義本王(方言)

概要

私たちの一門中は、そのアミフシモーを拝みに行くが、その物語だよ。そのアミフシモーを拝みに行くわけは昔からの由来伝説がある。その七カ月旱魃し、また七カ月も雨が降り続いたというのは、あれは嘉手納にある屋良ムルチの話だよ。(その屋良ムルチとは別に)義本王が王位についている頃は、七カ月雨が降り七カ月も旱魃が続いた世相であった。この義本王は、「私の人徳がないために御天道様に知れ、天候までくずれ、下人民を困らせてしまった。私をみんなで処罰してくれ。」と言った。そして義本王は処罰されることになった。その頃は、七カ月旱魃でその後七カ月も雨が降り続いたので、枯れ草がなく、青い薪をあちらこちらから集めた。〈またその時は、枯れたかずらや、その下の葉を炊いて食べたそうだよ。〉それからその義本土を、集めた青い薪で四方八方から取り囲みその薪を燃やした。すると、義本王は、立ち込める煙の中から逃げ出した。この屋良ムルチの周辺からてくてく歩き、ずっと国頭まで逃げのびたようだ。それから、義本王は国頭の辺土名についた。その辺土名の東の方に佐久間殿内があったそうだ。その佐久間殿内に着くと、そこでしばらく暮らしたようである。しかし、佐久間殿内でも暮らしにくくなってきた。王はその処罰されているとき煙の中から逃げ出したので、もうどこへ行ったのだろうか。どこで行方をくらましているのかと、御万人は思っているからね。国頭の佐久間殿内にいらしたが、そこから綱を一つもらい受け、その網を担いで、浜づたいに歩き続け、たどり着いた所は瀬名波ガーの瀬名波ガーの近くにあるムヌウムイヌカーに着いた。義本王は、そのムヌウムイヌカーの側まで来て、もう歩けるだけ歩き、ここに水の一滴、一滴でもあれば、私は喉の渇きをやわらげ一息入れられるのだがと思いそこで休まれていた。今、ムンヌカーといわれている所の周辺でね。〈またそこにはウマヌナガリーと言われる橋があるよ。その御願をする所だよ。ちょうど馬の背中のようにしていて、トンネルになっている所がある。そこを歩いたことはないかね。御願をする所より、こっちの方向だが。ムンヌカーといって、そこへ降りる手前にウマヌナガリーといわれるトンネルのような橋があるよ。〉そこで、義本王は水を求めることができ、「ああ、これで物を思うことができた。」と言った。そのムヌウムイヌカーから、水がチョンチョンとしたたり、岩の間から落ちてくる滴で物を思うことができたそうだ。そこは、義本土が水を召し上がった所と知られ、その御恩として今でも御願しているんだよ。水を飲んだ所として、私たち門中はね。義本王は、そこで水を飲み命をとりとめ、大きく息を吸いこみ元気になられたそうだ。その後、私たちの村(宇座)にたどり着かれたようである。もちろん佐久間殿内からの網を一つ持っていた。〈そうして、今残波岬の近くに私たちの旧部落があるでしょう。そこの西横目という家の屋敷にアダンが植えていた。「誰が植えたか知らねども」と歌にもあるでしょう。〉そして義本王は、残波岬の所からアダンを切って来た。またアダンは梢の部分が二股になっているでしょう。それを根こそぎ取って来て、葉は植え、幹とすすきで、家を作ってそこを住み家にしていたそうだ。その頃は、ちょうど七カ月旱魃があった。七カ月も雨が降った世相の後なので、何もなかった。そんな時に、義本王はアダンで家を作り宇座の部落へ住むようになった。それから、部落内にはイリガーといって井戸があるよ。イキガガー、イリガーと二カ所あるけど、義本王は持って来た網で魚を取り、その網はイリガーで濯いでいた。そうして、アミフシモーといわれる所は、昔は小高い丘になっていたが、今ではだいぶ平担になっているが、イリガーで洗った網をそこに干していた。そのグーフチューの網を大きく広げて干していたそうだ。その後、その土地は義本王が網を干されたというこで、私たちの一門中はアミフシモーを拝んでいるんだよ。ただこれだけしか分らない。

再生時間:7:28

民話詳細DATA

レコード番号 47O371787
CD番号 47O37C077
決定題名 義本王(方言)
話者がつけた題名 アミフシモー
話者名 山内チヨ
話者名かな やまうちちよ
生年月日 19200826
性別
出身地 沖縄県読谷村宇座
記録日 19830218
記録者の所属組織 読谷ゆうがおの会
元テープ番号 読谷村宇座T08A17
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード アミフシモー,七カ月旱魃,七カ月も雨,屋良ムルチ,義本王,王位,処罰,青い薪を燃やした,国頭の辺土名,佐久間殿内,綱,瀬名波ガーの瀬名波ガー,ムヌウムイヌカー,ウマヌナガリー,残波岬,西横目の屋敷にアダン,宇座の部落,イリガー,イキガガー,イリガー,魚
梗概(こうがい) 私たちの一門中は、そのアミフシモーを拝みに行くが、その物語だよ。そのアミフシモーを拝みに行くわけは昔からの由来伝説がある。その七カ月旱魃し、また七カ月も雨が降り続いたというのは、あれは嘉手納にある屋良ムルチの話だよ。(その屋良ムルチとは別に)義本王が王位についている頃は、七カ月雨が降り七カ月も旱魃が続いた世相であった。この義本王は、「私の人徳がないために御天道様に知れ、天候までくずれ、下人民を困らせてしまった。私をみんなで処罰してくれ。」と言った。そして義本王は処罰されることになった。その頃は、七カ月旱魃でその後七カ月も雨が降り続いたので、枯れ草がなく、青い薪をあちらこちらから集めた。〈またその時は、枯れたかずらや、その下の葉を炊いて食べたそうだよ。〉それからその義本土を、集めた青い薪で四方八方から取り囲みその薪を燃やした。すると、義本王は、立ち込める煙の中から逃げ出した。この屋良ムルチの周辺からてくてく歩き、ずっと国頭まで逃げのびたようだ。それから、義本王は国頭の辺土名についた。その辺土名の東の方に佐久間殿内があったそうだ。その佐久間殿内に着くと、そこでしばらく暮らしたようである。しかし、佐久間殿内でも暮らしにくくなってきた。王はその処罰されているとき煙の中から逃げ出したので、もうどこへ行ったのだろうか。どこで行方をくらましているのかと、御万人は思っているからね。国頭の佐久間殿内にいらしたが、そこから綱を一つもらい受け、その網を担いで、浜づたいに歩き続け、たどり着いた所は瀬名波ガーの瀬名波ガーの近くにあるムヌウムイヌカーに着いた。義本王は、そのムヌウムイヌカーの側まで来て、もう歩けるだけ歩き、ここに水の一滴、一滴でもあれば、私は喉の渇きをやわらげ一息入れられるのだがと思いそこで休まれていた。今、ムンヌカーといわれている所の周辺でね。〈またそこにはウマヌナガリーと言われる橋があるよ。その御願をする所だよ。ちょうど馬の背中のようにしていて、トンネルになっている所がある。そこを歩いたことはないかね。御願をする所より、こっちの方向だが。ムンヌカーといって、そこへ降りる手前にウマヌナガリーといわれるトンネルのような橋があるよ。〉そこで、義本王は水を求めることができ、「ああ、これで物を思うことができた。」と言った。そのムヌウムイヌカーから、水がチョンチョンとしたたり、岩の間から落ちてくる滴で物を思うことができたそうだ。そこは、義本土が水を召し上がった所と知られ、その御恩として今でも御願しているんだよ。水を飲んだ所として、私たち門中はね。義本王は、そこで水を飲み命をとりとめ、大きく息を吸いこみ元気になられたそうだ。その後、私たちの村(宇座)にたどり着かれたようである。もちろん佐久間殿内からの網を一つ持っていた。〈そうして、今残波岬の近くに私たちの旧部落があるでしょう。そこの西横目という家の屋敷にアダンが植えていた。「誰が植えたか知らねども」と歌にもあるでしょう。〉そして義本王は、残波岬の所からアダンを切って来た。またアダンは梢の部分が二股になっているでしょう。それを根こそぎ取って来て、葉は植え、幹とすすきで、家を作ってそこを住み家にしていたそうだ。その頃は、ちょうど七カ月旱魃があった。七カ月も雨が降った世相の後なので、何もなかった。そんな時に、義本王はアダンで家を作り宇座の部落へ住むようになった。それから、部落内にはイリガーといって井戸があるよ。イキガガー、イリガーと二カ所あるけど、義本王は持って来た網で魚を取り、その網はイリガーで濯いでいた。そうして、アミフシモーといわれる所は、昔は小高い丘になっていたが、今ではだいぶ平担になっているが、イリガーで洗った網をそこに干していた。そのグーフチューの網を大きく広げて干していたそうだ。その後、その土地は義本王が網を干されたというこで、私たちの一門中はアミフシモーを拝んでいるんだよ。ただこれだけしか分らない。
全体の記録時間数 7:28
物語の時間数 7:28
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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