ナービナクーと天モーモー(共通語混)

概要

宇座にね、「クージカンジャー」といって、「ナービナクー」といって、屋号がある。これは、石器時
代から鉄器に、鉄器時代に変わった時の事である。尚質王代の。それで、各間切に、鉄が入ってきたので、各間切ごとに鍛冶屋を置いた。鍛冶屋。鍬を打ったり、鋤を作ったりね。その前は、全部石で、斧でも、何でも、全部石であったわけだ。そして、そこの百姓に、鍛冶を教える間は、その村にずっと居た。それでもう教えこんだら、首里に帰った人もおるし、そのまま、ずっと居つづける人も、いらした。宇座の鍛冶屋は、鍋の底にあいた穴を修繕することまでなさったので、ずっといつまでも残っておられたらしい。
 それから、(その鍛冶屋が亡くなった後は)七月の盆も、正月も、あそこに又、御馳走を供えに行ったもんだ。それで、崇めているのだ。財産もあるのよ、屋敷もあって。家は瓦屋根であった。着物やら何やら、ケーのいっぱい入っていたのだが、今はもう、戦争で焼けてなくなって、それで今では、コンクリートの家に直してある。そして、今でも、ずっと拝んでいる。海の物が出来てくると、一番大きな魚は、あそこに供える。そういうふうであった。それから、そこには、琉球国王のね、大きな一合枡のくらいの判子が木の札に押されているよ。また、その職人の鑑札もあったよ。〈そして、それがあるという事は、東桃原のおじいさん、あの人が、「あの鑑札は昔からの物だ。おれはもう、鍛冶職手塩の鑑札だよ、大切にしなさいよ。」といって、あの人は、よくおっしゃっていた。〉で、その鍛冶屋が来ると、今度は、砥石も必要でしょう。砥いだり何かする砥石も。それがね、今現在その砥石があるんだがね、一屯半ぐらいあるんじゃないか重さが、あの与久田、そこの屋敷跡に今でもある。あそこのずっと上の御先祖様がね。与久田御地頭をなさっていたらしい。それで、御地頭職でいらっしゃるから、「あそこの畑に置いておけば誰も盗んだりしない。」といってね。皆に使わす、百姓全部に使わすために。今でも低いだ跡があるよ。砥石であったなーという形は、今でも変わらない。そのままあるよ。そして、あそこの畑に置いたまま、「これを、どこかにでも持っていくと、たたりがある。」といってね、そう言えば、誰も盗まないでしょう。「天から落ちて来たんだよ。御神加那志が、天から持っていらしたんだよ。」と言って。それで名前は、「天(てぃん)モーモー」と言うんだよ。大きくて牛に似ているよ。「天から落ちていらしたよ、神様が持って来てあるので、これをもう触ったり、割ったりしたら、たたりがあたって、お前死んでしまうよ。」と言ってね。その教えをやったためにね、今まで残っておるさ。「天モーモー」と言って。

再生時間:4:27

民話詳細DATA

レコード番号 47O371752
CD番号 47O37C076
決定題名 ナービナクーと天モーモー(共通語混)
話者がつけた題名 ナービナクーと天モーモー
話者名 新城平永
話者名かな あらしろへいえい
生年月日 19210305
性別
出身地 沖縄県読谷村宇座
記録日 19830215
記録者の所属組織 読谷ゆうがおの会
元テープ番号 読谷村宇座T07A10
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 読谷村民話資料集6宇座の民話 P298
キーワード 宇座,クージカンジャー,ナービナクー,石器時代から鉄器に,尚質王代,各間切に鉄,鍛冶屋,鍬,鋤,宇座の鍛冶屋,七月の盆,正月,御馳走を供えた,東桃原のおじいさん,鍛冶職手塩の鑑札,与久田の屋敷跡に今でもある,与久田御地頭,天モーモー
梗概(こうがい) 宇座にね、「クージカンジャー」といって、「ナービナクー」といって、屋号がある。これは、石器時 代から鉄器に、鉄器時代に変わった時の事である。尚質王代の。それで、各間切に、鉄が入ってきたので、各間切ごとに鍛冶屋を置いた。鍛冶屋。鍬を打ったり、鋤を作ったりね。その前は、全部石で、斧でも、何でも、全部石であったわけだ。そして、そこの百姓に、鍛冶を教える間は、その村にずっと居た。それでもう教えこんだら、首里に帰った人もおるし、そのまま、ずっと居つづける人も、いらした。宇座の鍛冶屋は、鍋の底にあいた穴を修繕することまでなさったので、ずっといつまでも残っておられたらしい。  それから、(その鍛冶屋が亡くなった後は)七月の盆も、正月も、あそこに又、御馳走を供えに行ったもんだ。それで、崇めているのだ。財産もあるのよ、屋敷もあって。家は瓦屋根であった。着物やら何やら、ケーのいっぱい入っていたのだが、今はもう、戦争で焼けてなくなって、それで今では、コンクリートの家に直してある。そして、今でも、ずっと拝んでいる。海の物が出来てくると、一番大きな魚は、あそこに供える。そういうふうであった。それから、そこには、琉球国王のね、大きな一合枡のくらいの判子が木の札に押されているよ。また、その職人の鑑札もあったよ。〈そして、それがあるという事は、東桃原のおじいさん、あの人が、「あの鑑札は昔からの物だ。おれはもう、鍛冶職手塩の鑑札だよ、大切にしなさいよ。」といって、あの人は、よくおっしゃっていた。〉で、その鍛冶屋が来ると、今度は、砥石も必要でしょう。砥いだり何かする砥石も。それがね、今現在その砥石があるんだがね、一屯半ぐらいあるんじゃないか重さが、あの与久田、そこの屋敷跡に今でもある。あそこのずっと上の御先祖様がね。与久田御地頭をなさっていたらしい。それで、御地頭職でいらっしゃるから、「あそこの畑に置いておけば誰も盗んだりしない。」といってね。皆に使わす、百姓全部に使わすために。今でも低いだ跡があるよ。砥石であったなーという形は、今でも変わらない。そのままあるよ。そして、あそこの畑に置いたまま、「これを、どこかにでも持っていくと、たたりがある。」といってね、そう言えば、誰も盗まないでしょう。「天から落ちて来たんだよ。御神加那志が、天から持っていらしたんだよ。」と言って。それで名前は、「天(てぃん)モーモー」と言うんだよ。大きくて牛に似ているよ。「天から落ちていらしたよ、神様が持って来てあるので、これをもう触ったり、割ったりしたら、たたりがあたって、お前死んでしまうよ。」と言ってね。その教えをやったためにね、今まで残っておるさ。「天モーモー」と言って。
全体の記録時間数 4:27
物語の時間数 4:27
言語識別 混在
音源の質
テープ番号
予備項目1

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