糸満のブントゥク御主前(うすめー)という人の話である。久米村の網打っちゃーが田で網打ちをしてターイユ(フナ)取りしていたので、ブントゥク御主前の親は、「田をこのようにして荒らして、稲から何から踏み倒して。」と、久米村の網打っちゃーに注意したら、「なんだと、百姓のぶんざいで。」と、久米の人が、(怒って)ブントゥク御主前の親を殺してしまった。それで亡くなるとき、ブントゥク御主前の親が死に際の遺言で、「私は久米村の誰某に殺されて死ぬのだから、私の敵を討ってくれ。」と言った。それで、親の遺言であるので〈ブントゥクというのは子だよ。〉ブントゥク御主前は支那へ空手を習いに行かれた。そこで空手を修得して帰られ、久米村に行き(敵に)「親の遺言で、私はお前を、敵討ちに来たので、今日は出て試合しろ。」と言うと、「そうか、よし。」ということになった。しかし試合したのであるが、(相手は)ブントゥクウスメーにひとたまりもなく倒されてしまった。死には至らなかったそうだがそれがたたって死んでしまった。それから、垣花の青年達が「今日は、ブントゥグウスメーが用事を終えて通るから、ガジャン坂で待ちぶせて、我々五人と、(ブントゥク御主前と)喧嘩してみよう。」と、青年達は待ちぶせた。(ブントゥクウスメーに)「これこれで、今日はお前が糸満へ帰るだろうということで待っていたので、我々五人とお前と、闘ってみよう。」と言った。「そうか、いいだろう。だが私とお前ら五人と闘うと、お前らが死ぬか、私が死ぬのか結果はわからないから、お前達の知り合いを頼んできて、証人として頼んで、(自分達は)死んでも悔やみませんということで保証人を捜してきなさい。自分も監獄の監視長に頼んで、自分の責任をもってもらうから。」と言った。そして何月何日、(決闘場)へ行くときに、〈垣花に馬場があったんだよ。そこで闘うということで〉ブントゥク御主前が青年達に「カーラダムン〈松の木の大きなもの、二人がかりで持てるような薪だよ。〉担いで来い」と言いつけた。担がせてそれを、足で蹴って割ったので、(青年達は)「珍しいな。」と言っていた。今度は、「芭蕉、青芭蕉を持って来い。」と言い、「ここに立てろ。」と言いつけ立てさせ、これが倒れる前に手でたち切ったんだよ。これをみて五人は、おそれをなして、逃げていってしまったそうだ。ブントゥク御主前の所に、空手を習いに青年達が訪ねて行くんだが、「空手を習うより、走る練習をしなさい。」とおっしゃったそうだ。絶対、誰にも空手を教えなかったらしい、あの人の空手は。私もね、二十四、五才の頃、(ブントゥク御主前を)見たんだが、あの人の笑い方はねー、人もふっとんでしまうくらいハハハーって笑っていたよ。自分が二十四、五才の頃まで、カンプー結っていたよ。現在の仲宗根のお爺さんと武太徳嶺ぐゎーの今百才になられる婆さんの夫のお爺さんと二人、牧港にカツオ釣りに行ったらしい。ブントゥク御主前もそこにいらっしゃたんだよ。そして武士の話をしていると、「宇地泊の青年達が、首里の往復、この足に三十斤もする、あの足にも三十斤する鉄の下駄を、首里の往復にはいて歩いていますよ。」と言ったら、「それが珍しいか。後から行って押してごらん。前へすぐ転んでしまうよ。」とおっしゃったんだって、ブントク御主前が。あんな大きな人は、現在ではいないね。
| レコード番号 | 47O371734 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C075 |
| 決定題名 | ブントゥクウスメー(方言) |
| 話者がつけた題名 | ブントゥクウスメー |
| 話者名 | 山内実 |
| 話者名かな | やまうちみのる |
| 生年月日 | 19010606 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村宇座 |
| 記録日 | 19770813 |
| 記録者の所属組織 | 読谷村民話調査団第16班 |
| 元テープ番号 | 読谷村宇座T05B11 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集6宇座の民話 P113 |
| キーワード | 糸満のブントゥク御主前久,米村の網打っちゃー,田で網打ち,百姓,久米の人,ブントゥク御主前の親を殺した,遺言,敵討ち,支那へ空手を習いに行った,垣花の青年達,ガジャン坂,カーラダムン,青芭蕉,仲宗根のお爺さんと武太徳嶺ぐゎーの今百才になられる婆さんの夫のお爺さんと,牧港にカツオ釣り,宇地泊の青年達,足に三十斤もする鉄の下駄, |
| 梗概(こうがい) | 糸満のブントゥク御主前(うすめー)という人の話である。久米村の網打っちゃーが田で網打ちをしてターイユ(フナ)取りしていたので、ブントゥク御主前の親は、「田をこのようにして荒らして、稲から何から踏み倒して。」と、久米村の網打っちゃーに注意したら、「なんだと、百姓のぶんざいで。」と、久米の人が、(怒って)ブントゥク御主前の親を殺してしまった。それで亡くなるとき、ブントゥク御主前の親が死に際の遺言で、「私は久米村の誰某に殺されて死ぬのだから、私の敵を討ってくれ。」と言った。それで、親の遺言であるので〈ブントゥクというのは子だよ。〉ブントゥク御主前は支那へ空手を習いに行かれた。そこで空手を修得して帰られ、久米村に行き(敵に)「親の遺言で、私はお前を、敵討ちに来たので、今日は出て試合しろ。」と言うと、「そうか、よし。」ということになった。しかし試合したのであるが、(相手は)ブントゥクウスメーにひとたまりもなく倒されてしまった。死には至らなかったそうだがそれがたたって死んでしまった。それから、垣花の青年達が「今日は、ブントゥグウスメーが用事を終えて通るから、ガジャン坂で待ちぶせて、我々五人と、(ブントゥク御主前と)喧嘩してみよう。」と、青年達は待ちぶせた。(ブントゥクウスメーに)「これこれで、今日はお前が糸満へ帰るだろうということで待っていたので、我々五人とお前と、闘ってみよう。」と言った。「そうか、いいだろう。だが私とお前ら五人と闘うと、お前らが死ぬか、私が死ぬのか結果はわからないから、お前達の知り合いを頼んできて、証人として頼んで、(自分達は)死んでも悔やみませんということで保証人を捜してきなさい。自分も監獄の監視長に頼んで、自分の責任をもってもらうから。」と言った。そして何月何日、(決闘場)へ行くときに、〈垣花に馬場があったんだよ。そこで闘うということで〉ブントゥク御主前が青年達に「カーラダムン〈松の木の大きなもの、二人がかりで持てるような薪だよ。〉担いで来い」と言いつけた。担がせてそれを、足で蹴って割ったので、(青年達は)「珍しいな。」と言っていた。今度は、「芭蕉、青芭蕉を持って来い。」と言い、「ここに立てろ。」と言いつけ立てさせ、これが倒れる前に手でたち切ったんだよ。これをみて五人は、おそれをなして、逃げていってしまったそうだ。ブントゥク御主前の所に、空手を習いに青年達が訪ねて行くんだが、「空手を習うより、走る練習をしなさい。」とおっしゃったそうだ。絶対、誰にも空手を教えなかったらしい、あの人の空手は。私もね、二十四、五才の頃、(ブントゥク御主前を)見たんだが、あの人の笑い方はねー、人もふっとんでしまうくらいハハハーって笑っていたよ。自分が二十四、五才の頃まで、カンプー結っていたよ。現在の仲宗根のお爺さんと武太徳嶺ぐゎーの今百才になられる婆さんの夫のお爺さんと二人、牧港にカツオ釣りに行ったらしい。ブントゥク御主前もそこにいらっしゃたんだよ。そして武士の話をしていると、「宇地泊の青年達が、首里の往復、この足に三十斤もする、あの足にも三十斤する鉄の下駄を、首里の往復にはいて歩いていますよ。」と言ったら、「それが珍しいか。後から行って押してごらん。前へすぐ転んでしまうよ。」とおっしゃったんだって、ブントク御主前が。あんな大きな人は、現在ではいないね。 |
| 全体の記録時間数 | 4:40 |
| 物語の時間数 | 4:40 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | ◎ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |