伝え話なんだがあれは。首里では昔、親同志で縁組しないうちに恋愛を続けると、打ち首の刑とか、島流しとかあったそうである。昔々の大昔のこと。それで、昔の首里親国では、この恋愛とかいうものは、とても厳しくとりしまられていた時代であった。それで、あそこで(首里)妊娠したので、打ち首になるか、島流しになるかの瀬戸際になったので、読谷楚辺に逃げ帰って来たそうである。「お前は、そこにいておきなさい。何時か、私が迎えに来るから。」といって、その男は読谷山楚辺に女を連れて来ておいて行ってしまった。それで、その女に子供が生まれて、「誰の子供か。」と聞かれたので、女は「赤犬ぬ子といったそうである。そうして、赤犬子、アカヌクー」になり、いわゆる楚辺赤犬子となったようである。それから、その犬の楚辺暗井といって、自然壕の中に、立派な泉)があるが、そこで、日照りの年に干魃でどこも水がない時に、この犬が自然壕で、びしょ濡れになって来たりしたので、この犬は珍らしいことだと思い、部落の人々が、この犬を追って行って、その洞穴を調べてみたら、もう、そこには、こんこんと湧く水があったそうである。楚辺暗井といってまだありますよ。そのようにして、この赤犬の子というのは、楚辺の屋嘉の赤犬の子で、この人の祖先が屋嘉に残っているのか、それははっきりしないが、楚辺の屋嘉という家は、この赤犬の成長したところである。それで、アカイヌクーは、この犬の子といって、名前が付いたという昔の物語である。そして、それから「歌と三味線や昔はじまいぬ、イヌクはじまいぬ、国ぬみさぐに」という琉歌がありますがね。それから、このアカヌクーから、沖縄の歌、三味線は始まったという物語だが。 この三味線は、どこから来たかといえば、また、この人(アカヌクー)の叔父さんとかいう人が、勝連におられたそうだ。このアカヌクーという人の叔父さんは、支那と貿易をしていたそうで、これ(三味線)を何とか家に持って帰って、使えないものかと。それで沖縄の三味線は、支那から入ってきて、アカインクーに見せたら、彼が調弦してテンテンと弾いて、三味線を習い始めて、それから沖縄の歌と三味線は広まったということである。
| レコード番号 | 47O370028 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C002 |
| 決定題名 | アカヌクーの話(方言) |
| 話者がつけた題名 | アカイヌクー |
| 話者名 | 松田栄清 |
| 話者名かな | まつだえいせい |
| 生年月日 | 18950220 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村喜名 |
| 記録日 | 19761017 |
| 記録者の所属組織 | 読谷村民話調査団第二班 |
| 元テープ番号 | 読谷村喜名T02A04 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集2喜名の民話 P165 |
| キーワード | スビクラガー,アカイヌクー,屋嘉 |
| 梗概(こうがい) | 伝え話なんだがあれは。首里では昔、親同志で縁組しないうちに恋愛を続けると、打ち首の刑とか、島流しとかあったそうである。昔々の大昔のこと。それで、昔の首里親国では、この恋愛とかいうものは、とても厳しくとりしまられていた時代であった。それで、あそこで(首里)妊娠したので、打ち首になるか、島流しになるかの瀬戸際になったので、読谷楚辺に逃げ帰って来たそうである。「お前は、そこにいておきなさい。何時か、私が迎えに来るから。」といって、その男は読谷山楚辺に女を連れて来ておいて行ってしまった。それで、その女に子供が生まれて、「誰の子供か。」と聞かれたので、女は「赤犬ぬ子といったそうである。そうして、赤犬子、アカヌクー」になり、いわゆる楚辺赤犬子となったようである。それから、その犬の楚辺暗井といって、自然壕の中に、立派な泉)があるが、そこで、日照りの年に干魃でどこも水がない時に、この犬が自然壕で、びしょ濡れになって来たりしたので、この犬は珍らしいことだと思い、部落の人々が、この犬を追って行って、その洞穴を調べてみたら、もう、そこには、こんこんと湧く水があったそうである。楚辺暗井といってまだありますよ。そのようにして、この赤犬の子というのは、楚辺の屋嘉の赤犬の子で、この人の祖先が屋嘉に残っているのか、それははっきりしないが、楚辺の屋嘉という家は、この赤犬の成長したところである。それで、アカイヌクーは、この犬の子といって、名前が付いたという昔の物語である。そして、それから「歌と三味線や昔はじまいぬ、イヌクはじまいぬ、国ぬみさぐに」という琉歌がありますがね。それから、このアカヌクーから、沖縄の歌、三味線は始まったという物語だが。 この三味線は、どこから来たかといえば、また、この人(アカヌクー)の叔父さんとかいう人が、勝連におられたそうだ。このアカヌクーという人の叔父さんは、支那と貿易をしていたそうで、これ(三味線)を何とか家に持って帰って、使えないものかと。それで沖縄の三味線は、支那から入ってきて、アカインクーに見せたら、彼が調弦してテンテンと弾いて、三味線を習い始めて、それから沖縄の歌と三味線は広まったということである。 |
| 全体の記録時間数 | 3:40 |
| 物語の時間数 | 3:40 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | ◎ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |