赤犬子(方言)

あかいんこ(ほうげん)

概要

昔、楚辺村に赤犬子という人がいたそうだ。この赤犬子というのは、どうして赤犬子と名がついたかという事だが、この赤犬子の母親は、親達から、(ある男と)「二人は夫婦になりなさい。」と、小さい時に結婚の約束をさせられていた。赤犬子の母親は、あまりにも美しく、村から、あるいは隣の村、大湾、古堅、大木あたりからも目をつけられていたようだ。しかし、いっこうに、この女は、他の男には心は動かさず、自分の婚約者である若者だけにしか思いをはせてなかった。ある時、この別の男達が、「この若者を殺さない限り、自由にはならない。」との事から、殺害する企みをし、この若者を殺す事になったそうだ。この女は自分の夫になるはずの若者が殺された後、毎日淋しい気持ちになり、自暴自棄の状態になった。そこで、この女にはとてもかわいがっている赤い犬がいた。毎日、毎日この赤犬を連れて気持ちをはらしていた。その年はすごい被害年で雨がふらず、人民はたいそう困っていた。(その女は)いつものように、赤犬を連れて歩いていると、急にこの赤犬が楚辺暗川という所に入って行き、体全体濡れて戻ってきたそうだ。不思議に思っていると、再び入って体全体濡れてきて、この暗川の出入口で、何かあったように吠えていた。不思議なことだと思い、この犬が入って行く後を追って行くと、泉があり水が流れていたそうだ。これを見た女は、隣近所、一家族、村中の人達に知らせた。「そうか」と、たいまつを持って暗川に入って行き、この泉を捜しあてたそうだ。それから後は、楚辺村は水不足になる事もなく、日々の暮らしも充分にできたという話。ただいまの話は、赤犬子が発見した楚辺暗川の話でした。それから、この女は後に子を生んだが、当時、すでに婚約者の子をみごもっていた。すると、青年達は「これは婚約者の子ではないよう。赤犬を連れて歩くから赤犬の子だよ。」と、憎らしげに皆にいいふらしたそうだ。そこで赤犬子は、赤犬の子なんだという事から赤犬子と付いたようだ。この赤犬子が、成長して若者になってからのこと、屋根から流れる雨だれの音を聞き、三味線を作ったという伝え話もあります。三味線を作った後は、この赤犬子は三味線を弾きながら、国々をまわって歩いた。赤犬子が国頭方面に行って帰りでの話だが、始めは、瀬良垣に行った。船大工が昼食をとっている所に来て、「ひもじいので、食べ物を少し分けて食べさせて下さい。」とお願いした。「あなたのような者に、私達のものから分けてあげることはできない。」と、追いかえされた。そこで、赤犬子が詠んだ歌が、「瀬良垣水船」と、この船につけたそうだ。
 そこから追い払われて谷茶まで来ると、谷茶でも同じように、船大工が昼食を食べているところだった。「分けて下さい。」とお願いしたら、「ひもじかったら食べなさい。」と分けてもらいごちそうになった。ここでは、「谷茶速船」と言い、船に名を付けたそうだ。それからというもの、瀬良垣水船で瀬良垣の船はいつも沈み、速度もおそかったという話。谷茶の船はよく走る船になったそうだ。これは赤犬子が予言したとおりになったそうだ。すると瀬良垣の人達は、「あいつの悪い願いでこうなっている。どこを捜してもみつけ出して、あいつを、うち殺さないといけない。」と捜し、捜し楚辺村まできた。そこに赤犬子がいると聞いたので、みんなで、棒、刀をあげてこの赤犬子を殺そうとした。現在、赤犬子神社といって楚辺の村にあるが、そこに行くと赤犬子は、急に煙となって天に昇っていったそうだ。瀬良垣の人達は、棒、刀を持っていたのに殺すことはできなかった。赤犬子は神の子で、精霊だったという話が残っている。それから南の方に行き、中城での話。また北谷での話が残っている、まず北谷での話。ある時、赤犬子が道を歩いている時、のどがかわき、ある家庭に入って行き、「水を飲ませて下さい。」とお願いしたら、家の人はいなくて子供が一人残っていた。水を飲んでから、「お父さんはどこに行かれたのか。」と聞くと、「夜の目を取りに。」と言った。「お母さんは」と聞くと、「冬青草、夏枯れ草を取りに。」と言った。これでは赤犬子は意味はわからず、後でわかったが、夜の目というのはイザリに使うトゥブシ、松のトゥブシを取りにとの意味。冬青草、夏枯り草というのは麦の事のようだ。なるほど、麦は冬は青く、夏は枯れる。再び、赤犬子はその家庭に行き、「あなた達のこの子の言う事はただごとではない。この子は育ちが良く、賢くて後々は高官になれる子ですね。できたらこの子は坊主にしてはどうですか。」と言った。それから赤犬子が言ったとおり、その子は成長して坊主になり、のちのちの北谷長老という人になったという話がある。赤犬子の話、ただ知っている範囲お話して終ります。

再生時間:11:26

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民話詳細DATA

レコード番号 47O370287
CD番号 47O37C013
決定題名 赤犬子(方言)
話者がつけた題名 赤犬子
話者名 長浜真一
話者名かな ながはましんいち
生年月日 19101012
性別
出身地 沖縄県読谷村長浜
記録日 19761031
記録者の所属組織 読谷村民話調査団第4班
元テープ番号 読谷村長浜T04B02
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 伝説
発句(ほっく) んかし
伝承事情 父親や宮城平三さんという大変話し上手の人から聞いた
文字化資料 読谷村民話資料集3長浜の民話 P213
キーワード 楚辺村,赤犬子,結婚の約束,若者を殺す,赤犬,楚辺暗川と,雨だれの音,三味線,国頭方面,瀬良垣,船大工,瀬良垣水船」,谷茶,谷茶速船,赤犬子神社,煙となって昇天した,神の子,精霊,夜の目を取りに,冬青草、夏枯れ草を取りに,松のトゥブシ,麦,坊主,北谷長老
梗概(こうがい) 昔、楚辺村に赤犬子という人がいたそうだ。この赤犬子というのは、どうして赤犬子と名がついたかという事だが、この赤犬子の母親は、親達から、(ある男と)「二人は夫婦になりなさい。」と、小さい時に結婚の約束をさせられていた。赤犬子の母親は、あまりにも美しく、村から、あるいは隣の村、大湾、古堅、大木あたりからも目をつけられていたようだ。しかし、いっこうに、この女は、他の男には心は動かさず、自分の婚約者である若者だけにしか思いをはせてなかった。ある時、この別の男達が、「この若者を殺さない限り、自由にはならない。」との事から、殺害する企みをし、この若者を殺す事になったそうだ。この女は自分の夫になるはずの若者が殺された後、毎日淋しい気持ちになり、自暴自棄の状態になった。そこで、この女にはとてもかわいがっている赤い犬がいた。毎日、毎日この赤犬を連れて気持ちをはらしていた。その年はすごい被害年で雨がふらず、人民はたいそう困っていた。(その女は)いつものように、赤犬を連れて歩いていると、急にこの赤犬が楚辺暗川という所に入って行き、体全体濡れて戻ってきたそうだ。不思議に思っていると、再び入って体全体濡れてきて、この暗川の出入口で、何かあったように吠えていた。不思議なことだと思い、この犬が入って行く後を追って行くと、泉があり水が流れていたそうだ。これを見た女は、隣近所、一家族、村中の人達に知らせた。「そうか」と、たいまつを持って暗川に入って行き、この泉を捜しあてたそうだ。それから後は、楚辺村は水不足になる事もなく、日々の暮らしも充分にできたという話。ただいまの話は、赤犬子が発見した楚辺暗川の話でした。それから、この女は後に子を生んだが、当時、すでに婚約者の子をみごもっていた。すると、青年達は「これは婚約者の子ではないよう。赤犬を連れて歩くから赤犬の子だよ。」と、憎らしげに皆にいいふらしたそうだ。そこで赤犬子は、赤犬の子なんだという事から赤犬子と付いたようだ。この赤犬子が、成長して若者になってからのこと、屋根から流れる雨だれの音を聞き、三味線を作ったという伝え話もあります。三味線を作った後は、この赤犬子は三味線を弾きながら、国々をまわって歩いた。赤犬子が国頭方面に行って帰りでの話だが、始めは、瀬良垣に行った。船大工が昼食をとっている所に来て、「ひもじいので、食べ物を少し分けて食べさせて下さい。」とお願いした。「あなたのような者に、私達のものから分けてあげることはできない。」と、追いかえされた。そこで、赤犬子が詠んだ歌が、「瀬良垣水船」と、この船につけたそうだ。  そこから追い払われて谷茶まで来ると、谷茶でも同じように、船大工が昼食を食べているところだった。「分けて下さい。」とお願いしたら、「ひもじかったら食べなさい。」と分けてもらいごちそうになった。ここでは、「谷茶速船」と言い、船に名を付けたそうだ。それからというもの、瀬良垣水船で瀬良垣の船はいつも沈み、速度もおそかったという話。谷茶の船はよく走る船になったそうだ。これは赤犬子が予言したとおりになったそうだ。すると瀬良垣の人達は、「あいつの悪い願いでこうなっている。どこを捜してもみつけ出して、あいつを、うち殺さないといけない。」と捜し、捜し楚辺村まできた。そこに赤犬子がいると聞いたので、みんなで、棒、刀をあげてこの赤犬子を殺そうとした。現在、赤犬子神社といって楚辺の村にあるが、そこに行くと赤犬子は、急に煙となって天に昇っていったそうだ。瀬良垣の人達は、棒、刀を持っていたのに殺すことはできなかった。赤犬子は神の子で、精霊だったという話が残っている。それから南の方に行き、中城での話。また北谷での話が残っている、まず北谷での話。ある時、赤犬子が道を歩いている時、のどがかわき、ある家庭に入って行き、「水を飲ませて下さい。」とお願いしたら、家の人はいなくて子供が一人残っていた。水を飲んでから、「お父さんはどこに行かれたのか。」と聞くと、「夜の目を取りに。」と言った。「お母さんは」と聞くと、「冬青草、夏枯れ草を取りに。」と言った。これでは赤犬子は意味はわからず、後でわかったが、夜の目というのはイザリに使うトゥブシ、松のトゥブシを取りにとの意味。冬青草、夏枯り草というのは麦の事のようだ。なるほど、麦は冬は青く、夏は枯れる。再び、赤犬子はその家庭に行き、「あなた達のこの子の言う事はただごとではない。この子は育ちが良く、賢くて後々は高官になれる子ですね。できたらこの子は坊主にしてはどうですか。」と言った。それから赤犬子が言ったとおり、その子は成長して坊主になり、のちのちの北谷長老という人になったという話がある。赤犬子の話、ただ知っている範囲お話して終ります。
全体の記録時間数 11:26
物語の時間数 11:26
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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