多幸山、この読谷の多幸山だよ。そこに炭焼きのおじいさんがいたって。山に炭焼きのおじいさんがいたんだって。それで、この吉屋チルーのことでしょう。あの吉屋チルーの親の家は、西恩納の新垣でそこの娘が吉屋チルーである。また、辻へ(遊廓に)売られて行く途中に詠った石碑が比謝矼にあるでしょう。比謝矼川原を渡って、吉屋は七歳の時に辻へ売られていった。(その頃は)馬車や乗り物は何もなかったので、歩いて行ったようだ。親の家に、七月の盆や正月には、那覇から多幸山を越えて西恩納の家に帰って来たようだ。それで帰る途中多幸山に着いた時は、もうあんな遠い那覇からは一日かかって着くでしょう、多幸山までは。ここへ来るまでには、夜になるでしょう、日も暮れて雨も降ったようだ。だから、傘というのもその頃はないでしょう、もうずぶ濡れになってしまった。そうして、夜もふけて、多幸山の炭焼きウスメーはランプをつけていたようで、その明りが見えたのでしょう。それで、その人の所へ行き、吉屋が詠った歌が、「雨も降ってくるけれども 日傘も持っていない この家に宿を頼もう。」と、おじいさんの所に行って歌を詠ったんでしょう。「姿、身なりは 遊女のようだが どこからいらっしゃったのか。」と今度はおじいさんが言うと、「私は仲島の吉屋でございます。」と、また吉屋が答えた。そして、「初めまして遊女さん 家の中に入りなさい。」と休ませた。そして、お茶を出したようだ。出したけど、長いこと経っても茶受けが出てこなかった。黒砂糖さえもないでしょう。だから、自分の家の味噌を出して茶受けにしたようだね。「先月作ったぬか味噌ですが 大和味噌と思って 嘗めて下さい。」と言って出した。そしてこの味噌を御馳走して、吉屋は恩納に帰ろうとした。また、「私は吉屋といいます いつかは必ず 辻、仲島にもいらして下さい。」と、歌がけをして帰った。その後、このおじいさんは鶏を一羽手土産として、かついであの吉屋のところに行ったようだね。その時の格好が、高下駄をはいて、〈さし下駄ともいうが〉「吉屋のいるところはどこかな、ここ辻のこのあたりであるそうだが。」と、あっち行き、こっち行きして鶏をかついで歩いていたら、吉屋がおじいさんを見て、あの多幸山で出会ったおじいさんと分った。それでまた歌がけをして、「そんな白髪頭に 高下駄をはいて 転げることを知らないかねおじいさん。」と、歌かけしたからね、この吉屋は、客からお金のことは気にとめないで、自分の出す歌に歌で返す人にしか相手をしなかった。だから、多幸山のおじいさんは普通の人ではない。秀れた人だったわけさ。あの吉屋がする歌すべてに、返し歌をして呼ばれたわけさ、そして吉屋の相手になったという話。
| レコード番号 | 47O370503 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C024 |
| 決定題名 | 多幸山炭焼ウスメーと吉屋チルーの歌問答(方言) |
| 話者がつけた題名 | 吉屋チルーの話 |
| 話者名 | 当山カナ |
| 話者名かな | とうやまかな |
| 生年月日 | 19031015 |
| 性別 | 女 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村瀬名波 |
| 記録日 | 19461114 |
| 記録者の所属組織 | 読谷村民話調査団第2班 |
| 元テープ番号 | 読谷村瀬名波T01B12 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 本格昔話 |
| 発句(ほっく) | んかしよー |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 読谷の多幸山,炭焼きのおじいさん,吉屋チルー,西恩納の新垣,七歳に辻に売られる,歌碑,比謝矼,歌問答 |
| 梗概(こうがい) | 多幸山、この読谷の多幸山だよ。そこに炭焼きのおじいさんがいたって。山に炭焼きのおじいさんがいたんだって。それで、この吉屋チルーのことでしょう。あの吉屋チルーの親の家は、西恩納の新垣でそこの娘が吉屋チルーである。また、辻へ(遊廓に)売られて行く途中に詠った石碑が比謝矼にあるでしょう。比謝矼川原を渡って、吉屋は七歳の時に辻へ売られていった。(その頃は)馬車や乗り物は何もなかったので、歩いて行ったようだ。親の家に、七月の盆や正月には、那覇から多幸山を越えて西恩納の家に帰って来たようだ。それで帰る途中多幸山に着いた時は、もうあんな遠い那覇からは一日かかって着くでしょう、多幸山までは。ここへ来るまでには、夜になるでしょう、日も暮れて雨も降ったようだ。だから、傘というのもその頃はないでしょう、もうずぶ濡れになってしまった。そうして、夜もふけて、多幸山の炭焼きウスメーはランプをつけていたようで、その明りが見えたのでしょう。それで、その人の所へ行き、吉屋が詠った歌が、「雨も降ってくるけれども 日傘も持っていない この家に宿を頼もう。」と、おじいさんの所に行って歌を詠ったんでしょう。「姿、身なりは 遊女のようだが どこからいらっしゃったのか。」と今度はおじいさんが言うと、「私は仲島の吉屋でございます。」と、また吉屋が答えた。そして、「初めまして遊女さん 家の中に入りなさい。」と休ませた。そして、お茶を出したようだ。出したけど、長いこと経っても茶受けが出てこなかった。黒砂糖さえもないでしょう。だから、自分の家の味噌を出して茶受けにしたようだね。「先月作ったぬか味噌ですが 大和味噌と思って 嘗めて下さい。」と言って出した。そしてこの味噌を御馳走して、吉屋は恩納に帰ろうとした。また、「私は吉屋といいます いつかは必ず 辻、仲島にもいらして下さい。」と、歌がけをして帰った。その後、このおじいさんは鶏を一羽手土産として、かついであの吉屋のところに行ったようだね。その時の格好が、高下駄をはいて、〈さし下駄ともいうが〉「吉屋のいるところはどこかな、ここ辻のこのあたりであるそうだが。」と、あっち行き、こっち行きして鶏をかついで歩いていたら、吉屋がおじいさんを見て、あの多幸山で出会ったおじいさんと分った。それでまた歌がけをして、「そんな白髪頭に 高下駄をはいて 転げることを知らないかねおじいさん。」と、歌かけしたからね、この吉屋は、客からお金のことは気にとめないで、自分の出す歌に歌で返す人にしか相手をしなかった。だから、多幸山のおじいさんは普通の人ではない。秀れた人だったわけさ。あの吉屋がする歌すべてに、返し歌をして呼ばれたわけさ、そして吉屋の相手になったという話。 |
| 全体の記録時間数 | 4:02 |
| 物語の時間数 | 4:02 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |