那覇市の東町ね、昔、布町といって反物の商売をしていた所なんだ。もう東町の宮城(なーぐしく)というと誰でも知っていた。大変強い武人だったから。この人は、今の天皇陛下、今上天皇が摂政の宮だったころ、沖縄を代表して、空手をお目にかけたという人はこの人だということなんだ。それで、有名になってね、その人が二十四・五歳のころだったろう。今度は江戸相撲の巡業が来たそうだ那覇の前ぬ毛という所に、大和相撲がね。それで沖縄の相撲取りたちは、その人たちに比べると体も小さい。沖縄の相撲取りたちはみんな、飛び入りでも何でも、巡業だから飛び入りでも何でもいいからとさせてみるが、もうどうにもならない。沖縄の人たちには真似さえできない。プロなんだから。それで今度は、「柔道家も出て来い。」といって、「空手でもいいですよ。」と、空手でも出て来なさいということになったが、柔道家たちはおじけづいて出なかった。「私たちは相撲は習っていないもの。」といって、それで、空手でもいいよ、ということになったので、沖縄の空手の先生たちはもう心配した。出ないといっても迷惑、出ても迷惑、これはもうどうすればいいんだろうと、その先生たちはみんな集まって、武人松茂良タンメーたちも、沼松村もみんな心配なさって、それで、「出ても迷惑、出なくても迷惑なんだから、東の宮城、あの若者を出してみよう。」ということになった。それで、先生たちが決めて、「その人は力があるから、なんとかその人だったら何かできるかも知れん。」といって選ばれたのだが、その東の宮城は、もう若かったわけだ。「みなさんは私に相撲を教えてくれたのか、私は武稽古をしたのであって、私は相撲はあなた方から習っていません。」と断わったそうだ。「それじゃ、沖縄の空手界にとって、こんな迷惑なことはない。」と、「出ても迷惑、出なくても迷惑。あまりそいつらに馬鹿にされたのでは空手を広める手立てもないし、お前なら出来るということなんだからがん張れ。」というと、「それでは二、三日の余裕を下さい。」といって、そして戸を閉めて、誰も入れずに、自分の部屋で相撲の練習をしていたそうだ。一人相撲を。一人相撲。どうして習ったのかわからないのだが、誰にも見られずに。そして、「この人はもう鍵を入れて出て来ない。この人はこわがっているんじゃないか。もう行かない考えなんだろう。」とまた先生たちは心配したそうだ。そこで条件をつけて、「それじゃ、一日の入場料は、私が勝ったら私にくれるか。」ということになって、「はい、それでは、相撲取りや親方に聞いてみなければ。」と。「もし沖縄が勝ったら、沖縄の宮城という人を出すので、その人が勝ったら今日一日の入場料はその人のものにしていいか。」と行って聞くと、どうせ沖縄の人が勝つ見込みはないと、「はい、あげるよ。」といったので、「はい、それじゃいいよ。」といった。「お前が今日勝ったらね宮城、今日一日の儲けは、入場料は全部お前のものになることになっているよ」と。「そうですか。それじゃ気張ってみよう。」といった。そして、土俵は綱をめぐらしてあるでしょう。土俵ぎわをこのようにぐるぐる廻っていたそうだ。ずっと廻っていたそうだ。その人(相手)が「おいで、おいで」といっても近寄らなかったそうだ。ひたすらそこだけ、巡っていたようだ。こんなふうにして。するとその相撲取りは怒って、すぐ、ぱっと飛び出して来て、押し返そうとすると、その指二つ、指二つをつかんで投げつけた。その人が飛び出して来るのを待っていたわけだ。力の上ではその人にはとてもかなわないので。すぐ、ぱっと飛び出して来て、押し返そうとしたので、指二本をつかんで、もう投げつけた。その綱から外に出てしまうと負けさね。それで、大和相撲は一手だろう、一手なもんだから「もう私の勝ちだね。」というと、その大和の人は、「それは間違いだよ、もう一度勝負しよう。」と言ったそうだ。「大和相撲に二手はないじゃないか。」と言って、「でも二手とってもいいことはいいんだが、だけど、もう私のもの、私が勝ったんだから入場料は私のものなんですぞ。」と言った。「ああ、いいよ。」といって、もう一度勝負したそうだ。その人たちの希望なんだから。もう入場料はその人のものになったわけ、宮城のものになって。「望みならもう一度勝負していいよ。」とまた同じ手だったそうだ。土俵ぎわをぐるぐる廻って。また、今度は間違えずに押し返すつもりで飛び出して来たが、また同じ手口で(負けてしまった。)また指二本をつかんで投げつけた。そうすると、「おかしいなあ、おかしいなあ。」といっていたそうだ。
そういうことで武人の目はたいへんなものだね。宮城のタンメーがやったというのはね、那覇の、現在の県庁の東側に中国から甕を焼いたり、瓦を焼いたりする陶器の職人が三十六名、三十六姓さ、その中のひとりが(宮城タンメーの)子孫で、壷屋次郎という人がいたその人も大武人だったそうだ。その人から私はこの話を聞いたよ。
| レコード番号 | 47O371766 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C076 |
| 決定題名 | 東の宮城タンメー(方言) |
| 話者がつけた題名 | 東の宮城タンメー |
| 話者名 | 新城平永 |
| 話者名かな | あらしろへいえい |
| 生年月日 | 19210305 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村宇座 |
| 記録日 | 19830216 |
| 記録者の所属組織 | 読谷ゆうがおの会 |
| 元テープ番号 | 読谷村宇座T07B09 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 笑話 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集6宇座の民話 P121 |
| キーワード | 那覇市の東町,布町,反物の商売,東町の宮城,大変強い武人,天皇陛下,今上天皇が摂政の宮,沖縄代表で空手,江戸相撲の巡業,那覇の前ぬ毛,柔道家,武人松茂良タンメー,沼松村,入場料,壷屋次郎 |
| 梗概(こうがい) | 那覇市の東町ね、昔、布町といって反物の商売をしていた所なんだ。もう東町の宮城(なーぐしく)というと誰でも知っていた。大変強い武人だったから。この人は、今の天皇陛下、今上天皇が摂政の宮だったころ、沖縄を代表して、空手をお目にかけたという人はこの人だということなんだ。それで、有名になってね、その人が二十四・五歳のころだったろう。今度は江戸相撲の巡業が来たそうだ那覇の前ぬ毛という所に、大和相撲がね。それで沖縄の相撲取りたちは、その人たちに比べると体も小さい。沖縄の相撲取りたちはみんな、飛び入りでも何でも、巡業だから飛び入りでも何でもいいからとさせてみるが、もうどうにもならない。沖縄の人たちには真似さえできない。プロなんだから。それで今度は、「柔道家も出て来い。」といって、「空手でもいいですよ。」と、空手でも出て来なさいということになったが、柔道家たちはおじけづいて出なかった。「私たちは相撲は習っていないもの。」といって、それで、空手でもいいよ、ということになったので、沖縄の空手の先生たちはもう心配した。出ないといっても迷惑、出ても迷惑、これはもうどうすればいいんだろうと、その先生たちはみんな集まって、武人松茂良タンメーたちも、沼松村もみんな心配なさって、それで、「出ても迷惑、出なくても迷惑なんだから、東の宮城、あの若者を出してみよう。」ということになった。それで、先生たちが決めて、「その人は力があるから、なんとかその人だったら何かできるかも知れん。」といって選ばれたのだが、その東の宮城は、もう若かったわけだ。「みなさんは私に相撲を教えてくれたのか、私は武稽古をしたのであって、私は相撲はあなた方から習っていません。」と断わったそうだ。「それじゃ、沖縄の空手界にとって、こんな迷惑なことはない。」と、「出ても迷惑、出なくても迷惑。あまりそいつらに馬鹿にされたのでは空手を広める手立てもないし、お前なら出来るということなんだからがん張れ。」というと、「それでは二、三日の余裕を下さい。」といって、そして戸を閉めて、誰も入れずに、自分の部屋で相撲の練習をしていたそうだ。一人相撲を。一人相撲。どうして習ったのかわからないのだが、誰にも見られずに。そして、「この人はもう鍵を入れて出て来ない。この人はこわがっているんじゃないか。もう行かない考えなんだろう。」とまた先生たちは心配したそうだ。そこで条件をつけて、「それじゃ、一日の入場料は、私が勝ったら私にくれるか。」ということになって、「はい、それでは、相撲取りや親方に聞いてみなければ。」と。「もし沖縄が勝ったら、沖縄の宮城という人を出すので、その人が勝ったら今日一日の入場料はその人のものにしていいか。」と行って聞くと、どうせ沖縄の人が勝つ見込みはないと、「はい、あげるよ。」といったので、「はい、それじゃいいよ。」といった。「お前が今日勝ったらね宮城、今日一日の儲けは、入場料は全部お前のものになることになっているよ」と。「そうですか。それじゃ気張ってみよう。」といった。そして、土俵は綱をめぐらしてあるでしょう。土俵ぎわをこのようにぐるぐる廻っていたそうだ。ずっと廻っていたそうだ。その人(相手)が「おいで、おいで」といっても近寄らなかったそうだ。ひたすらそこだけ、巡っていたようだ。こんなふうにして。するとその相撲取りは怒って、すぐ、ぱっと飛び出して来て、押し返そうとすると、その指二つ、指二つをつかんで投げつけた。その人が飛び出して来るのを待っていたわけだ。力の上ではその人にはとてもかなわないので。すぐ、ぱっと飛び出して来て、押し返そうとしたので、指二本をつかんで、もう投げつけた。その綱から外に出てしまうと負けさね。それで、大和相撲は一手だろう、一手なもんだから「もう私の勝ちだね。」というと、その大和の人は、「それは間違いだよ、もう一度勝負しよう。」と言ったそうだ。「大和相撲に二手はないじゃないか。」と言って、「でも二手とってもいいことはいいんだが、だけど、もう私のもの、私が勝ったんだから入場料は私のものなんですぞ。」と言った。「ああ、いいよ。」といって、もう一度勝負したそうだ。その人たちの希望なんだから。もう入場料はその人のものになったわけ、宮城のものになって。「望みならもう一度勝負していいよ。」とまた同じ手だったそうだ。土俵ぎわをぐるぐる廻って。また、今度は間違えずに押し返すつもりで飛び出して来たが、また同じ手口で(負けてしまった。)また指二本をつかんで投げつけた。そうすると、「おかしいなあ、おかしいなあ。」といっていたそうだ。 そういうことで武人の目はたいへんなものだね。宮城のタンメーがやったというのはね、那覇の、現在の県庁の東側に中国から甕を焼いたり、瓦を焼いたりする陶器の職人が三十六名、三十六姓さ、その中のひとりが(宮城タンメーの)子孫で、壷屋次郎という人がいたその人も大武人だったそうだ。その人から私はこの話を聞いたよ。 |
| 全体の記録時間数 | 7:08 |
| 物語の時間数 | 7:08 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | 〇 |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |