天人女房(方言)

概要

羽衣(伝説)は、昔、謝名という所に奥間という人が住んでいたようだ。貧乏者だったので、相手にする人もいなくて、村はずれに屋取していた。宜野湾の急流の近くに住んでいた。畑からの帰りは、いつもその川で、手足を洗っていたらしい。手足を洗っている時に、天から羽衣(を着て降りて来た)女の人が、水浴びしているのに出合った。その衣装は、松の木にかけてあったようだ。それで「ああ、なんてすばらしい着物だろう。」と言って、自分が隠して、家に持って帰り、ムチナガ(押入れ)に、わざと隠した。それで、もう女の人は着て飛んで行く衣装が無くて、局部だけを隠して心配していた。そうして、「どうしたの女の方、なぜあなたはここに来て泣いているの。」と聞くと、「はい、実は、私は天から降りて来た、天人だが時々ここで、浴びている私だが、羽衣が、盗まれてなくなってしまった。(そのために)天に飛び上って行くことができず、こうして思案して泣いているのです。」と。すると奥間大親が「ああそうか、もしかすると草刈り人が、どこかに隠してあるはずだ。〈自分が隠しておきながら〉私の家は、汚ない所だが、一晩私の家で泊まってはどうだ。」と話すと、「どうか、泊めて下さいませ。」と言った。「そうだ、この私の着物を着けなさい。」と言って、着物を着せた。男女の仲といえば、マッチの火のようにつきやすく、宿を一つにした後は夫婦になった。そして一番目にはオツルという女の子が生まれた。二番目は守という男の子が生まれた。
 オツルが、守を子守)りしている時の子守り歌が、「泣くなよしよし、泣くなよしよし、アンマー飛衣、羽衣は、ムチマタ、ヤチマタのにじかわじかの下にある、泣くなよしよし。」と歌った。それを聞いた母親は、「ほんと、守!(話者は、オツルと守とを語り違っている)お前の歌は、何と言ったの。」と聞くと、「アンマー飛衣は、ムチマタ、ヤチマタ、にじかわじかの、下にある、隠されているよ。」と言った。「なるほど」と。急いで、父親が畑から来ないうちに、そのムチナガという所に行き、衣装を取って着た。「ねえオツル、お前たち二人を生んであげたし、お前たちの親も幸せだ。お前たちは、私の生んだ子供だし、また親子三人が食べていくだけのお金は、伝道の生まれである私が与えるから、心配しないでね。親子三人仲良く暮らしてね。」と言った。さようならと言って、涙を流して、一羽はばたいて天に上った。また、子供達が「お母さん、お母さん」と叫んだので、また降りて来たが、その時子供達は母親の羽に抱きついたので、頭をなでてやり、三回目にやっと、さようならを告げて飛び去った。その後、オツルはどこの按司だったかわからなくなったが、按司の嫁になった。守は、また毎日魚釣りをした。その人の釣針は曲がってなく、まっすぐな物であったが、魚はよく釣れたそうだ。それから、勝連の按司のお姫様は、あちこらの按司たちから、結婚を請いに来るようだが、誰にも「いやだ、いやだ」と断わっていた。そこで、守は、「勝連のお姫様は、按司達を嫌っているようだから、私が近づいて行って、妻にしよう。」と考えた。そして、勝連の御城に行った。御城では守をみて、門番の頭(かしら)が、「赤毛童が、御城に来ては汚らわしい。」と言ってこらしめようとした。そこへ掟の頭が、「このような若者が、按司に伺うということは、勇気のあるやつだ、門から通してあげなさい。」と、「もし反抗するようだったら私が、制裁する。」と言った。そして、守は王妃と按司のお二人に向って、「恐れ入りますが、私が立ち寄りましたのは、別のことではありません。貴殿のお姫様を私に譲って下さいと、申し上げにこうして来ました。」と言ったので、「何を失礼な。」と、どなられた。また門番の頭が、「どうか、このような者が、こうして向って来るのは、少し理由があるでしょうから、まず待って下さい。」と言った。それから、お姫様は、その話を聞いて、両親に「私を、あの人に嫁がせて下さい。」と言ったので、「お前という奴は、何てバカげたことを。」とどなられ、煙草盆を投げられた。そして、「そうなら、嫁にいきたければ、この子一人、お前一人は産まなかったと思えばいいから、連れて行きなさい。」と。守は「いやそうではありません。立身することですから、せめて一週間は待って下さい。」と言ったが、「いや」だと言われた。だが頭が、「そうこれは、若者の言う通りです。立身することだから、御婚礼は少し延ばしても良いじゃないですか。」と言った。「それじゃ、よい。」と。その後、婚礼の日になった。守の家では山海の御馳走といって、海と山でとれる物で御馳走を作って出した。守の家は、どれもこれもすべての道具が小判で造ってあった。姫が「あなたの家は、何を見てもすべてが小判です。」と。守は「私が見ると、焼物にしか思えないが、お前がみると、みんな小判に見えるのか。」「はい、小判で造られています。」「そうなら、私が魚を釣る場所は、この小判がたくさんあるが、一緒に行って見せてあげよう。」と共に行った。そこには、その川の中には、小判がたくさんあった。守は夢が実り、国主になれると喜んだ。その頃沖縄は鉄はなかった。また、支那は小判が、黄金がなかったので、沖縄の小判と支那の鉄とを交換し、鍛冶屋をした。守は鍬やへラを造り、人民に配り使わせた。伊波王とおっしゃる人の、嫡(男の子ができなかったので、次の王位は誰に与えられるだろうかと言うと、「物を与えられる方が、我らの御主だ。」と。何という大主だったか、その人が飛び出して来て、「物を与える方が、我らの御主です。」と言った。物を与える方が御主という言葉は、この時からでている。それで、あの察度王になられた。伊波王は、奥間鍛冶屋というのは、奥間と言う人が、自分で鍛冶屋をなさったからその名が付いた。要するに、尚巴志王と察度王は、臣下から王になられたとの話です。

再生時間:7:50

民話詳細DATA

レコード番号 47O370209
CD番号 47O37C009
決定題名 天人女房(方言)
話者がつけた題名 羽衣の話
話者名 金城太郎
話者名かな きんじょうたろう
生年月日 18860920
性別
出身地 沖縄県読谷村長浜
記録日 19750518
記録者の所属組織 読谷村民話調査団
元テープ番号 読谷村長浜T01A06
元テープ管理者 読谷村立歴史民俗資料館
分類 本格昔話
発句(ほっく) んかしじゃななかい
伝承事情
文字化資料 読谷村民話資料集3長浜の民話 P46
キーワード 謝名,奥間,貧乏者,天から羽衣,女が水浴び,ムチナガ,草刈り,夫婦,オツル,守,アンマー飛衣,按司の嫁,勝連の按司のお姫様,勝連城,小判,国主,鍛冶屋,察度王,伊波王,奥間鍛冶屋
梗概(こうがい) 羽衣(伝説)は、昔、謝名という所に奥間という人が住んでいたようだ。貧乏者だったので、相手にする人もいなくて、村はずれに屋取していた。宜野湾の急流の近くに住んでいた。畑からの帰りは、いつもその川で、手足を洗っていたらしい。手足を洗っている時に、天から羽衣(を着て降りて来た)女の人が、水浴びしているのに出合った。その衣装は、松の木にかけてあったようだ。それで「ああ、なんてすばらしい着物だろう。」と言って、自分が隠して、家に持って帰り、ムチナガ(押入れ)に、わざと隠した。それで、もう女の人は着て飛んで行く衣装が無くて、局部だけを隠して心配していた。そうして、「どうしたの女の方、なぜあなたはここに来て泣いているの。」と聞くと、「はい、実は、私は天から降りて来た、天人だが時々ここで、浴びている私だが、羽衣が、盗まれてなくなってしまった。(そのために)天に飛び上って行くことができず、こうして思案して泣いているのです。」と。すると奥間大親が「ああそうか、もしかすると草刈り人が、どこかに隠してあるはずだ。〈自分が隠しておきながら〉私の家は、汚ない所だが、一晩私の家で泊まってはどうだ。」と話すと、「どうか、泊めて下さいませ。」と言った。「そうだ、この私の着物を着けなさい。」と言って、着物を着せた。男女の仲といえば、マッチの火のようにつきやすく、宿を一つにした後は夫婦になった。そして一番目にはオツルという女の子が生まれた。二番目は守という男の子が生まれた。  オツルが、守を子守)りしている時の子守り歌が、「泣くなよしよし、泣くなよしよし、アンマー飛衣、羽衣は、ムチマタ、ヤチマタのにじかわじかの下にある、泣くなよしよし。」と歌った。それを聞いた母親は、「ほんと、守!(話者は、オツルと守とを語り違っている)お前の歌は、何と言ったの。」と聞くと、「アンマー飛衣は、ムチマタ、ヤチマタ、にじかわじかの、下にある、隠されているよ。」と言った。「なるほど」と。急いで、父親が畑から来ないうちに、そのムチナガという所に行き、衣装を取って着た。「ねえオツル、お前たち二人を生んであげたし、お前たちの親も幸せだ。お前たちは、私の生んだ子供だし、また親子三人が食べていくだけのお金は、伝道の生まれである私が与えるから、心配しないでね。親子三人仲良く暮らしてね。」と言った。さようならと言って、涙を流して、一羽はばたいて天に上った。また、子供達が「お母さん、お母さん」と叫んだので、また降りて来たが、その時子供達は母親の羽に抱きついたので、頭をなでてやり、三回目にやっと、さようならを告げて飛び去った。その後、オツルはどこの按司だったかわからなくなったが、按司の嫁になった。守は、また毎日魚釣りをした。その人の釣針は曲がってなく、まっすぐな物であったが、魚はよく釣れたそうだ。それから、勝連の按司のお姫様は、あちこらの按司たちから、結婚を請いに来るようだが、誰にも「いやだ、いやだ」と断わっていた。そこで、守は、「勝連のお姫様は、按司達を嫌っているようだから、私が近づいて行って、妻にしよう。」と考えた。そして、勝連の御城に行った。御城では守をみて、門番の頭(かしら)が、「赤毛童が、御城に来ては汚らわしい。」と言ってこらしめようとした。そこへ掟の頭が、「このような若者が、按司に伺うということは、勇気のあるやつだ、門から通してあげなさい。」と、「もし反抗するようだったら私が、制裁する。」と言った。そして、守は王妃と按司のお二人に向って、「恐れ入りますが、私が立ち寄りましたのは、別のことではありません。貴殿のお姫様を私に譲って下さいと、申し上げにこうして来ました。」と言ったので、「何を失礼な。」と、どなられた。また門番の頭が、「どうか、このような者が、こうして向って来るのは、少し理由があるでしょうから、まず待って下さい。」と言った。それから、お姫様は、その話を聞いて、両親に「私を、あの人に嫁がせて下さい。」と言ったので、「お前という奴は、何てバカげたことを。」とどなられ、煙草盆を投げられた。そして、「そうなら、嫁にいきたければ、この子一人、お前一人は産まなかったと思えばいいから、連れて行きなさい。」と。守は「いやそうではありません。立身することですから、せめて一週間は待って下さい。」と言ったが、「いや」だと言われた。だが頭が、「そうこれは、若者の言う通りです。立身することだから、御婚礼は少し延ばしても良いじゃないですか。」と言った。「それじゃ、よい。」と。その後、婚礼の日になった。守の家では山海の御馳走といって、海と山でとれる物で御馳走を作って出した。守の家は、どれもこれもすべての道具が小判で造ってあった。姫が「あなたの家は、何を見てもすべてが小判です。」と。守は「私が見ると、焼物にしか思えないが、お前がみると、みんな小判に見えるのか。」「はい、小判で造られています。」「そうなら、私が魚を釣る場所は、この小判がたくさんあるが、一緒に行って見せてあげよう。」と共に行った。そこには、その川の中には、小判がたくさんあった。守は夢が実り、国主になれると喜んだ。その頃沖縄は鉄はなかった。また、支那は小判が、黄金がなかったので、沖縄の小判と支那の鉄とを交換し、鍛冶屋をした。守は鍬やへラを造り、人民に配り使わせた。伊波王とおっしゃる人の、嫡(男の子ができなかったので、次の王位は誰に与えられるだろうかと言うと、「物を与えられる方が、我らの御主だ。」と。何という大主だったか、その人が飛び出して来て、「物を与える方が、我らの御主です。」と言った。物を与える方が御主という言葉は、この時からでている。それで、あの察度王になられた。伊波王は、奥間鍛冶屋というのは、奥間と言う人が、自分で鍛冶屋をなさったからその名が付いた。要するに、尚巴志王と察度王は、臣下から王になられたとの話です。
全体の記録時間数 7:50
物語の時間数 7:50
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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