それはですね、長浜は寄り揚地(兼久)で、旅からの唐船が入って来てね話が伝わっている。当初は、読谷村は長浜と渡具知から分かれて広がったものだよ。ここにね、他国から来て永住して、そしてここから別の所へ、立地条件の良い所へ移り住んで、部落を仕立てたわけだよ。これは、長浜と渡具知から読谷村の部落は分かれている。これは昔のことで、今はアーマシチューの話をしているわけだよ。そういうわけだ。長浜だけでは住めないので、それで上の方へあがって、楚辺などの遠方や、高志保あらゆる地域、波平、伊良皆方面に各々よい所へ行き、家を造って住み着いた。一番最初に移住した所は長浜からなんだ。ああ、昔のアーマンチューの話は、こちらにトーシンと称する岩があるけれども、旅からの、いえば唐からの船は、ここに唐船グムイと称する所があって、(ここに停舶した。)それはね、唐から来たアーマンチューであるから。それで、沖縄のここ(長浜)に永住できるかどうかと、事情を申し上げた。もうそれは、唐から来た船のアーマンチューだから。そして、ここで永住できるか否かと検討したが、そのこちらでは、面積が狭くて(多勢)が住むには適当でなかった。それでまた、いろいろ好きな所に行ったわけだよ。住みついたわけだ。そういうわけで、もうこちらに来た。これだけ。あとのことは、はっきりしたことは聞いてない。どこで、どういうふうになさったかは。こちらは、向こうにあるよ。ウンタマー、アーマンチューと称する所が今もある。あの、恩納に。長浜から向こうは恩納村だから。向こうに、ウンタマーと称する所にアーマンチューの墓があるよ。あの道の側に東向きにしてある。そこはアーマンチューの墓である、と言われている。それは本当かどうかは分らないが、そういう話を聞いている。部分的にね。
| レコード番号 | 47O370308 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C014 |
| 決定題名 | アーマンチュの話(方言) |
| 話者がつけた題名 | アーマンチュの話 |
| 話者名 | 新垣自作 |
| 話者名かな | あらかきじさく |
| 生年月日 | 18931010 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村長浜 |
| 記録日 | 19761031 |
| 記録者の所属組織 | 読谷村民話調査団第3班 |
| 元テープ番号 | 読谷村長浜T05B01 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | 両親 |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集3長浜の民話 P185 |
| キーワード | 長浜,唐船,トーシングムイ,ウンタマー,アーマンチューの墓 |
| 梗概(こうがい) | それはですね、長浜は寄り揚地(兼久)で、旅からの唐船が入って来てね話が伝わっている。当初は、読谷村は長浜と渡具知から分かれて広がったものだよ。ここにね、他国から来て永住して、そしてここから別の所へ、立地条件の良い所へ移り住んで、部落を仕立てたわけだよ。これは、長浜と渡具知から読谷村の部落は分かれている。これは昔のことで、今はアーマシチューの話をしているわけだよ。そういうわけだ。長浜だけでは住めないので、それで上の方へあがって、楚辺などの遠方や、高志保あらゆる地域、波平、伊良皆方面に各々よい所へ行き、家を造って住み着いた。一番最初に移住した所は長浜からなんだ。ああ、昔のアーマンチューの話は、こちらにトーシンと称する岩があるけれども、旅からの、いえば唐からの船は、ここに唐船グムイと称する所があって、(ここに停舶した。)それはね、唐から来たアーマンチューであるから。それで、沖縄のここ(長浜)に永住できるかどうかと、事情を申し上げた。もうそれは、唐から来た船のアーマンチューだから。そして、ここで永住できるか否かと検討したが、そのこちらでは、面積が狭くて(多勢)が住むには適当でなかった。それでまた、いろいろ好きな所に行ったわけだよ。住みついたわけだ。そういうわけで、もうこちらに来た。これだけ。あとのことは、はっきりしたことは聞いてない。どこで、どういうふうになさったかは。こちらは、向こうにあるよ。ウンタマー、アーマンチューと称する所が今もある。あの、恩納に。長浜から向こうは恩納村だから。向こうに、ウンタマーと称する所にアーマンチューの墓があるよ。あの道の側に東向きにしてある。そこはアーマンチューの墓である、と言われている。それは本当かどうかは分らないが、そういう話を聞いている。部分的にね。 |
| 全体の記録時間数 | 2:24 |
| 物語の時間数 | 2:24 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | ◎ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |