるね。」と言うと、残りの神がまた「命が短くてね。」と言われた。それで、家に帰って、母親に「私が学校から帰る度毎に神様が集まって楽しみなさっているが、見るごとに私に言われる言葉はいつも決まって、『この子はこんなに美しく生まれているけど、だけど徳が少く短命である。』と話して居られるよ。」と。「そうおっしゃる。そうしたらその理由を必ずその神様に逢って聞かないといけない。」と母親は心配してその神様達の所へ行った。案の定、七、八人集まって碁を打って居られるが、一人の神様がそこに居て、「その人の話をいつも聞いていますよ。」と言ったのでその神様に、「私の子が学校に通って居りますが、その度に『こんなにきれいに生まれているけれど、徳が少く短命とおっしゃる。』との事。それを子供から聞いて、どういう理由があって、そんなお話をなさるのでしょうか。必ずお話を聞かして下さい。」とお願いした。「それは本当は神様の帳簿に何性の子はいつまでの命とちゃんと帳面に記載されているんですよ。それでそう言われるんですよ。」と、「そうですか。どうしたらよいでしょうか必ず教えで下さいませ。」とひとりの神様にお願いした。「そんなら神様が碁を打って楽しんで居られる所に、御馳走、酒、肴を作って持って行き、何も言わずに知らんふりしておきなさい。」と教えた。その神様の教えた通り母親は色々の御馳走を作って、楽しんで居られる所に置いてあったら、碁を打ちながら、取っては食ベ、酒も注いでは飲みしてみんなおあがりになって、碁を打ち終って楽しみも終ってから「今日の御馳走はどこからきているのか、酒も肴もこんなにたくさん、これは珍しいと、私達も考えているけどどういう理由でどこから持って来てあるのか。」と、聞いた。そしたら、その教えた神様は「あのこちらから歩く子供はこんなに美しく生まれているが短命だと言われて、家に帰って、母親にその話を聞かしたら、親も心配して、どうしてそうおっしゃるのかと聞きに行ったら、やっぱし命が短いとの事とて帳面調べてもそうだとの事、それでは幾つまでの命がありますかと言ったら、十八までだったそうです。本当は帳面にちゃんと記されてあったそうです。そうしたらこれはもう少し徳をつけて命を長びかせて下さいとの皆様方にお願いしにこうして、御馳走、酒、肴持って来てあげてあります。「皆様方はおあがりになって居られますか。」と言うと、「飲んだ。」と答えた。「それではもうこれはどうした方がいいのか。」と、皆でひとりずつ話し合いをしているが、「これは貴方考えて下さい。難しいですね。」というと、それでは「何歳の誰、同じ性だから、あの人と取り替えてあげよう。取り替えてもう八つ、八カ年多くしてやろう。」と言った。また、この事を考えた神は、それから女親に、もうすこしお願いしなさいと教えた。十八の下に八つ増やせば二十六にしかならない。これだけの命なのでこうでもいけないと、「なんで、どうせ八つ多くくれるのであれば、皆様方吟味なさって上の方にもう八つ付けて下さい。」「そうですね。」と考えて、「これは下にしか加えることはできない。」としているが、「どうして同じ徳を付けて下さるのなら必ず上にお願いします。」と、頼んだ。そこで十八の上に八を足して米という字になって、八十八になっているでしょう。そうして「もう八つ上につけてあげよう」とおっしゃったので、八十八なっているでしょう。八十八のお祝は天の恵み、神様へのお礼、八十八のお祝はお礼の意味で必ず庭に出て神様にお礼をやるそうです。同年生と取り替えられているそうだ。だから同年生は同じ性なので、同じ年生れの人が病気をしても見舞いに行ってはならない。また葬式にも行ってはいけない。」ということである。昔から同年生の見舞いはするものではない。そんな所でも行ってはならないと、そういうことで同年生は見舞うものではないという話。だから、神様にありがたいという感謝の気持ちである。必ず庭に出てきて東に向かってする。この時の御願は、「これだけ寿命をのばしてくれてありがとうございます。」ということである。しかし御願する人が、「この人もこんなにたくさんの徳をつけてあられるが、もうすこし徳をつけて下さい。」ということで。トーカチを切る時は、前に少しだけ切って、外にはこれは子供や孫達にも徳をつけて下さいと切る。本当からいえば、御願する人がこういうふうに升に米を盛って、御願をする人がトーカチを切るところもあるが、本当は徳をつけられたトーカチ祝いをする本人が切るのである。これは歌とあててする。琉球の歌と。「升に米を盛ってトーカチを切り残った米は子や孫の分である。」と歌もあるよ。 |
| 全体の記録時間数 | 13:03 |
| 物語の時間数 | 13:03 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | ◎ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |