本部サールー(共通語混)

概要

この人(本部(もとぶ)サールー)は喜屋武ミーと従兄ですよ。母親同志が姉妹で従兄にあたり、(二人は)同年生であった。喜屋武ミーとはね。この人が、沖縄の空手を広める為に大阪へいらしたそうだ。関西方面の人、みんなに教えこもうと。しかし、沖縄の空手に何ができる、柔道にもかなうかと思われ、それ程習う人はいなかった。そこで、その人の下宿屋ね、浅野という人の下宿にいたようだ。もう習い手がいない為、下宿賃も払えない程になり、下宿屋の主人は、「これはどうにかしてすかして、沖縄に帰さねばならない。」と思ったようだ。下宿賃を踏み倒されたら大変だとね。ちょうどその時、ロシア、ソ連さあね、ロシアから拳闘家、〈今のボクサーさ、昔はこれに拳闘と言っていた。今はボクシングと言うが。〉スカンジーという拳闘家がやって来た。関西の柔道家全部集めて試合したけど、ロシアのスカンジーに全員負けてしまった。ボクシングをする人、日本の拳闘家、柔道家もみんな負けてしまった。それを見に浅野の下宿屋の主人は、その本部サールーを連れて行った。そして、「どうだね本部さん、このような者に関西の柔道家は全部負けてしまったが、このような者に勝てるかね。」と言われた。すると、「これは攻撃するのはできるが受け手はわからないようだ。受け手は分らないのにそいつがは、私の手は受けることはできるまい。」と言った。浅野の下宿屋の主人は、「やはりお国自慢もあるなあ。」と笑ったそうだ。すると「私が出る。」と(本部サールーは)さっと飛び込んだようだ。背は低くてあまり高くはなかった。喜屋武ミーより少し高かったようだ。すると、今度は、警察が許可しなかった。こんなに小さい者が、とても大きい者とは無理だと言って警察が許可しなかった。しかし、(本部サールーは)すぐひざまづきして、ひざまづいて「日本国の為であれば私は死んでもよい。是非私に試合をさせて下さい。」と一生懸命頼んだので、ようやく許可された。(試合の時本部サールーは)グルグル逃げまわり、逃げまわって、一時息切れさせようと思い逃げまわった。もう疲れただろうなあと思った頃、一発はなした。一発こぶしをやり手のひらは広げていた。すると、相手は向こうによれかかって気を失い倒れてしまった。一発で気絶したので、「貴方は沖縄のげんこつでやったようだね。」と言われた。すると、「いや、私はこれで受けたのだ。」〈ほんとうはこぶしでやったのだが、習い込んでいる人は早いわけさ。〉早業であった。「ほんとうはこれでやると二つに割れてしまうがやってみましょうか。」と言うと、「もうやめた。」ということで、サールーはみごとに勝った。これは大阪の四貫島という所で、大正三年の頃の話ですよ。沖縄の人はね、「あっぱれサールー、サールー。」と手をたたいて喜んだそうだ。それで名誉挽回してね、サールーが出ないとサールーウメーが出ないと日本は迷惑したということだ。これは武勇伝。

再生時間:5:03

民話詳細DATA

レコード番号 47O371765
CD番号 47O37C076
決定題名 本部サールー(共通語混)
話者がつけた題名 本部サールー
話者名 新城平永
話者名かな あらしろへいえい
生年月日 19210305
性別
出身地 沖縄県読谷村宇座
記録日 19830216
記録者の所属組織 読谷ゆうがおの会
元テープ番号 読谷村宇座T07B08
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 笑話
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 読谷村民話資料集6宇座の民話 P132
キーワード 本部サールーは喜屋武ミーと従兄,母親同志が姉妹,沖縄の空手,大阪,浅野,ロシアから拳闘家,スカンジー,武勇伝
梗概(こうがい) この人(本部(もとぶ)サールー)は喜屋武ミーと従兄ですよ。母親同志が姉妹で従兄にあたり、(二人は)同年生であった。喜屋武ミーとはね。この人が、沖縄の空手を広める為に大阪へいらしたそうだ。関西方面の人、みんなに教えこもうと。しかし、沖縄の空手に何ができる、柔道にもかなうかと思われ、それ程習う人はいなかった。そこで、その人の下宿屋ね、浅野という人の下宿にいたようだ。もう習い手がいない為、下宿賃も払えない程になり、下宿屋の主人は、「これはどうにかしてすかして、沖縄に帰さねばならない。」と思ったようだ。下宿賃を踏み倒されたら大変だとね。ちょうどその時、ロシア、ソ連さあね、ロシアから拳闘家、〈今のボクサーさ、昔はこれに拳闘と言っていた。今はボクシングと言うが。〉スカンジーという拳闘家がやって来た。関西の柔道家全部集めて試合したけど、ロシアのスカンジーに全員負けてしまった。ボクシングをする人、日本の拳闘家、柔道家もみんな負けてしまった。それを見に浅野の下宿屋の主人は、その本部サールーを連れて行った。そして、「どうだね本部さん、このような者に関西の柔道家は全部負けてしまったが、このような者に勝てるかね。」と言われた。すると、「これは攻撃するのはできるが受け手はわからないようだ。受け手は分らないのにそいつがは、私の手は受けることはできるまい。」と言った。浅野の下宿屋の主人は、「やはりお国自慢もあるなあ。」と笑ったそうだ。すると「私が出る。」と(本部サールーは)さっと飛び込んだようだ。背は低くてあまり高くはなかった。喜屋武ミーより少し高かったようだ。すると、今度は、警察が許可しなかった。こんなに小さい者が、とても大きい者とは無理だと言って警察が許可しなかった。しかし、(本部サールーは)すぐひざまづきして、ひざまづいて「日本国の為であれば私は死んでもよい。是非私に試合をさせて下さい。」と一生懸命頼んだので、ようやく許可された。(試合の時本部サールーは)グルグル逃げまわり、逃げまわって、一時息切れさせようと思い逃げまわった。もう疲れただろうなあと思った頃、一発はなした。一発こぶしをやり手のひらは広げていた。すると、相手は向こうによれかかって気を失い倒れてしまった。一発で気絶したので、「貴方は沖縄のげんこつでやったようだね。」と言われた。すると、「いや、私はこれで受けたのだ。」〈ほんとうはこぶしでやったのだが、習い込んでいる人は早いわけさ。〉早業であった。「ほんとうはこれでやると二つに割れてしまうがやってみましょうか。」と言うと、「もうやめた。」ということで、サールーはみごとに勝った。これは大阪の四貫島という所で、大正三年の頃の話ですよ。沖縄の人はね、「あっぱれサールー、サールー。」と手をたたいて喜んだそうだ。それで名誉挽回してね、サールーが出ないとサールーウメーが出ないと日本は迷惑したということだ。これは武勇伝。
全体の記録時間数 5:03
物語の時間数 5:03
言語識別 共通語混
音源の質
テープ番号
予備項目1

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