三月三日の由来記は、昔、祖父の時代から話は聞いているがね。三月三日の由来記は、それが元の話はアカマターの由来記になるんだね。そのアカマターというのは、本当は動物なんだけど、沖縄の美女をだますのだが、どういう風に沖縄の美女をだまし強姦したかといえば‥‥。昔のカマンタというものは、鍋の蓋やハガマの蓋は野原にあるススキ〈方言ではグシチ、標準語ではススキを刈りてきてカマンタの蓋を作って、商っている者が頭に載せて村々を売り歩いていたのだよ。それで鍋の蓋を買って来て、自分は四升炊きの鍋を買うにしろ三升炊き、または一升炊きの鍋を買うにしてもカマンタを売る人がきた時に、鍋に合った蓋を買って食ベ物を煮て食べたものだよ。それが今は日本、アメリカの世になったので、鍋は買って、ハガマや鍋の蓋もお店から鍋を買う時に、いっしょについているでしょう。昔は釜蓋というものはなかった。カマンタはススキで作って売っていたものだ。すると、そのカマンタが一、二年もすると、古くなって裾の方から破れると、このカマンタはね、よく聞きなさいよ。このカマンタをどうするかというと、あっちこっち屋敷の傍やら、海岸などに簡単に捨てさせなかったものだよ、そのカマンタは古くなると必ずひもで結んで家の角か木の枝に吊るすように言いつけられたものだよ。この古いカマンタを木や家に吊るすのは、どういう理由かというと、垣根とか屋敷とかに捨てると、その下に住むアカマターとかハブがその中で卵を生んで、卵が孵えり、えるとこのアカマターが美男に化けて美女をだますんだがね。この美女は、人々には、アカマターに見えるのだが、この女の人にはとっても美男になって見えるんだが、だまされているのだから。美男に化けてだまされているのだからね。アカマターにだまされたので、アカマターの子を生んだんだね、だから、カマンタというものは、古くなっても、昔はススキで作った蓋だから、あちこちに捨ててはいけないよ、孫たちよ。これは古くなっても、焼いたり、肥料にしたりするな。これはどこにあっても形がある間は、吊るして腐らしなさいと、木とかに吊るさせたものだ。地面等には捨てさせなかったものだよ。地面に捨てたものの下で孵ったアカマターが魔物になって人をだますといってね。それで、このアカマターは、孵った。アカマターは男に化けてある美女をだまそうと、毎日々この美女の家に通って来たので、この女には美しい人になって見えるので、もう動物と一緒になって自分はアカマターの子を生んだんだね。それで、その人の母親は、「お前には、ここに通って来る男はとても美男だと見ているが、あれは男ではないよ。アカマターなんだよ。」と、娘に言ったら、「そうではない、この人以上の美男はいない。」と。だまされているのだからね、動物に。それで、今度は、「お前はアカマターか、そうでないかと思っているのだったら、私が確かめてみよう。よく聞きなさいよ。」と女の親は言った。女がマーグを前にして芭蕉糸をとって紡ぐときにね、このようにして紡ぐときにね。アカマターは美男に化けてここに来たが、母親にはアカマターに見えるのだが、女は美男にしかみえなかった。すると母親は「仕方のないことだ、動物か人かの区別はね、私が針に糸を通して、その針を美男の着物の裾に突きさしてやる、本当に人間か動物かということは、動物だったら洞窟に入って行くよ、人間だったら前の方に歩いて行くんだがね。私はアカマターと思うが、お前には、美男にしか見えないからね、こいつにだまされているのだから、その区別は親である私がやってあげよう。」と言って針に糸を通して、美男の着物の裾に、このように針をさして行かせた。するとアカマターは洞窟に入って行ったので、「どうだ!これは動物、アカマターなんだ、人間ではないでしょう。」ということになり、これで、アカマターであり、人間ではないということがわかった。しかしアカマターと仲良くしたので危いということになった。三月三日の由来記というのは三月三日になると、女は、朝の暗いうちに、太陽が昇らないうちに浜に降りて行く。そのときは、かごやざる、大きな缶などを持って浜であらい砂を取ってくる。三月三日の暗いうちにあらい砂を取ってくる。この砂を取るときは東に、太陽が昇る方向に向かって手を合わせて、いつも嘉利をつけて、いいことばかりありますようにと拝む。その砂をかごやざるに入れて持ってきたら、自分の屋敷の内、周囲に撒く。そのときは「鬼は外、徳は内、鬼は外、徳は内」と言って撒く。その石種を撒くでしょう。鬼といったら、今男に化けたへビとかこのアカマターの妖怪のことでね。いわば撒き放つ石種は、今の世の鉄砲の弾と同じで、これを撒いたとか、それに当って妖怪は、その屋敷には入ってこない、入ってこないという理由で、撒くときは「鬼は外、徳は内」といって、徳は内に入りなさい、鬼、妖怪は外に出なさいとの意味がある。そういうことで、三月三日は必ず、女のお節句だといって、昔から現在まで旧の三月三日は、この長浜部落では、女達は誰でも一人づつ浜に降りて行き、浜の砂を踏む。そしてあらい砂を取って屋敷の周囲に現在でも撒いている。それで、妖怪は屋敷に入るなと石種パンパン撒き放ったので、ハブとかアカマターはここに入ってはこなかった。もう今では、この人をだますアカマターも退治し、安心したということである。この三月三日の浜下りは女達の節句、浜祭りになっているわけだ。これでおしまい。
| レコード番号 | 47O370312 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C014 |
| 決定題名 | 鍋蓋とアカマター(方言) |
| 話者がつけた題名 | 三月三日由来 |
| 話者名 | 山内清 |
| 話者名かな | やまうちきよし |
| 生年月日 | 19080401 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村長浜 |
| 記録日 | 19761031 |
| 記録者の所属組織 | 読谷村民話調査団第3班 |
| 元テープ番号 | 読谷村長浜T05B05 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 本格昔話、 民俗 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | 祖父 |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集3長浜の民話 P29 |
| キーワード | 三月三日,アカマター,美女をだます,カマンタ,鍋やハガマの蓋,ススキ,古いカマンタを木や家に吊るす,アカマターやハブがその中で卵を生む,美男に化けて美女をだます,アカマターの子を生む,芭蕉糸,針を美男の着物の裾に突きす,洞窟,三月三日,浜下りは女達の節句 |
| 梗概(こうがい) | 三月三日の由来記は、昔、祖父の時代から話は聞いているがね。三月三日の由来記は、それが元の話はアカマターの由来記になるんだね。そのアカマターというのは、本当は動物なんだけど、沖縄の美女をだますのだが、どういう風に沖縄の美女をだまし強姦したかといえば‥‥。昔のカマンタというものは、鍋の蓋やハガマの蓋は野原にあるススキ〈方言ではグシチ、標準語ではススキを刈りてきてカマンタの蓋を作って、商っている者が頭に載せて村々を売り歩いていたのだよ。それで鍋の蓋を買って来て、自分は四升炊きの鍋を買うにしろ三升炊き、または一升炊きの鍋を買うにしてもカマンタを売る人がきた時に、鍋に合った蓋を買って食ベ物を煮て食べたものだよ。それが今は日本、アメリカの世になったので、鍋は買って、ハガマや鍋の蓋もお店から鍋を買う時に、いっしょについているでしょう。昔は釜蓋というものはなかった。カマンタはススキで作って売っていたものだ。すると、そのカマンタが一、二年もすると、古くなって裾の方から破れると、このカマンタはね、よく聞きなさいよ。このカマンタをどうするかというと、あっちこっち屋敷の傍やら、海岸などに簡単に捨てさせなかったものだよ、そのカマンタは古くなると必ずひもで結んで家の角か木の枝に吊るすように言いつけられたものだよ。この古いカマンタを木や家に吊るすのは、どういう理由かというと、垣根とか屋敷とかに捨てると、その下に住むアカマターとかハブがその中で卵を生んで、卵が孵えり、えるとこのアカマターが美男に化けて美女をだますんだがね。この美女は、人々には、アカマターに見えるのだが、この女の人にはとっても美男になって見えるんだが、だまされているのだから。美男に化けてだまされているのだからね。アカマターにだまされたので、アカマターの子を生んだんだね、だから、カマンタというものは、古くなっても、昔はススキで作った蓋だから、あちこちに捨ててはいけないよ、孫たちよ。これは古くなっても、焼いたり、肥料にしたりするな。これはどこにあっても形がある間は、吊るして腐らしなさいと、木とかに吊るさせたものだ。地面等には捨てさせなかったものだよ。地面に捨てたものの下で孵ったアカマターが魔物になって人をだますといってね。それで、このアカマターは、孵った。アカマターは男に化けてある美女をだまそうと、毎日々この美女の家に通って来たので、この女には美しい人になって見えるので、もう動物と一緒になって自分はアカマターの子を生んだんだね。それで、その人の母親は、「お前には、ここに通って来る男はとても美男だと見ているが、あれは男ではないよ。アカマターなんだよ。」と、娘に言ったら、「そうではない、この人以上の美男はいない。」と。だまされているのだからね、動物に。それで、今度は、「お前はアカマターか、そうでないかと思っているのだったら、私が確かめてみよう。よく聞きなさいよ。」と女の親は言った。女がマーグを前にして芭蕉糸をとって紡ぐときにね、このようにして紡ぐときにね。アカマターは美男に化けてここに来たが、母親にはアカマターに見えるのだが、女は美男にしかみえなかった。すると母親は「仕方のないことだ、動物か人かの区別はね、私が針に糸を通して、その針を美男の着物の裾に突きさしてやる、本当に人間か動物かということは、動物だったら洞窟に入って行くよ、人間だったら前の方に歩いて行くんだがね。私はアカマターと思うが、お前には、美男にしか見えないからね、こいつにだまされているのだから、その区別は親である私がやってあげよう。」と言って針に糸を通して、美男の着物の裾に、このように針をさして行かせた。するとアカマターは洞窟に入って行ったので、「どうだ!これは動物、アカマターなんだ、人間ではないでしょう。」ということになり、これで、アカマターであり、人間ではないということがわかった。しかしアカマターと仲良くしたので危いということになった。三月三日の由来記というのは三月三日になると、女は、朝の暗いうちに、太陽が昇らないうちに浜に降りて行く。そのときは、かごやざる、大きな缶などを持って浜であらい砂を取ってくる。三月三日の暗いうちにあらい砂を取ってくる。この砂を取るときは東に、太陽が昇る方向に向かって手を合わせて、いつも嘉利をつけて、いいことばかりありますようにと拝む。その砂をかごやざるに入れて持ってきたら、自分の屋敷の内、周囲に撒く。そのときは「鬼は外、徳は内、鬼は外、徳は内」と言って撒く。その石種を撒くでしょう。鬼といったら、今男に化けたへビとかこのアカマターの妖怪のことでね。いわば撒き放つ石種は、今の世の鉄砲の弾と同じで、これを撒いたとか、それに当って妖怪は、その屋敷には入ってこない、入ってこないという理由で、撒くときは「鬼は外、徳は内」といって、徳は内に入りなさい、鬼、妖怪は外に出なさいとの意味がある。そういうことで、三月三日は必ず、女のお節句だといって、昔から現在まで旧の三月三日は、この長浜部落では、女達は誰でも一人づつ浜に降りて行き、浜の砂を踏む。そしてあらい砂を取って屋敷の周囲に現在でも撒いている。それで、妖怪は屋敷に入るなと石種パンパン撒き放ったので、ハブとかアカマターはここに入ってはこなかった。もう今では、この人をだますアカマターも退治し、安心したということである。この三月三日の浜下りは女達の節句、浜祭りになっているわけだ。これでおしまい。 |
| 全体の記録時間数 | 7:26 |
| 物語の時間数 | 7:26 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | ◎ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |