自分の親がですね、他所からこの読谷に来ている。すると、はじめは、首里での仕事はこうだったようである。ウミナイビの監視だったようだ。ウミナイビというのは、どういう人だったかというと、幸地親方の、今の言い方をすれば妻ですね、妻になられた。幸地親方の妻になって行ったが、その後に、政治が代わり、日本の時世になったそうだ。日本の政治に代わったので、首里では仕事がなくなってしまった。そのため、幸地親方という人は、何でも政府役人の婿ということもあって、多額の公費を持って支那に行き、「助けて下さい。」とお願いしたそうだ。だが、やっぱり国を助けるということは難かしいでしょう。その願いが叶えられなかったために、幸地親方は支那で戦死してしまったそうだ。それで、長い年月の間を、幸地殿内で、ウミナイビの監視としていたそうだ。私達(話者)の親は。殿内にいたようだがね、もう、長い年月が過ぎてもいつも同じ状態だったので、ウミナイビにお願いしたそうだ。「監視役を替えて下さい。」と。すると、もうウミナイビも感心して、「そうだね、あなた達も後の事もあることだし、それではこれ(金品)を貰って立身出世も出来るようにしなさい。」と言って、ウミナイビが下さったそうだ。そういうことで読谷山に来たという訳さ。また、この翁長真鶴という人はですね。どんな人だったかというと、こういうことである。私達は、実際には沖縄の人ではない。鹿児島だったそうだ。吉田兼康という人は、沖縄の政治をするために沖縄にいらしたそうです。長い年月が過ぎたので、沖縄女性の婿かなにかになったんでしょうね。それで、その時から、真壁親方、江洲親方、喜名親方、この三人を産んだ。また、ぜひここで生活しようと思って吉田兼康はいらしたのではなく、政治のために来たので、再び大和の方に帰らなければならない都合があり、そういう訳で長くは生活できなかった。すると、この翁長真鶴というのは、どうなったかというと、この吉田兼康は、その三人の中では、一番目が真壁親方、江洲親方、喜名親方で、親方というのは、そのシマ(村)が貰えたということだそうだ。喜名親方はこうだったんでしょう。この三人の中の三番目で、この人が(シマを)貰った。それから、翁長真鶴という人はとっても美人だったそうだ。美人だったそうだが、親方はシマを貰ったということで、美人もこの人の勝手であるので妾にしたそうだ。そこで、この喜名の子孫が生まれたそうだ。それから、この翁長真鶴についてのウスク木の話があるでしょう。喜名にはウスク堂といってありますが、これは、私達の時代、戦前までは実際にありましたよ。そのウスク堂はね。このウスク堂にちなんで歌った歌として、「ウスク堂のウスク木は 枝ぶりがゆたかである 翁長真鶴の涼みどころである。」この場所が彼女の涼み場所というわけ。このように歌が作られている訳です。
| レコード番号 | 47O370010 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C001 |
| 決定題名 | 美女翁長マジルと喜名親方(方言) |
| 話者がつけた題名 | 翁長マジル |
| 話者名 | 渡嘉敷兼求 |
| 話者名かな | とかしきけんきゅう |
| 生年月日 | 18800619 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村喜名 |
| 記録日 | 19761017 |
| 記録者の所属組織 | 読谷村民話調査団第一班 |
| 元テープ番号 | 読谷村喜名T01A08 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集2喜名の民話 P230 |
| キーワード | 幸地親方,翁長真鶴,吉田兼康,真嘉比親方,江洲親方,ウスクドー |
| 梗概(こうがい) | 自分の親がですね、他所からこの読谷に来ている。すると、はじめは、首里での仕事はこうだったようである。ウミナイビの監視だったようだ。ウミナイビというのは、どういう人だったかというと、幸地親方の、今の言い方をすれば妻ですね、妻になられた。幸地親方の妻になって行ったが、その後に、政治が代わり、日本の時世になったそうだ。日本の政治に代わったので、首里では仕事がなくなってしまった。そのため、幸地親方という人は、何でも政府役人の婿ということもあって、多額の公費を持って支那に行き、「助けて下さい。」とお願いしたそうだ。だが、やっぱり国を助けるということは難かしいでしょう。その願いが叶えられなかったために、幸地親方は支那で戦死してしまったそうだ。それで、長い年月の間を、幸地殿内で、ウミナイビの監視としていたそうだ。私達(話者)の親は。殿内にいたようだがね、もう、長い年月が過ぎてもいつも同じ状態だったので、ウミナイビにお願いしたそうだ。「監視役を替えて下さい。」と。すると、もうウミナイビも感心して、「そうだね、あなた達も後の事もあることだし、それではこれ(金品)を貰って立身出世も出来るようにしなさい。」と言って、ウミナイビが下さったそうだ。そういうことで読谷山に来たという訳さ。また、この翁長真鶴という人はですね。どんな人だったかというと、こういうことである。私達は、実際には沖縄の人ではない。鹿児島だったそうだ。吉田兼康という人は、沖縄の政治をするために沖縄にいらしたそうです。長い年月が過ぎたので、沖縄女性の婿かなにかになったんでしょうね。それで、その時から、真壁親方、江洲親方、喜名親方、この三人を産んだ。また、ぜひここで生活しようと思って吉田兼康はいらしたのではなく、政治のために来たので、再び大和の方に帰らなければならない都合があり、そういう訳で長くは生活できなかった。すると、この翁長真鶴というのは、どうなったかというと、この吉田兼康は、その三人の中では、一番目が真壁親方、江洲親方、喜名親方で、親方というのは、そのシマ(村)が貰えたということだそうだ。喜名親方はこうだったんでしょう。この三人の中の三番目で、この人が(シマを)貰った。それから、翁長真鶴という人はとっても美人だったそうだ。美人だったそうだが、親方はシマを貰ったということで、美人もこの人の勝手であるので妾にしたそうだ。そこで、この喜名の子孫が生まれたそうだ。それから、この翁長真鶴についてのウスク木の話があるでしょう。喜名にはウスク堂といってありますが、これは、私達の時代、戦前までは実際にありましたよ。そのウスク堂はね。このウスク堂にちなんで歌った歌として、「ウスク堂のウスク木は 枝ぶりがゆたかである 翁長真鶴の涼みどころである。」この場所が彼女の涼み場所というわけ。このように歌が作られている訳です。 |
| 全体の記録時間数 | 5:10 |
| 物語の時間数 | 5:10 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | 〇 |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |