城間仲(共通語混)

概要

この城間ナーカという話は、昔から親や先輩の方々から大変良い教訓として、私達は話を聞いたよ。人間はどんなに儲けようとも、栄えようともこれはその人が本当に正直な者であれば、三代まで栄え続けるらしいよ。三代まで。一、二、三代まで。三代まで続いている財産であれば、真をつらぬきとおすとさらに五代まで続くんだって。その間、二代三代をすごす間に衰えたり栄えたりすることがあるわけ。この人が本当に正直な人であれば、三代まで保っていられる程の正直者であれば、五代まで保ち続けるのは大丈夫だと。五代まで続けばさらに七代、七代まで保てば、もうずっと栄え続け、衰えることがないという話である。その例えとして城間ナーカの話がある。この話は主人の日常の心がけがすばらしかったという話だがね。その城間ナーカの主人の考え方というのが‥‥。昔、那覇に通ずる道、〈今でいう五十八号線だろうね、それに代わる道があったわけだ〉汽車の通る線路や馬車道があった。その道沿いに城間ナーカの家はあった。〈今の浦添市城間にね〉、また、昔のいなかの人は芋を主食にしているでしょう、米というものはなかなか手に入らないから。この城間ナーカという家は田圃もあり米があった。普通、どこの金持ちの家でも、その家の主人だけが米を食べて、下男達には芋を食べさせていたよ。だいたいどこの村においても。それがこの城間ナーカの家では、芋もあるのだが、夕飯を食べた後に必ず、釜のいっぱい飯を作って置いたんだって。なぜかというと、ここは道のそばで、通りでは絶えず人が往来する、夜中に病人が出たりして急を要するとき、ご飯が必要になるときもあるからと、道中の人の為に絶えずご飯を準備していたそうだ。そんなわけで人々から高く評価されていた。この城間ナーカの主人は、そういうことで道中の人々の便宜をはかり、食事も準備していたという話だよ。ある年の大晦日のこと、城間ナーカは田圃も広く、米もたくさんとれるので、盗人が入りこみ天井に隠れていたらしい。主人は、盗人が隠れていることを分っていたようだ。主人は分っていながら、そのままにしていた。またその下で家事をしていた女中は気づいていなかったんだよ。いつもそこの主人、タンメーは、一番座に座って毎日の夕飯でも大晦日の夕飯でも高御膳で召し上がっていた。そうして、大晦日の晩に主人が言い付けたことは、「今日の夕飯は二人分持っておいで。」と言うことであった。女中は、どうしたんだろうと思ったわけさ、「御主人一人しかいらっしゃらないのにどうして二人分持って来いというのかな、お客も誰もいないのに二人分用意させるとはなぜだろう。」と思った。でも言われたとうり二人分作って持って行くと、主人が、「上にいる者も降りてきて年を越しなさい。」と言われたそうだ。夕飯も準備してあるでしょう。「年を越しなさい。」と言われたので、天井で隠れていた盗人は気づかれたんだなあと、あきらめて頬被りを解き、主人の前でわびを入れたようだね。盗人は、「実は、私は四、五人の子供がいて大晦日の晩といっても米一合を買う金もない。城間ナーカへ行けば何か分けてもらえるだろう、いや実は、何か盗めるだろうと思って忍びこみました。」と正直に白状したそうだ。主人は、そんなことだろうと感じていたから、「それは心配しなくても良い。」と言って、「夕飯もたくさん食べ、ここで年を越し、それから子供達の分も持って行きなさい。」と言い、米を持たせてやった。このように城間ナーカは大変心根のやさしい人だったわけだ。それで良い評判があるわけだ。それから、その昔、〈今から七十年以前だろうね〉ヒーカジといって七ヶ月間日照が続き、七ヶ月間雨が降り続いたことがあったそうだ。これは今から七十年前のことだが、その時台風が沖縄全島をおそい、ほとんどの(農作物が)被害をこうむった。〈今頃の十月台風は夏の台風と違うでしょう。夏の台風は、野菜などへ被害をもたらしてもすぐ復興できるが、冬場の台風はそうはいかないでしょう。〉その頃の人々の主食というのは芋でしょう、芋もカズラも全部被害を受け、ついには枯れたカズラを食べたという時世であった。緑という緑はなくなっていた。その台風のとき、城間ナーカは豪農だから、むしろや藁で編んだニクブクがあり、台風のときに、そのむしろやニクブクでカズラ畑一面をおおってあったそうだ。それで、そこだけはカズラの種が残って切らすことなく今だにあるって話だよ。芋の話だがね。最初に芋を持ってこられたのは野国総官だが、それから後、芋の種を絶やすことがなかったのは、このようなヒーカジのときにも、種として残したのは城間ナーカなんだよ。そういう、むしろでおおったりして思いやりを込めてやったのでこの種が続いて、まだ残っているという話だよ。それから、この城間ナーカは四、五人の下男を雇っていた。仕事をする人たちだよ。また、そこは豪農だからお金もあるので墓を造ったんだってよ。墓は、昔は、風水が良いか悪いかと判断する専門の占い師がいるでしょう。その占い師にたずねてから墓を造るのが常であった。しかし、この主人は、「昔から心が風水といわれている。」と言って、自分の思う所に上等に築けば良いという考え方をもっていた。そして、自分の土地に墓を造った。その墓の向きが良いか悪いかを確めるために、自分の思うように造った墓の風水を見てもらおうと、自分は専門家ではないので、ちゃんとした風水師に見てもらうことにした。そうして、その風水師をむかえる途中、下の方から人夫達が稲をかついで上って来るのに気づいて、そこに隠れたんだって。風水師と一緒に道路脇に隠れた。その人夫達を行かせたようだね。その風水師が主人に、「どうして隠れるのか。」と聞いた。「ここから稲をかついで行った人夫達は、自分が使っている下男達だが、主人である私に出会ったらごまかすことができなくなるから。」と答えた。というのは、この主人は以前から下男達が田圃からの帰りがけ、下男達の家には子供達がたくさんいて、一束、二束ほどの稲を子供達のために置いてから、主人の所に持って来ていることに気づいていた。けれども、下男達も窮屈な生活をしているのだからと黙認していたわけさ。それでも良いということで。それで、「こうして主人に出会うと、そうできずにただびっくりするだけだから、隠れたんですよ。たえずそんなことをしていると承知で黙認していたんです。窮屈な生活をしているから。」と言った。すると風水師は、「貴方達の墓は見なくてもよい。」と言った。「どうしてだ。」と聞くと、「そんなに真面目な人が造った墓は見る必要はない、これも黙認して通る良い風水である。」と言われた。それから、昔から肝(心)が風水というのだよ。肝が風水というのは、そういう伝え話があるんだよ。

再生時間:7:46

民話詳細DATA

レコード番号 47O371416
CD番号 47O37C062
決定題名 城間仲(共通語混)
話者がつけた題名 城間仲
話者名 町田宗進
話者名かな まちだそうしん
生年月日 19160305
性別
出身地 沖縄県読谷村儀間
記録日 19811121
記録者の所属組織 読谷ゆうがおの会
元テープ番号 読谷村儀間T09A10
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 本格昔話
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 読谷村民話資料集5儀間の民話 P113
キーワード 城間ナーカ,栄え続ける,浦添市城間,金持ち,道中の人の為に絶えずご飯を準備していた,盗人,天井,年越し,四、五人の子供,大晦日の晩,ヒーカジ,て七ヶ月間日照,七ヶ月間雨,城間ナーカは豪農,ニクブク,野国総官,芋の種,墓,風水,占い師,肝が
梗概(こうがい) この城間ナーカという話は、昔から親や先輩の方々から大変良い教訓として、私達は話を聞いたよ。人間はどんなに儲けようとも、栄えようともこれはその人が本当に正直な者であれば、三代まで栄え続けるらしいよ。三代まで。一、二、三代まで。三代まで続いている財産であれば、真をつらぬきとおすとさらに五代まで続くんだって。その間、二代三代をすごす間に衰えたり栄えたりすることがあるわけ。この人が本当に正直な人であれば、三代まで保っていられる程の正直者であれば、五代まで保ち続けるのは大丈夫だと。五代まで続けばさらに七代、七代まで保てば、もうずっと栄え続け、衰えることがないという話である。その例えとして城間ナーカの話がある。この話は主人の日常の心がけがすばらしかったという話だがね。その城間ナーカの主人の考え方というのが‥‥。昔、那覇に通ずる道、〈今でいう五十八号線だろうね、それに代わる道があったわけだ〉汽車の通る線路や馬車道があった。その道沿いに城間ナーカの家はあった。〈今の浦添市城間にね〉、また、昔のいなかの人は芋を主食にしているでしょう、米というものはなかなか手に入らないから。この城間ナーカという家は田圃もあり米があった。普通、どこの金持ちの家でも、その家の主人だけが米を食べて、下男達には芋を食べさせていたよ。だいたいどこの村においても。それがこの城間ナーカの家では、芋もあるのだが、夕飯を食べた後に必ず、釜のいっぱい飯を作って置いたんだって。なぜかというと、ここは道のそばで、通りでは絶えず人が往来する、夜中に病人が出たりして急を要するとき、ご飯が必要になるときもあるからと、道中の人の為に絶えずご飯を準備していたそうだ。そんなわけで人々から高く評価されていた。この城間ナーカの主人は、そういうことで道中の人々の便宜をはかり、食事も準備していたという話だよ。ある年の大晦日のこと、城間ナーカは田圃も広く、米もたくさんとれるので、盗人が入りこみ天井に隠れていたらしい。主人は、盗人が隠れていることを分っていたようだ。主人は分っていながら、そのままにしていた。またその下で家事をしていた女中は気づいていなかったんだよ。いつもそこの主人、タンメーは、一番座に座って毎日の夕飯でも大晦日の夕飯でも高御膳で召し上がっていた。そうして、大晦日の晩に主人が言い付けたことは、「今日の夕飯は二人分持っておいで。」と言うことであった。女中は、どうしたんだろうと思ったわけさ、「御主人一人しかいらっしゃらないのにどうして二人分持って来いというのかな、お客も誰もいないのに二人分用意させるとはなぜだろう。」と思った。でも言われたとうり二人分作って持って行くと、主人が、「上にいる者も降りてきて年を越しなさい。」と言われたそうだ。夕飯も準備してあるでしょう。「年を越しなさい。」と言われたので、天井で隠れていた盗人は気づかれたんだなあと、あきらめて頬被りを解き、主人の前でわびを入れたようだね。盗人は、「実は、私は四、五人の子供がいて大晦日の晩といっても米一合を買う金もない。城間ナーカへ行けば何か分けてもらえるだろう、いや実は、何か盗めるだろうと思って忍びこみました。」と正直に白状したそうだ。主人は、そんなことだろうと感じていたから、「それは心配しなくても良い。」と言って、「夕飯もたくさん食べ、ここで年を越し、それから子供達の分も持って行きなさい。」と言い、米を持たせてやった。このように城間ナーカは大変心根のやさしい人だったわけだ。それで良い評判があるわけだ。それから、その昔、〈今から七十年以前だろうね〉ヒーカジといって七ヶ月間日照が続き、七ヶ月間雨が降り続いたことがあったそうだ。これは今から七十年前のことだが、その時台風が沖縄全島をおそい、ほとんどの(農作物が)被害をこうむった。〈今頃の十月台風は夏の台風と違うでしょう。夏の台風は、野菜などへ被害をもたらしてもすぐ復興できるが、冬場の台風はそうはいかないでしょう。〉その頃の人々の主食というのは芋でしょう、芋もカズラも全部被害を受け、ついには枯れたカズラを食べたという時世であった。緑という緑はなくなっていた。その台風のとき、城間ナーカは豪農だから、むしろや藁で編んだニクブクがあり、台風のときに、そのむしろやニクブクでカズラ畑一面をおおってあったそうだ。それで、そこだけはカズラの種が残って切らすことなく今だにあるって話だよ。芋の話だがね。最初に芋を持ってこられたのは野国総官だが、それから後、芋の種を絶やすことがなかったのは、このようなヒーカジのときにも、種として残したのは城間ナーカなんだよ。そういう、むしろでおおったりして思いやりを込めてやったのでこの種が続いて、まだ残っているという話だよ。それから、この城間ナーカは四、五人の下男を雇っていた。仕事をする人たちだよ。また、そこは豪農だからお金もあるので墓を造ったんだってよ。墓は、昔は、風水が良いか悪いかと判断する専門の占い師がいるでしょう。その占い師にたずねてから墓を造るのが常であった。しかし、この主人は、「昔から心が風水といわれている。」と言って、自分の思う所に上等に築けば良いという考え方をもっていた。そして、自分の土地に墓を造った。その墓の向きが良いか悪いかを確めるために、自分の思うように造った墓の風水を見てもらおうと、自分は専門家ではないので、ちゃんとした風水師に見てもらうことにした。そうして、その風水師をむかえる途中、下の方から人夫達が稲をかついで上って来るのに気づいて、そこに隠れたんだって。風水師と一緒に道路脇に隠れた。その人夫達を行かせたようだね。その風水師が主人に、「どうして隠れるのか。」と聞いた。「ここから稲をかついで行った人夫達は、自分が使っている下男達だが、主人である私に出会ったらごまかすことができなくなるから。」と答えた。というのは、この主人は以前から下男達が田圃からの帰りがけ、下男達の家には子供達がたくさんいて、一束、二束ほどの稲を子供達のために置いてから、主人の所に持って来ていることに気づいていた。けれども、下男達も窮屈な生活をしているのだからと黙認していたわけさ。それでも良いということで。それで、「こうして主人に出会うと、そうできずにただびっくりするだけだから、隠れたんですよ。たえずそんなことをしていると承知で黙認していたんです。窮屈な生活をしているから。」と言った。すると風水師は、「貴方達の墓は見なくてもよい。」と言った。「どうしてだ。」と聞くと、「そんなに真面目な人が造った墓は見る必要はない、これも黙認して通る良い風水である。」と言われた。それから、昔から肝(心)が風水というのだよ。肝が風水というのは、そういう伝え話があるんだよ。
全体の記録時間数 7:46
物語の時間数 7:46
言語識別 混在
音源の質
テープ番号
予備項目1

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