チクタルメーの由来(方言)

概要

「チクタルメー」の由来はね、昔、唐という国があったが、現在は支那といっているかね、(そこから伝
わったようだ。)今から五百年前、護佐丸が座喜味に城を築いた頃は那覇港や泊港もできてなかったので、支那人は密国船で読谷山長浜の浜辺に着いた。そのとき、この支那人が支那の国からコージャー米という稲の品種を持ってきて、長浜の東の方に作った。そしてそれが満作にできて、豊年のあかつきには歌も作ってあげるということだった。支那から密国船で持ってきたコージャー米は、すばらしく満作して(約束どおり歌も作ってくれた。)もう五百年前の昔から現在まで、長浜の字芝居での最後には「チクタルメー」を踊る。これは稲刈り節だが、〈稲を刈る踊りさ、〉稲刈り節だが、太鼓打ちが四人、踊り手が十二人、あわせて十六人で踊る。長浜村での字芝居の最後の踊りとして青年達が踊っている。これは護佐丸時代に、支那から持ってきたコージャー米が豊作の年に、支那人が作った踊りである。この踊りや歌を支那人から習い受けて、現在まで、支那からの踊りとして(引き継がれている。)長浜における昔からのほんとうの文化財はこの「チクタルメー」であるよ。

再生時間:1:45

民話詳細DATA

レコード番号 47O370317
CD番号 47O37C014
決定題名 チクタルメーの由来(方言)
話者がつけた題名 チクタルメーの由来
話者名 山内清
話者名かな やまうちきよし
生年月日 19080401
性別
出身地 沖縄県読谷村長浜
記録日 19761031
記録者の所属組織 読谷村民話調査団第3班
元テープ番号 読谷村長浜T05B10
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情 祖父
文字化資料 読谷村民話資料集3長浜の民話 P211
キーワード チクタルメー,唐,支那,五百年前,護佐丸が座喜味城を築いた,支那の国,コージャー米,長浜,満作,豊年,長浜の字芝居,は稲刈り節,太鼓打ち四人,踊り手十二人,字芝居の最後の踊り
梗概(こうがい) 「チクタルメー」の由来はね、昔、唐という国があったが、現在は支那といっているかね、(そこから伝 わったようだ。)今から五百年前、護佐丸が座喜味に城を築いた頃は那覇港や泊港もできてなかったので、支那人は密国船で読谷山長浜の浜辺に着いた。そのとき、この支那人が支那の国からコージャー米という稲の品種を持ってきて、長浜の東の方に作った。そしてそれが満作にできて、豊年のあかつきには歌も作ってあげるということだった。支那から密国船で持ってきたコージャー米は、すばらしく満作して(約束どおり歌も作ってくれた。)もう五百年前の昔から現在まで、長浜の字芝居での最後には「チクタルメー」を踊る。これは稲刈り節だが、〈稲を刈る踊りさ、〉稲刈り節だが、太鼓打ちが四人、踊り手が十二人、あわせて十六人で踊る。長浜村での字芝居の最後の踊りとして青年達が踊っている。これは護佐丸時代に、支那から持ってきたコージャー米が豊作の年に、支那人が作った踊りである。この踊りや歌を支那人から習い受けて、現在まで、支那からの踊りとして(引き継がれている。)長浜における昔からのほんとうの文化財はこの「チクタルメー」であるよ。
全体の記録時間数 1:45
物語の時間数 1:45
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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