私が小さい頃、つまり十一、二才の頃まで鍬を研いだり、へラを研いだり、あるいは鍋の修繕をしたりして、鍛冶小屋はここでがんばっていたがね。このカンジャーガマにいらした祖先にあたる人が、首里から鞴の道具を担いで来る途中、暑かったので長浜の前方の坂で休んでいた。すると、仲殿内が、「どこに行くのか若者よ!」と言われたので、「どこといってあてもありません。宿泊できるような所に落ちつきたいと思うのですが。」と答えた。仲殿内が言うことには、「それでは、あてもなしにあちこち歩いてもいけないし、この村にとどまって仕事でもした方がいいのではないか。」ということになった。このナービナクーは仲殿内の言われたとうり、長浜の村にとどまって仕事に励んだ。これが現在も残っている鍛冶屋の始まりである。この鍛冶小屋の祖先は、仲殿内の宮城という名をもらって長浜でがんばったという事である。鍛冶小屋のことは私もよく覚えていますが、鍬、ヘラを研いだり、鍋の修繕をしていた。また、それらの修理のときに落ちる金屑を、私はもらって喜んだこともあった。そこの鍛冶小屋から、長浜の百姓が使う鍬、ヘラはすばらしいのが作られたという話が、現在も残っているわけである。去った戦争のときには、カンジャーガマに避難したが、終戦になっても恐れおののいてそこからは出ないで、二、三人が住まっていたようだ。それに毒ガスを投げこまれて死んだ人もいる。戦争のとき、村の北の方の人達はこのカンジャーガマに避難して命びろいをしたということも伝えられている。
| レコード番号 | 47O370446 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C021 |
| 決定題名 | カンジャーヤーの始まり(方言) |
| 話者がつけた題名 | カンジャーヤーの始まり |
| 話者名 | 長浜真一 |
| 話者名かな | ながはましんいち |
| 生年月日 | 19101012 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村長浜 |
| 記録日 | 19810219 |
| 記録者の所属組織 | 読谷ゆうがおの会 |
| 元テープ番号 | 読谷村長浜T11B10 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集3長浜の民話 P240 |
| キーワード | 鍛冶屋,カンジャーガマ,首里,長浜の前方の坂,仲殿内の宮城,ナービナクー,長浜の村, |
| 梗概(こうがい) | 私が小さい頃、つまり十一、二才の頃まで鍬を研いだり、へラを研いだり、あるいは鍋の修繕をしたりして、鍛冶小屋はここでがんばっていたがね。このカンジャーガマにいらした祖先にあたる人が、首里から鞴の道具を担いで来る途中、暑かったので長浜の前方の坂で休んでいた。すると、仲殿内が、「どこに行くのか若者よ!」と言われたので、「どこといってあてもありません。宿泊できるような所に落ちつきたいと思うのですが。」と答えた。仲殿内が言うことには、「それでは、あてもなしにあちこち歩いてもいけないし、この村にとどまって仕事でもした方がいいのではないか。」ということになった。このナービナクーは仲殿内の言われたとうり、長浜の村にとどまって仕事に励んだ。これが現在も残っている鍛冶屋の始まりである。この鍛冶小屋の祖先は、仲殿内の宮城という名をもらって長浜でがんばったという事である。鍛冶小屋のことは私もよく覚えていますが、鍬、ヘラを研いだり、鍋の修繕をしていた。また、それらの修理のときに落ちる金屑を、私はもらって喜んだこともあった。そこの鍛冶小屋から、長浜の百姓が使う鍬、ヘラはすばらしいのが作られたという話が、現在も残っているわけである。去った戦争のときには、カンジャーガマに避難したが、終戦になっても恐れおののいてそこからは出ないで、二、三人が住まっていたようだ。それに毒ガスを投げこまれて死んだ人もいる。戦争のとき、村の北の方の人達はこのカンジャーガマに避難して命びろいをしたということも伝えられている。 |
| 全体の記録時間数 | 3:29 |
| 物語の時間数 | 3:29 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | ◎ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |