小湾の方に坊主御主の別荘があった。そして、最後も小湾で亡くなっている。小湾の方では、昔は女の存在は御主の勝手だった。御主といえば、もうどんな女も勝手にやっていい。だから、ここに翁長真鶴という大変な美人がいたそうです。「ウク堂のウスク 枝ぶりの美しさ、翁長真鶴の涼み所。」と歌われた所であったそうです。これを惑わして、坊主御主はここにおいでになってそれから、沖縄の壺屋をここに建てさせた。もうあの人の命令どおりだから、どうして(坊主御主が)ここに来たかというと、あの城間クージョーはあの小湾の上の城間クージョーは有名な沖縄の上等の土地だった。そこに夕顔を作って、市場に出すと、この田舎の小作人は、「今日は駄目だった。あいつ、坊主御主の夕顔が上出来だったために売れなかった。」といって戻って来たそうだ。この坊主御主はこれを聞いたそうだ。それで、夜になると馬に乗って、その自分で作ったものを全部踏み潰して、もう、農民を助けよう、私がこれを作ると農民を殺すことになるから、と踏み潰した。そしてまた、ここの喜名にやって来て、今度は瓦焼きを名目に壺屋から人々を連れて来た。そして、そこに坊主井戸というのがあるが、その坊主御主の召し上った井戸があったそうだ。坊主御主が召し上った。そして、ここでは子供を産まなかった。その翁長マジルは騙されているのだから、首里へ連れて行けば、その人(坊主御主)の勝手だけど、そうじゃないので、逃げ回っていた。そのころ、玉城家に、私の祖先にナビーという人がいらしたそうだが、それはもう、首里に連れて行くというと、後は、「アラティ、チラナビー。」(洗い髪、美人ナビー)と名づけられた。そして、二回は逃げることができたが、三回目になると、村に命令された。「お前達が探せないのであれば死刑だぞ。」と。そのことを聞いて、玉城(屋号)の、長男はこの長浜の掟をしておりました。それで、私達の祖先も相談し、「私は、首里(地名)に連れて行かれるより、私は兄さんの後を追ってあっち(長浜)ヘ行くから。」と。昔なら、長浜へ行って隠れていると知られることもない。それで夫婦別れもするからと。「あなたはもう別の妻をさがしてくれ、私のことは構わないでほしい。私はこの子一人を育てるから。」と。その後に首里へ私の祖先は行ったそうだ。そのナビーの別名だが、「アラティ、フィラティ」と言うんだよね。喜名の方言では「トゥメーイン」というのは、標準語の「探す」で、それはさらに古い言葉で、アラティという。そして「アラティ、チュラナビー」と言って、厨子甕にもちゃんと書かれていますよ。その坊主御主が、あれもこれも全部なだめようとすると、今度は首里に、夫は行ってしまった。私達はその分かれです。坊主御主の勝手なものだから、村を犠牲にするよりも、ここから私が逃げれば、その時分は、ここから長浜へ逃げれば、もう探し出せない。二回、三回目なだめるには駕籠を担いでね、籠にはウチューというがね。マジルを駕籠に担いで、すぐ手探りだったそうだ。ところが、そこには隠れ場所があってね、洞穴(がま)に、クシマ洞穴に隠れて、二回までは済んだが、三回目には、村をあげてマジルを探していることが分り、それは大変なことになった。と思い今度は、夫婦別れをさせられた。それで、むこうは次男浦添、首里は次男、首里からまた浦添に下ったわけですよ、私達は。そして、むこうは次男、こちらは長男ということになっています。
| レコード番号 | 47O370006 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C001 |
| 決定題名 | 坊主御主と翁長マジル(共通語混) |
| 話者がつけた題名 | 坊主御主 |
| 話者名 | 比嘉正貞 |
| 話者名かな | ひがせいてい |
| 生年月日 | 19000925 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県読谷村喜名 |
| 記録日 | 19761017 |
| 記録者の所属組織 | 読谷村民話調査団第一班 |
| 元テープ番号 | 読谷村喜名T01A05 |
| 元テープ管理者 | 読谷村立歴史民俗資料館 |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 読谷村民話資料集2喜名の民話 P226-230 |
| キーワード | 坊主御主,翁長真鶴,ウスクドー, |
| 梗概(こうがい) | 小湾の方に坊主御主の別荘があった。そして、最後も小湾で亡くなっている。小湾の方では、昔は女の存在は御主の勝手だった。御主といえば、もうどんな女も勝手にやっていい。だから、ここに翁長真鶴という大変な美人がいたそうです。「ウク堂のウスク 枝ぶりの美しさ、翁長真鶴の涼み所。」と歌われた所であったそうです。これを惑わして、坊主御主はここにおいでになってそれから、沖縄の壺屋をここに建てさせた。もうあの人の命令どおりだから、どうして(坊主御主が)ここに来たかというと、あの城間クージョーはあの小湾の上の城間クージョーは有名な沖縄の上等の土地だった。そこに夕顔を作って、市場に出すと、この田舎の小作人は、「今日は駄目だった。あいつ、坊主御主の夕顔が上出来だったために売れなかった。」といって戻って来たそうだ。この坊主御主はこれを聞いたそうだ。それで、夜になると馬に乗って、その自分で作ったものを全部踏み潰して、もう、農民を助けよう、私がこれを作ると農民を殺すことになるから、と踏み潰した。そしてまた、ここの喜名にやって来て、今度は瓦焼きを名目に壺屋から人々を連れて来た。そして、そこに坊主井戸というのがあるが、その坊主御主の召し上った井戸があったそうだ。坊主御主が召し上った。そして、ここでは子供を産まなかった。その翁長マジルは騙されているのだから、首里へ連れて行けば、その人(坊主御主)の勝手だけど、そうじゃないので、逃げ回っていた。そのころ、玉城家に、私の祖先にナビーという人がいらしたそうだが、それはもう、首里に連れて行くというと、後は、「アラティ、チラナビー。」(洗い髪、美人ナビー)と名づけられた。そして、二回は逃げることができたが、三回目になると、村に命令された。「お前達が探せないのであれば死刑だぞ。」と。そのことを聞いて、玉城(屋号)の、長男はこの長浜の掟をしておりました。それで、私達の祖先も相談し、「私は、首里(地名)に連れて行かれるより、私は兄さんの後を追ってあっち(長浜)ヘ行くから。」と。昔なら、長浜へ行って隠れていると知られることもない。それで夫婦別れもするからと。「あなたはもう別の妻をさがしてくれ、私のことは構わないでほしい。私はこの子一人を育てるから。」と。その後に首里へ私の祖先は行ったそうだ。そのナビーの別名だが、「アラティ、フィラティ」と言うんだよね。喜名の方言では「トゥメーイン」というのは、標準語の「探す」で、それはさらに古い言葉で、アラティという。そして「アラティ、チュラナビー」と言って、厨子甕にもちゃんと書かれていますよ。その坊主御主が、あれもこれも全部なだめようとすると、今度は首里に、夫は行ってしまった。私達はその分かれです。坊主御主の勝手なものだから、村を犠牲にするよりも、ここから私が逃げれば、その時分は、ここから長浜へ逃げれば、もう探し出せない。二回、三回目なだめるには駕籠を担いでね、籠にはウチューというがね。マジルを駕籠に担いで、すぐ手探りだったそうだ。ところが、そこには隠れ場所があってね、洞穴(がま)に、クシマ洞穴に隠れて、二回までは済んだが、三回目には、村をあげてマジルを探していることが分り、それは大変なことになった。と思い今度は、夫婦別れをさせられた。それで、むこうは次男浦添、首里は次男、首里からまた浦添に下ったわけですよ、私達は。そして、むこうは次男、こちらは長男ということになっています。 |
| 全体の記録時間数 | 7:21 |
| 物語の時間数 | 7:21 |
| 言語識別 | 混在 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |