浦添で、武士が。首里から浦添までは半里もないと言われている。綱引きの時に武士が綱を引いたが、両方とも綱を引くには藁が要るので、両方から何人かの人が藁を貰いに来た。どこから来たのか分らないので、同じ所に二回も来るので、もうその青年たちはその武士たちを追っ払った。それが、追っ払って後で、掟といって昔はあったが今の区長のようなもので、その区長が、「大変なことになった。そのことで村中の人が呼ばれるよりも、私が行って解決して来るから、あなた達は、もし私の命がなければ、その後始末をあなた達でして欲しい。」と頼んだ。そう言えば、このことがあってから、九十年か百年にはまだなってない。自分の親は九九歳だが、見たことはないが現在の話だよ。といつも聞いております。そして、その掟が引っ張られて行った後は、みんな泣きに泣いて仕方がなかった。その頃は武士の勝手だから、頭の後方に、カンプーを包帯で上げ、六月の太陽に照りつけられながら、手を後にしたまま、引っ張って行ったようだが、朝の十時から午後の四時の間に死んだ。その後に死んだことを報告すると、その死体を引っ張って来た人は大変なことになるし、その後が恐ろしいので、部落で協議して、これは夜になると死体だけでも取って来なければと。知らん振りして死体を持ち出すのは大変なことで、また知られたら村中がひどい目に合うし。ようやく死体を取って来て部落の協議で葬式もした。しかし、どこでも反対者はいるでしょう。一部分の人は協議に反対した。私達は拝みをしないと言っていた。毎年、師走の二十四日にはスーコーをし、村御願があった。「反対者は御願もしなくてもよい。」と言ったので、「友達ならば、やって上げるのが当然で、こんなに大きな法事に、あなた達が参加しないというのは、犠牲者に対して済まない。」と。「村事だと思い、本人だけを見るな。」と言った。「あぁそうか。」とそれからは毎年師走(旧暦十二月)の二十四日には一致協力してスーコーをした。それが、このスーコーの供物の味見も出来なかった。私達の親がそこに行って「そんなことはない。」と言って、こっそり餅を食べたそうである。すると、腹痛を起こしたので「確かにあなたは食べたでしょう。」と聞かれ、「そんなことはない。」と食べたようである。それも手を合わせて拝んだら治った。
| レコード番号 | 47O370022 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C001 |
| 決定題名 | 死刑になった掟Ⅰ(方言) |
| 話者がつけた題名 | 死刑になった掟 |
| 話者名 | 比嘉正貞 |
| 話者名かな | ひがせいてい |
| 生年月日 | 19000925 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村喜名 |
| 記録日 | 19761017 |
| 記録者の所属組織 | 読谷村民話調査団第一班 |
| 元テープ番号 | 読谷村喜名T01B05 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | 親から聞いた |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集2喜名の民話 P241 |
| キーワード | 綱引き,掟,村御願 |
| 梗概(こうがい) | 浦添で、武士が。首里から浦添までは半里もないと言われている。綱引きの時に武士が綱を引いたが、両方とも綱を引くには藁が要るので、両方から何人かの人が藁を貰いに来た。どこから来たのか分らないので、同じ所に二回も来るので、もうその青年たちはその武士たちを追っ払った。それが、追っ払って後で、掟といって昔はあったが今の区長のようなもので、その区長が、「大変なことになった。そのことで村中の人が呼ばれるよりも、私が行って解決して来るから、あなた達は、もし私の命がなければ、その後始末をあなた達でして欲しい。」と頼んだ。そう言えば、このことがあってから、九十年か百年にはまだなってない。自分の親は九九歳だが、見たことはないが現在の話だよ。といつも聞いております。そして、その掟が引っ張られて行った後は、みんな泣きに泣いて仕方がなかった。その頃は武士の勝手だから、頭の後方に、カンプーを包帯で上げ、六月の太陽に照りつけられながら、手を後にしたまま、引っ張って行ったようだが、朝の十時から午後の四時の間に死んだ。その後に死んだことを報告すると、その死体を引っ張って来た人は大変なことになるし、その後が恐ろしいので、部落で協議して、これは夜になると死体だけでも取って来なければと。知らん振りして死体を持ち出すのは大変なことで、また知られたら村中がひどい目に合うし。ようやく死体を取って来て部落の協議で葬式もした。しかし、どこでも反対者はいるでしょう。一部分の人は協議に反対した。私達は拝みをしないと言っていた。毎年、師走の二十四日にはスーコーをし、村御願があった。「反対者は御願もしなくてもよい。」と言ったので、「友達ならば、やって上げるのが当然で、こんなに大きな法事に、あなた達が参加しないというのは、犠牲者に対して済まない。」と。「村事だと思い、本人だけを見るな。」と言った。「あぁそうか。」とそれからは毎年師走(旧暦十二月)の二十四日には一致協力してスーコーをした。それが、このスーコーの供物の味見も出来なかった。私達の親がそこに行って「そんなことはない。」と言って、こっそり餅を食べたそうである。すると、腹痛を起こしたので「確かにあなたは食べたでしょう。」と聞かれ、「そんなことはない。」と食べたようである。それも手を合わせて拝んだら治った。 |
| 全体の記録時間数 | 4:57 |
| 物語の時間数 | 4:57 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | 〇 |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |