屋良ムルチ(方言)

概要

あそこ(屋良ムルチ)にね、鰻のね、鰻の大きいのがいたようだ。大きなのが。あのムルチといって、その屋良ムルチといって川だね、大きな川、そこに鰻の大きいのが棲んでいた。そこにはまた、南の方に原野があったようだ、大昔には。原野があったので、そこは、牛を買う所だったようだね。牛を。牛を飼っているところの、子牛とその(屋良ムルチの)鰻とけんかしていたようだ。その鰻が子牛を呑もうとしてけんかをしているのをもう、その百姓が見て、「これはもう、牛と鰻がけんかしているから、これは捕らえてしまおう。」といって、それ(鰻)が歩く道に、たぎぎの灰、灰をまいて全部にもう、(歩く道)全部にまいておいた。それから、(鰻は)子牛とけんかしてもう戻って行こうとすると、その鰻も苔があってこそ這うこともできるでしょう。(しかし)その苔は、たきぎの灰でべとべとして這うことができなくなったようだよ。そこへ、その千貫田といって 屋取りの大きな屋取りがあったようだが、そこの家の者ガ出てきて、(その鰻を)捕らえてもう、食べてしまったようだ。その後、これは義本王時代だったようだが、義本王時代に、七ヶ月干上がってね、もう七ヶ月以上も雨が降らなくなって飲む水もない。食べる食物でももう、その頃は、大昔だから、自給自足で別の国からの(輸入は)ないでしょう。餓死して死ぬくらいの日照りだったようだ。それで、それから百姓達は、「王様の天分がおありにならないので、こんなに長い間干上がって、こんなに長い間干魃してもう、百姓を苦しめて。」と言って、それは天災なんだけれども、王を叱るようだ。王を叱ったので、それから国役 (戦争)が始まった。国役になったのでこの屋良ムルチという所に雨を降らし、川にする神様がいらっしゃった。そこへ二十歳の娘、娘を上納しないと雨は降らなかったようである。この役には、そうだからそれから王様ももう、「これは、ムルチに居られる神様の御指示とあれば、その二十歳になる娘を、さあ、どこの村からでも微発して、お供えしなければならない。」と、とうとう、その上納する二十歳になる娘を捜したようだ。捜し当ててみると、もう、金持ちの娘にあたってね。そうしたら、それから苦労してね、その金持ちは。この人は、「お金も沢山あって何も欲しくはないが、この子供がいなくなったらもう、何の甲斐があろうか。」と悲しんだ。するとタマムイという貧乏者の継子で、女の親は生きているが薄情者で逃げていなかった。その娘はタマムイという家の娘で、その娘も二十歳で、その金持ちの娘と同じ年頃だったようだ。そして、このタマムイという家の娘は継子だが、(継親は)実の親よりもその子を愛しんで、「もしお前を失おうものなら、私は生きていても甲斐がない。」というくらい人情をもっていたようだ。そのようにしている仲だけど、継親が育てて大きくしてくれた恩義に対し、「私は、今度こそ、そのムルチに入って、恩返しをしようと思うので、上からの御達しは私にさせて下さい。」と、親に願ったようだ。「お前のようなのは馬鹿者だ!何だ、それくらいの日照り!お前が親の恩を命までかけて返すということは、これは合点がゆかないから、どうしてもその事は嫌だからさせない!」と(継親は)言ったようだ。しかし、もう、その娘の人情が深くて、その金持ちが娘に「お金をいくらぐらいあげるからもう、私の娘と交換して、貴方はその時と(屋良ムルチへ)行ってくれ。」と言って、(娘の)承諾を得たようだ。承諾は受けたけれども継親が合点しない。「お前を失ったらもう、私は生きていても甲斐がないから、私は合点しない。そんなお金なんて儲ければ沢山ある金だ。どんなに貧乏していても、後には儲けられるから、命より宝というのはないから早くその金を持っていけ。上からの御達しなら仕方ないが、お金で買えるぐらいなら、私は合点しない。」と言って、お金ももう受け取らなかったようだ。 それでももう終いには、その娘が行くことになった。もう餌食になりに行ったようだよ、ムルチへ。そうしたら、神様が助けて、その娘を救ったという話だったようだ。それかだから、継子、継親といっても、人情のある継親もいるし、人情のない継親もいて、親でもその人しだいである。

再生時間:方言

民話詳細DATA

レコード番号 47O371057
CD番号 47O37C047
決定題名 屋良ムルチ(方言)
話者がつけた題名 屋良ムルチ
話者名 伊波蒲戸
話者名かな いはかまど
生年月日 18940613
性別
出身地 沖縄県読谷村伊良皆
記録日 19770508
記録者の所属組織 読谷村民話調査団第1班
元テープ番号 読谷村伊良皆T09B03
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 鰻,屋良ムルチ,牛が鰻とけんか,百姓,たぎぎの灰,千貫田,義本王時代,七ヶ月日照り,神様,二十歳の娘,金持ちの娘,タマムイという貧乏者の継子
梗概(こうがい) あそこ(屋良ムルチ)にね、鰻のね、鰻の大きいのがいたようだ。大きなのが。あのムルチといって、その屋良ムルチといって川だね、大きな川、そこに鰻の大きいのが棲んでいた。そこにはまた、南の方に原野があったようだ、大昔には。原野があったので、そこは、牛を買う所だったようだね。牛を。牛を飼っているところの、子牛とその(屋良ムルチの)鰻とけんかしていたようだ。その鰻が子牛を呑もうとしてけんかをしているのをもう、その百姓が見て、「これはもう、牛と鰻がけんかしているから、これは捕らえてしまおう。」といって、それ(鰻)が歩く道に、たぎぎの灰、灰をまいて全部にもう、(歩く道)全部にまいておいた。それから、(鰻は)子牛とけんかしてもう戻って行こうとすると、その鰻も苔があってこそ這うこともできるでしょう。(しかし)その苔は、たきぎの灰でべとべとして這うことができなくなったようだよ。そこへ、その千貫田といって 屋取りの大きな屋取りがあったようだが、そこの家の者ガ出てきて、(その鰻を)捕らえてもう、食べてしまったようだ。その後、これは義本王時代だったようだが、義本王時代に、七ヶ月干上がってね、もう七ヶ月以上も雨が降らなくなって飲む水もない。食べる食物でももう、その頃は、大昔だから、自給自足で別の国からの(輸入は)ないでしょう。餓死して死ぬくらいの日照りだったようだ。それで、それから百姓達は、「王様の天分がおありにならないので、こんなに長い間干上がって、こんなに長い間干魃してもう、百姓を苦しめて。」と言って、それは天災なんだけれども、王を叱るようだ。王を叱ったので、それから国役 (戦争)が始まった。国役になったのでこの屋良ムルチという所に雨を降らし、川にする神様がいらっしゃった。そこへ二十歳の娘、娘を上納しないと雨は降らなかったようである。この役には、そうだからそれから王様ももう、「これは、ムルチに居られる神様の御指示とあれば、その二十歳になる娘を、さあ、どこの村からでも微発して、お供えしなければならない。」と、とうとう、その上納する二十歳になる娘を捜したようだ。捜し当ててみると、もう、金持ちの娘にあたってね。そうしたら、それから苦労してね、その金持ちは。この人は、「お金も沢山あって何も欲しくはないが、この子供がいなくなったらもう、何の甲斐があろうか。」と悲しんだ。するとタマムイという貧乏者の継子で、女の親は生きているが薄情者で逃げていなかった。その娘はタマムイという家の娘で、その娘も二十歳で、その金持ちの娘と同じ年頃だったようだ。そして、このタマムイという家の娘は継子だが、(継親は)実の親よりもその子を愛しんで、「もしお前を失おうものなら、私は生きていても甲斐がない。」というくらい人情をもっていたようだ。そのようにしている仲だけど、継親が育てて大きくしてくれた恩義に対し、「私は、今度こそ、そのムルチに入って、恩返しをしようと思うので、上からの御達しは私にさせて下さい。」と、親に願ったようだ。「お前のようなのは馬鹿者だ!何だ、それくらいの日照り!お前が親の恩を命までかけて返すということは、これは合点がゆかないから、どうしてもその事は嫌だからさせない!」と(継親は)言ったようだ。しかし、もう、その娘の人情が深くて、その金持ちが娘に「お金をいくらぐらいあげるからもう、私の娘と交換して、貴方はその時と(屋良ムルチへ)行ってくれ。」と言って、(娘の)承諾を得たようだ。承諾は受けたけれども継親が合点しない。「お前を失ったらもう、私は生きていても甲斐がないから、私は合点しない。そんなお金なんて儲ければ沢山ある金だ。どんなに貧乏していても、後には儲けられるから、命より宝というのはないから早くその金を持っていけ。上からの御達しなら仕方ないが、お金で買えるぐらいなら、私は合点しない。」と言って、お金ももう受け取らなかったようだ。 それでももう終いには、その娘が行くことになった。もう餌食になりに行ったようだよ、ムルチへ。そうしたら、神様が助けて、その娘を救ったという話だったようだ。それかだから、継子、継親といっても、人情のある継親もいるし、人情のない継親もいて、親でもその人しだいである。
全体の記録時間数 6:21
物語の時間数 方言
言語識別
音源の質
テープ番号
予備項目1

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