吉屋という兄妹がいた。年上だった兄は、今でいえばお役所仕事をしていたようで、字なら字の仕事だったかも知れないが、そこの合計をしていたようだ。会計をしていた兄が、村のお金を遣い込み、そのお金を払うために遊廓に落ち、吉屋チルーは身売りされたようだ。どうして比謝矼にちなんだ歌をよんだかというと、今も民謡にもあるように、「恨みの比謝矼は 誰がかけておいたのか 情ないお方がかけたのね。」という歌があるでしょう。橋から渡る時に恨んだのでしょう。この橋がなければ私は那覇の遊廓)身売りされて行かなかったのに。それにまた、吉屋チルーが読谷山の出身といわれるのも、山田は昔は読谷山間切になっていたためで、山田の出身になるわけである。
レコード番号 | 47O370508 |
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CD番号 | 47O37C024 |
決定題名 | 吉屋チルーの話(方言) |
話者がつけた題名 | 吉屋チルーの話 |
話者名 | 屋良朝助 |
話者名かな | やらちょうすけ |
生年月日 | 19070608 |
性別 | 男 |
出身地 | 沖縄県読谷村瀬名波 |
記録日 | 19461114 |
記録者の所属組織 | 読谷村民話調査団第3班 |
元テープ番号 | 読谷村瀬名波T02A02 |
元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
分類 | 伝説 |
発句(ほっく) | - |
伝承事情 | - |
文字化資料 | 読谷村民話資料集4瀬名波の民話 P280 |
キーワード | ウナイイキー,借金で遊廓に売られる,吉屋チルーは身売り,比謝矼,読谷山の出身,山田は昔は読谷山間切 |
梗概(こうがい) | 吉屋という兄妹がいた。年上だった兄は、今でいえばお役所仕事をしていたようで、字なら字の仕事だったかも知れないが、そこの合計をしていたようだ。会計をしていた兄が、村のお金を遣い込み、そのお金を払うために遊廓に落ち、吉屋チルーは身売りされたようだ。どうして比謝矼にちなんだ歌をよんだかというと、今も民謡にもあるように、「恨みの比謝矼は 誰がかけておいたのか 情ないお方がかけたのね。」という歌があるでしょう。橋から渡る時に恨んだのでしょう。この橋がなければ私は那覇の遊廓)身売りされて行かなかったのに。それにまた、吉屋チルーが読谷山の出身といわれるのも、山田は昔は読谷山間切になっていたためで、山田の出身になるわけである。 |
全体の記録時間数 | 1:08 |
物語の時間数 | 1:08 |
言語識別 | 方言 |
音源の質 | ◎ |
テープ番号 | - |
予備項目1 | - |