瀬利(しりー)ぬ武人(ぶさー)御主前(うすめー)と北谷屋良という武士、北谷屋良という武士の二人の話をしてみようか。読谷村渡ケ次のカタノーで競馬があったでしょう。その時に、北谷屋良の大武士もいらしたようだね。その人は武士でもあるが相撲も上手だったそうだ。その時、競馬が終ってから、日没後は各村から集まって来て県相撲をやった。県相撲をやった。そこに北谷屋良という大武士もいらしたようだ。あの人の得意は、サイ・三叉状のものを持って使うの、北谷屋良のサイと今でも残っているらしいよ。大武士だったようだ。それにまた、この瀬利ぬ武人という人は、首里勤めなさっていて、武勇が達者でシナイ役の位にあった。それで最終相僕はこの二人になってしまった。腕力は瀬利ぬ武人はずっと上であったので、「ハイ!ヤッチーぐゎー」とバカにされてしまった。北谷屋良はバカにされてしまった。「ハイ!ヤッチーぐゎー」「誰にヤッチーぐゎー」と始まり、「お前、誰にヤッチーぐゎーと言うか。ハイサイヤッチーと言えばいいのに、誰にヤッチーぐゎー」と言って、どうしたら喧嘩ができるかと思っていたのだろうね。あれも武士、これも武士なので、二人ともやりたいなと思っていたのだろう。すると、瀬名波の人達、西屋良の、あの、朝乗さんの祖父母がね、その人達で止めて、「お前ら二人が喧嘩をすれば一人は死ぬので、誰が勝とうと負けようと、お前達二人が喧嘩をすれば、仲裁できる者がいないのでやるな。」とつかまえていた。北谷屋良は、西屋良の親戚になっていて、ずっと昔の大タンメーが止めると、ようやく「そうしますか。」と、西屋良に連れて行った。そして、夕食も済んでから、(北谷屋良は)「こうでは心が治まらない。」と、西屋良のタンメーの目を盗んで宇座へ喧嘩を売りに行った。すると、宇座の青年達は、前宇座のアサギというて上等なアサギがあったよ。王様がいらした時はあそこの床に入れられたそうだ。アサギの床で寝泊まりしていた。瀬利のブサーをそのアサギに込めた。家は前宇座とは西と東の隣どうしであった。アサギに込めて二人を喧嘩させると一人は死ぬからと、宇座の青年達は棒を持って門に立っていた。そこへ、北谷屋良が門までおしかけてきて、「さあ大変!北谷屋良は来たぞ。」と、「喧嘩してはなりませんよ。」と宇座の青年達はびっくりして、「貴方がた二人が喧嘩をすると誰も仲裁はできない。一人は死ぬので許して下さい。」と、宇座の人達は訳を言った。また、瀬利の武人は、「えーここまで私を忍んで来るのか、どれ、私が殺してやろう。」と、戸をバンバン叩いて割って飛び出そうとした。飛び出そうとしたので、また前宇座のお爺さんも「そうではいけない川平の西屋良の人達はとても困っているので、腹立ちしてはならないよ。」と話をしていると、西屋良のタンメーがやって来られた。「お前はアタビチ(蛙)ここで喧嘩をするのであれば、私を殺してから喧嘩しなさい。」と、西屋良のタンメーさんが言った。「私を殺してから喧嘩しなさい。私達は廃藩の侍で宇座に世話をかけて、瀬名波に世話になって、そのようにしているのに、私達はどのように暮らしていけばいいか。お前がこんなふうにいさかいをおこすとは……。」と泣いてしまわれた。「私を殺してからお前たちは喧嘩しなさい。」と説得すると、それからはもう(二人とも)納得して、(北谷屋良は)家へ帰られたという話。大武士たちは、喧嘩をやってみたいと、思っているのだろうね。これは、昔からそういう話はあったよ。宇座でも。
| レコード番号 | 47O371831 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C080 |
| 決定題名 | 瀬利ぬ武人御主前と北谷屋良(共通語混) |
| 話者がつけた題名 | 瀬利ぬ武人御主前と北谷屋良 |
| 話者名 | 新城平永 |
| 話者名かな | あらしろへいえい |
| 生年月日 | 19210305 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村宇座 |
| 記録日 | 19830224 |
| 記録者の所属組織 | 読谷ゆうがおの会 |
| 元テープ番号 | 読谷村宇座T10A03 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 笑話 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集6宇座の民話 P106 |
| キーワード | 瀬利武人御主前,北谷屋良,読谷村渡ケ次のカタノーで競馬,相撲も上手,県相撲を,サ,大武士,首里勤め,西屋良の朝乗さんの祖父母,宇座へ喧嘩を売りに,宇座のアサギ |
| 梗概(こうがい) | 瀬利(しりー)ぬ武人(ぶさー)御主前(うすめー)と北谷屋良という武士、北谷屋良という武士の二人の話をしてみようか。読谷村渡ケ次のカタノーで競馬があったでしょう。その時に、北谷屋良の大武士もいらしたようだね。その人は武士でもあるが相撲も上手だったそうだ。その時、競馬が終ってから、日没後は各村から集まって来て県相撲をやった。県相撲をやった。そこに北谷屋良という大武士もいらしたようだ。あの人の得意は、サイ・三叉状のものを持って使うの、北谷屋良のサイと今でも残っているらしいよ。大武士だったようだ。それにまた、この瀬利ぬ武人という人は、首里勤めなさっていて、武勇が達者でシナイ役の位にあった。それで最終相僕はこの二人になってしまった。腕力は瀬利ぬ武人はずっと上であったので、「ハイ!ヤッチーぐゎー」とバカにされてしまった。北谷屋良はバカにされてしまった。「ハイ!ヤッチーぐゎー」「誰にヤッチーぐゎー」と始まり、「お前、誰にヤッチーぐゎーと言うか。ハイサイヤッチーと言えばいいのに、誰にヤッチーぐゎー」と言って、どうしたら喧嘩ができるかと思っていたのだろうね。あれも武士、これも武士なので、二人ともやりたいなと思っていたのだろう。すると、瀬名波の人達、西屋良の、あの、朝乗さんの祖父母がね、その人達で止めて、「お前ら二人が喧嘩をすれば一人は死ぬので、誰が勝とうと負けようと、お前達二人が喧嘩をすれば、仲裁できる者がいないのでやるな。」とつかまえていた。北谷屋良は、西屋良の親戚になっていて、ずっと昔の大タンメーが止めると、ようやく「そうしますか。」と、西屋良に連れて行った。そして、夕食も済んでから、(北谷屋良は)「こうでは心が治まらない。」と、西屋良のタンメーの目を盗んで宇座へ喧嘩を売りに行った。すると、宇座の青年達は、前宇座のアサギというて上等なアサギがあったよ。王様がいらした時はあそこの床に入れられたそうだ。アサギの床で寝泊まりしていた。瀬利のブサーをそのアサギに込めた。家は前宇座とは西と東の隣どうしであった。アサギに込めて二人を喧嘩させると一人は死ぬからと、宇座の青年達は棒を持って門に立っていた。そこへ、北谷屋良が門までおしかけてきて、「さあ大変!北谷屋良は来たぞ。」と、「喧嘩してはなりませんよ。」と宇座の青年達はびっくりして、「貴方がた二人が喧嘩をすると誰も仲裁はできない。一人は死ぬので許して下さい。」と、宇座の人達は訳を言った。また、瀬利の武人は、「えーここまで私を忍んで来るのか、どれ、私が殺してやろう。」と、戸をバンバン叩いて割って飛び出そうとした。飛び出そうとしたので、また前宇座のお爺さんも「そうではいけない川平の西屋良の人達はとても困っているので、腹立ちしてはならないよ。」と話をしていると、西屋良のタンメーがやって来られた。「お前はアタビチ(蛙)ここで喧嘩をするのであれば、私を殺してから喧嘩しなさい。」と、西屋良のタンメーさんが言った。「私を殺してから喧嘩しなさい。私達は廃藩の侍で宇座に世話をかけて、瀬名波に世話になって、そのようにしているのに、私達はどのように暮らしていけばいいか。お前がこんなふうにいさかいをおこすとは……。」と泣いてしまわれた。「私を殺してからお前たちは喧嘩しなさい。」と説得すると、それからはもう(二人とも)納得して、(北谷屋良は)家へ帰られたという話。大武士たちは、喧嘩をやってみたいと、思っているのだろうね。これは、昔からそういう話はあったよ。宇座でも。 |
| 全体の記録時間数 | 5:10 |
| 物語の時間数 | 5:10 |
| 言語識別 | 混在 |
| 音源の質 | ◎ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |