尚泰久の娘は、美しい娘で、百十踏揚といっていた。金丸のひとつの策略であったのだろう。阿麻和利に嫁がせ、鬼大城こと大城賢勇というムイヤカーをつけてあげた。百十踏揚が結婚したので、その見守り役として鬼大城は一緒に阿麻和利の城へ行った。現在、阿麻和利が謀反だと言われているが、誰が謀反だったか分らない。それで芝居にもあるでしょう。(阿麻和利)は中城に行くと護佐丸がいるので、座喜味を越えて出て与那原の浜に出て、そこで魚取りのふりをして、蓑を着けて来たようだね。そして、(阿麻和利は首里城へ行き、)「今、護佐丸が首里城を攻めようとして、武道具を作り戦いの準備をしています。」と告げると、「ほう、あれは私の妻の親であられる、そんなことはしないだろう。」と言った。「嘘と思われるのなら、使いの者をやって様子を探らせて下さい。」と言った。使いの者が行く途中に、阿麻和利の味方が隠れていて、「私達の言うことを聞かなければ、お前たちを殺すぞ。」とおどかされ、憶病者は(様子探りに行くことを)引き受けた。そして、そうではないと思っている強い者は、「お前たちが言うことは聞けぬ、私は中城にそれは本当かどうか確めに行く。」と、行った者は殺されてしまった。そうして、憶病者を連れて行った。〈按司になれば城を構えて、戦さのための武稽古をするのは当然でしょう。〉稽古しているのを見て、「どうだ、準備しているだろう。」と言われ、首里城に帰って行って、「戦さの準備をしていました。」と報告した。「さあ、それでは、(中城を)攻めないといけない。」ということになった。そして、攻めて行くことになり、勝連の百姓は皆、たいまつを持って、何月何日の夜に、中城をめざしてたいまつを持ってただ通るだけでいいからと、いうことであった。阿麻和利の側は幾人かがたいまつを持って寄せてきたのだが、(護佐丸は)多勢の武士が来たと思ったようだ。阿麻和利は首里城の旗を持ち、王様から「討って来い。」と命令されて、総大将として出てきたのであった。もう護佐丸は左側紋の旗が掲げられているのを見て、「上様に手向かいすることはできない。」と、家族とともに自害した。が、三男ひとりは生き残った。
| レコード番号 | 47O371915 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C083 |
| 決定題名 | 阿麻和利と護佐丸(方言) |
| 話者がつけた題名 | 阿麻和利と護佐丸 |
| 話者名 | 新城平永 |
| 話者名かな | あらしろへいえい |
| 生年月日 | 19210305 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村宇座 |
| 記録日 | 19830222 |
| 記録者の所属組織 | 読谷ゆうがおの会 |
| 元テープ番号 | 読谷村宇座T12A08 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | 渡慶次の国吉真幸 芝居 |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集6宇座の民話 P218 |
| キーワード | 尚泰久の娘,美しい娘,百十踏揚,金丸の策略,阿麻和利に嫁がせた,鬼大城こと大城賢勇,阿麻和利の城,阿麻和利が謀反,中城,護佐丸,座喜味,与那原の浜で魚取りのふり,首里城,武道具,戦さのための武稽古,勝連の百姓,中城,多勢の武士,阿麻和利は首里城の旗,王様,討って来い,左側紋の旗,家族とともに自害,三男ひとりは生き残った |
| 梗概(こうがい) | 尚泰久の娘は、美しい娘で、百十踏揚といっていた。金丸のひとつの策略であったのだろう。阿麻和利に嫁がせ、鬼大城こと大城賢勇というムイヤカーをつけてあげた。百十踏揚が結婚したので、その見守り役として鬼大城は一緒に阿麻和利の城へ行った。現在、阿麻和利が謀反だと言われているが、誰が謀反だったか分らない。それで芝居にもあるでしょう。(阿麻和利)は中城に行くと護佐丸がいるので、座喜味を越えて出て与那原の浜に出て、そこで魚取りのふりをして、蓑を着けて来たようだね。そして、(阿麻和利は首里城へ行き、)「今、護佐丸が首里城を攻めようとして、武道具を作り戦いの準備をしています。」と告げると、「ほう、あれは私の妻の親であられる、そんなことはしないだろう。」と言った。「嘘と思われるのなら、使いの者をやって様子を探らせて下さい。」と言った。使いの者が行く途中に、阿麻和利の味方が隠れていて、「私達の言うことを聞かなければ、お前たちを殺すぞ。」とおどかされ、憶病者は(様子探りに行くことを)引き受けた。そして、そうではないと思っている強い者は、「お前たちが言うことは聞けぬ、私は中城にそれは本当かどうか確めに行く。」と、行った者は殺されてしまった。そうして、憶病者を連れて行った。〈按司になれば城を構えて、戦さのための武稽古をするのは当然でしょう。〉稽古しているのを見て、「どうだ、準備しているだろう。」と言われ、首里城に帰って行って、「戦さの準備をしていました。」と報告した。「さあ、それでは、(中城を)攻めないといけない。」ということになった。そして、攻めて行くことになり、勝連の百姓は皆、たいまつを持って、何月何日の夜に、中城をめざしてたいまつを持ってただ通るだけでいいからと、いうことであった。阿麻和利の側は幾人かがたいまつを持って寄せてきたのだが、(護佐丸は)多勢の武士が来たと思ったようだ。阿麻和利は首里城の旗を持ち、王様から「討って来い。」と命令されて、総大将として出てきたのであった。もう護佐丸は左側紋の旗が掲げられているのを見て、「上様に手向かいすることはできない。」と、家族とともに自害した。が、三男ひとりは生き残った。 |
| 全体の記録時間数 | 3:39 |
| 物語の時間数 | 3:39 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | 〇 |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |