あのね、モーイ親方は非常に秀才で、親でも頭のあがらぬ所があったらしいよ。だけどバカのふりをしていた。あの人はバカのふりをしていて、夜隠れて勉強していたので、親はバカ者としか考えず、又隣近所の人達もモーヤーとしか呼ばなかった。髪もとかずにバサバサとした髪で歩きまわり、ウンチョービに櫛も入れず髪をもじゃもじゃとして歩いていた。その人の本当の名前は、伊野波盛平と言ったのだが伊野波盛平と呼ぶ人は一人としていなかった。灰縄御用の時に、父親も伊野波親方と言って、那覇の具志頭親方やその他表十五名の人達がモーイの家に集まって相談をやっていた。そこには筆も墨も置いてあった。(そこでモーイは)ゆっくり足で紙を抜き取り、筆を使わず、足の親指を使って「忠孝」という字を書いてその場に放り投げてあった。足の親指で書いてね、「忠孝」と。そうしたら、「この字は誰が書いたものか。」という事になったので、「これは私が書いたのであります。」と言った。父親は(びっくりして)、「何というどこをあんたが書いたというのか、お前は何も知らないバ力者なのに、これほどの字が書けるわけがない。」「とても上手に書けますよ、筆で書けばまだよい字ですが、これは足の指で書いたものですから、御覧にいれましょうか。」と足の指を出したら、まっ黒に墨がついていた。そうしたら父親は棒切れを持ってモーイを追おうとした。すると、他の親方が「待って下さい。これは普通の子どもではないようだ。この子に一応話を聞いてみよう。」と言うことになり、「お前にそれでは話を聞くのがあるが、あんたが分るかどうか、今私達はこのように困り果てているのだが、あんたも一緒に話を聞いてくれ」と言うと、「どうしてお父さん達はそんなによけいな心配をなさるのですか。」と言った。そばで(モーイ)は耳をすまして聞いていたのだろうね。それで「灰で縄を編んで持って来なさい」と、灰縄御用であった。それからもうひとつは弁が嶽、弁の御嶽をとり壊して、そのままの形で持って来なさい。それからもうひとつは何だったかな、雄鶏の卵、雄鶏の卵を持って来なさいと、いうことであった。「そのような事だったら、私には日常の軽い問題で考えることはないですよ。歩きながらでも解けることをそんなに心配なさいますか。」「ではどのようにしたら解けるというのだ。」「それはあなた達には分らない。私は向こうへ行って考えることにするので、この私を行かせて下さい。」と(モーイは)言った。すると父親は、「この子を行かそうものなら、この琉球は大変な事になる。少し待って下さい。この子は無知な者ですからどうかお許し下さい。」と父親は頼んだ。「どうしてあなたは、あの子は行きたいと言っているのだ。あんたの代わりに行くというのに、行かせなさい。」と言った。そして(薩摩に)出向いて行って、お辞儀をすると同時に、「実は私の父親が参上する予定でしたが、父親は産気づいており、私は長男なのでその代理としてまいりました。」と申し上げると、「どこに男性がお産するということがあるか。」と言われたので、すかさず「どこに、そうならば、どこに雄鶏が卵を産むという話がありますか、薩摩にそのような雄鶏が居るのでしたら見せて下さい。」と言って一問は解き終ったらしい。次に、「灰縄は持って来てあるか。」と言われたので「持って来てあります。」と答えた。縄を綯ってそれを燃やし、その燃えたのをお膳にそのまま置いて、「ここにきています。」と、それを見せた。灰で縄はできているでしょう。縄を綯ってから焼いたので、そのまま残っていたわけだ。それから三番目の弁が嶽はどうしたのか、持って来てあるのか。」と聞かれると、「持って来るつもりで準備しましたら、琉球は国柄が小さいため、弁が獄を積む船がなく御嶽を移動させて置いてあります。薩摩には弁が獄を積み込める大きな船がございましたら借して下さい。」と答えた。三つの難題ともみごとに解き終えたらしい。それでこれを家に帰したら、琉球は自分達の勝手にすることは出来ないと思い、あっちこっちで琴を弾かせた。モーイは琴の名人でもあった。琴を弾いていると襖の間から矢が飛んできたので、すぐに琴で矢を受け止めてあったらしい。それほど武術にも達人であったわけよ。それから何とか右衛門という人が、モーイが外に出て港の方へ逃げようとするのを見て、「まて!」と止められ、「あんたはどこへ行くのか。」と尋ねられたので、「私はこのように追われていて、琉球に戻ろうとしているのです。船に乗ろうと思っています。」と答えた。すると、「ではこの手形を持って行きなさい。」手形を持って行くとあんた一人乗せてすぐに船は出て行くはず、あの船だ。」と、手形を渡した。それで難をのがれて帰って来たという話だよ。この話は本当にあったかどうかはよく分らないけど、芝居でもよく上演されているものだよ。
| レコード番号 | 47O371835 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C080 |
| 決定題名 | モーイ親方 難題(共通語混) |
| 話者がつけた題名 | モーイ親方 |
| 話者名 | 新城平永 |
| 話者名かな | あらしろへいえい |
| 生年月日 | 19210305 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村宇座 |
| 記録日 | 19830302 |
| 記録者の所属組織 | 読谷ゆうがおの会 |
| 元テープ番号 | 読谷村宇座T10A07 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 笑話 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | 芝居 |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集6宇座の民話 P143 |
| キーワード | モーイ親方,秀才,バカのふり,夜隠れて勉強,モーヤー,髪もバサバサ,伊野波盛平,灰縄御用,父親は伊野波親方,那覇の具志頭親方,忠孝,弁が嶽,雄鶏の卵,薩摩,父親は産気づいている,雄鶏が卵を産むか,は弁が獄を積む船 |
| 梗概(こうがい) | あのね、モーイ親方は非常に秀才で、親でも頭のあがらぬ所があったらしいよ。だけどバカのふりをしていた。あの人はバカのふりをしていて、夜隠れて勉強していたので、親はバカ者としか考えず、又隣近所の人達もモーヤーとしか呼ばなかった。髪もとかずにバサバサとした髪で歩きまわり、ウンチョービに櫛も入れず髪をもじゃもじゃとして歩いていた。その人の本当の名前は、伊野波盛平と言ったのだが伊野波盛平と呼ぶ人は一人としていなかった。灰縄御用の時に、父親も伊野波親方と言って、那覇の具志頭親方やその他表十五名の人達がモーイの家に集まって相談をやっていた。そこには筆も墨も置いてあった。(そこでモーイは)ゆっくり足で紙を抜き取り、筆を使わず、足の親指を使って「忠孝」という字を書いてその場に放り投げてあった。足の親指で書いてね、「忠孝」と。そうしたら、「この字は誰が書いたものか。」という事になったので、「これは私が書いたのであります。」と言った。父親は(びっくりして)、「何というどこをあんたが書いたというのか、お前は何も知らないバ力者なのに、これほどの字が書けるわけがない。」「とても上手に書けますよ、筆で書けばまだよい字ですが、これは足の指で書いたものですから、御覧にいれましょうか。」と足の指を出したら、まっ黒に墨がついていた。そうしたら父親は棒切れを持ってモーイを追おうとした。すると、他の親方が「待って下さい。これは普通の子どもではないようだ。この子に一応話を聞いてみよう。」と言うことになり、「お前にそれでは話を聞くのがあるが、あんたが分るかどうか、今私達はこのように困り果てているのだが、あんたも一緒に話を聞いてくれ」と言うと、「どうしてお父さん達はそんなによけいな心配をなさるのですか。」と言った。そばで(モーイ)は耳をすまして聞いていたのだろうね。それで「灰で縄を編んで持って来なさい」と、灰縄御用であった。それからもうひとつは弁が嶽、弁の御嶽をとり壊して、そのままの形で持って来なさい。それからもうひとつは何だったかな、雄鶏の卵、雄鶏の卵を持って来なさいと、いうことであった。「そのような事だったら、私には日常の軽い問題で考えることはないですよ。歩きながらでも解けることをそんなに心配なさいますか。」「ではどのようにしたら解けるというのだ。」「それはあなた達には分らない。私は向こうへ行って考えることにするので、この私を行かせて下さい。」と(モーイは)言った。すると父親は、「この子を行かそうものなら、この琉球は大変な事になる。少し待って下さい。この子は無知な者ですからどうかお許し下さい。」と父親は頼んだ。「どうしてあなたは、あの子は行きたいと言っているのだ。あんたの代わりに行くというのに、行かせなさい。」と言った。そして(薩摩に)出向いて行って、お辞儀をすると同時に、「実は私の父親が参上する予定でしたが、父親は産気づいており、私は長男なのでその代理としてまいりました。」と申し上げると、「どこに男性がお産するということがあるか。」と言われたので、すかさず「どこに、そうならば、どこに雄鶏が卵を産むという話がありますか、薩摩にそのような雄鶏が居るのでしたら見せて下さい。」と言って一問は解き終ったらしい。次に、「灰縄は持って来てあるか。」と言われたので「持って来てあります。」と答えた。縄を綯ってそれを燃やし、その燃えたのをお膳にそのまま置いて、「ここにきています。」と、それを見せた。灰で縄はできているでしょう。縄を綯ってから焼いたので、そのまま残っていたわけだ。それから三番目の弁が嶽はどうしたのか、持って来てあるのか。」と聞かれると、「持って来るつもりで準備しましたら、琉球は国柄が小さいため、弁が獄を積む船がなく御嶽を移動させて置いてあります。薩摩には弁が獄を積み込める大きな船がございましたら借して下さい。」と答えた。三つの難題ともみごとに解き終えたらしい。それでこれを家に帰したら、琉球は自分達の勝手にすることは出来ないと思い、あっちこっちで琴を弾かせた。モーイは琴の名人でもあった。琴を弾いていると襖の間から矢が飛んできたので、すぐに琴で矢を受け止めてあったらしい。それほど武術にも達人であったわけよ。それから何とか右衛門という人が、モーイが外に出て港の方へ逃げようとするのを見て、「まて!」と止められ、「あんたはどこへ行くのか。」と尋ねられたので、「私はこのように追われていて、琉球に戻ろうとしているのです。船に乗ろうと思っています。」と答えた。すると、「ではこの手形を持って行きなさい。」手形を持って行くとあんた一人乗せてすぐに船は出て行くはず、あの船だ。」と、手形を渡した。それで難をのがれて帰って来たという話だよ。この話は本当にあったかどうかはよく分らないけど、芝居でもよく上演されているものだよ。 |
| 全体の記録時間数 | 6:44 |
| 物語の時間数 | 6:44 |
| 言語識別 | 混在 |
| 音源の質 | 〇 |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |