唐(とう)の下(くだ)りぬ蓄多奪(ちくたんば)いといって、万歳こうしや、正月二十日に行なわれるジュリ馬の踊りにもあるが、(その話をしよう。)これは、尚貞王四年頃に、辻と中島に遊郭、尾類の家が設けられた話だよ。最初は、那覇の龍界寺近辺に、チヂングヮーといって〈辻蔵と書いてチヂングヮーと読む〉そこに、娼婦たちが住んでいたそうだ。もちろん、そこの他にもあちらこちらにあったそうだが。当時、唐イチベーといって、唐の国へ行き、唐旅で成功したら大変な金満家になったそうだ。ものすごい大金持ちになったようだね。そこである人が考え出したことに、それほどまで儲けて来たなら、その中のわずかでも自分たちにもその儲けを分けてもらおうとして、その尾類の家、すなわち遊郭を思いたったわけだ。そうして、そこは(遊郭ができたことが)世間に広く知れわたった。「男は肋骨が不足」と言われるように、女をそこにおいておくだけで自然に集まって来た。お金を持っている人たちがね。女の大切な持ち物でお金持ちをおびきよせたわけだ。そんなふうにして、商売を始め、集まった男たちにお酒を飲ませ、女を買わすと、当然そこにお金は落ちていくでしょう。それを考えて、唐旅から帰ってきた人たちからお金を取るつもりできたわけだ。唐の下りの蓄多奪というのは、たくさん貯わえたお金を奪うということだよ。それでその歌ができたそうだ。それから後、その娼婦が増えついには唐の人、支那人までも誘惑するようになってしまった。そこで国王は、「こんなことではいけない。常に唐の国へ世話になって琉球国は儲けごとを行なっているわけだから、そんなことをさせてはならん。」と命令が下った。そして国王の命令で辻と中島に遊郭を設置した。また支那人を誘惑する者は、いくらといって咎に科せられたようだ。その咎というのは罰金とか島流しの刑で、そんなふうにして取り締まったそうだ。それでそのなごりが残って、今は尾類はいないから、芝居役者、舞踊研究所の人たちが尾類のような衣装で(唐の下りの蓄多奪い、正月二十日馬、ジュリ馬行列を)するでしょう。そのなごりだそうだ。蓄多奪(ちくたうば)うなんだが、「ちくたんばい」というそんな意味合いがあるんだよ。
| レコード番号 | 47O371808 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C078 |
| 決定題名 | 唐ぬ下りぬ畜多奪い(共通語混) |
| 話者がつけた題名 | 唐ぬ下りぬ畜多奪い |
| 話者名 | 新城平永 |
| 話者名かな | あらしろへいえい |
| 生年月日 | 19210305 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村宇座 |
| 記録日 | 19830222 |
| 記録者の所属組織 | 読谷ゆうがおの会 |
| 元テープ番号 | 読谷村宇座T09A04 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集6宇座の民話 P267 |
| キーワード | 唐の下りぬ蓄多奪い,万歳こうし,正月二十日,ジュリ馬の踊り,尚貞王四年頃,辻と中島に遊郭,尾類の家,那覇の龍界寺近辺,チヂングヮー,娼婦,唐イチベー,商売,唐旅,支那人を誘惑,国王の命令で辻と中島に遊郭を設置,支那人を誘惑する者は咎に科せられた,罰金とか島流しの刑 |
| 梗概(こうがい) | 唐(とう)の下(くだ)りぬ蓄多奪(ちくたんば)いといって、万歳こうしや、正月二十日に行なわれるジュリ馬の踊りにもあるが、(その話をしよう。)これは、尚貞王四年頃に、辻と中島に遊郭、尾類の家が設けられた話だよ。最初は、那覇の龍界寺近辺に、チヂングヮーといって〈辻蔵と書いてチヂングヮーと読む〉そこに、娼婦たちが住んでいたそうだ。もちろん、そこの他にもあちらこちらにあったそうだが。当時、唐イチベーといって、唐の国へ行き、唐旅で成功したら大変な金満家になったそうだ。ものすごい大金持ちになったようだね。そこである人が考え出したことに、それほどまで儲けて来たなら、その中のわずかでも自分たちにもその儲けを分けてもらおうとして、その尾類の家、すなわち遊郭を思いたったわけだ。そうして、そこは(遊郭ができたことが)世間に広く知れわたった。「男は肋骨が不足」と言われるように、女をそこにおいておくだけで自然に集まって来た。お金を持っている人たちがね。女の大切な持ち物でお金持ちをおびきよせたわけだ。そんなふうにして、商売を始め、集まった男たちにお酒を飲ませ、女を買わすと、当然そこにお金は落ちていくでしょう。それを考えて、唐旅から帰ってきた人たちからお金を取るつもりできたわけだ。唐の下りの蓄多奪というのは、たくさん貯わえたお金を奪うということだよ。それでその歌ができたそうだ。それから後、その娼婦が増えついには唐の人、支那人までも誘惑するようになってしまった。そこで国王は、「こんなことではいけない。常に唐の国へ世話になって琉球国は儲けごとを行なっているわけだから、そんなことをさせてはならん。」と命令が下った。そして国王の命令で辻と中島に遊郭を設置した。また支那人を誘惑する者は、いくらといって咎に科せられたようだ。その咎というのは罰金とか島流しの刑で、そんなふうにして取り締まったそうだ。それでそのなごりが残って、今は尾類はいないから、芝居役者、舞踊研究所の人たちが尾類のような衣装で(唐の下りの蓄多奪い、正月二十日馬、ジュリ馬行列を)するでしょう。そのなごりだそうだ。蓄多奪(ちくたうば)うなんだが、「ちくたんばい」というそんな意味合いがあるんだよ。 |
| 全体の記録時間数 | 4:25 |
| 物語の時間数 | 4:25 |
| 言語識別 | 混在 |
| 音源の質 | ◎ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |