津賢親方と新城親方(共通語)

概要

この人(ひと)たちはですね、津堅親方(ちきんうえーかた)は 御主加那志(うすがなしー)のご次男の子守りであり、それから新城親方(あらぐすくうえーかた)は、御主加那志のご長男の子守りであったんですね。それで、首里では、御主加那志が亡くなられたんですよ。亡くなられてですね、王を継ぐ時に、誰を王にするかといって、非常にもう、 阿佐多部(あささび)、三司官、 表十五人といって、そんな役人がおったそうですが、その人達が集まってですよ、まぁ、いろいろ協議したのでありますが、長男は、もう唖(ちーがー)でありますよ、唖であったんです。それから次男さんは、やっぱり物言うんだから、誰が考えても王というものはもの言う人でなければいかないでしょ。だがですね、これがですよ、新城親方は、自分の、その、子守りして成長させた唖を王に推す。また津堅親方は、ものを言わない、いかなる王の子であっても、ものを言わない人が沖縄の政治をすることはできないんだから、ご次男を王にするといって、それでもう、協議をだいぶやってですよ、後はもう、次男に王を授けることになったそうですよ。はい。 それで新城親方はですね、これが、ご次男が、その、王になるということは聞かなかったそうですよ。それである人が、そのことを話して聞かせると、「いやこれではだめだ。これはもう、帯なんか、そのお、着物なんか着替える余裕はないんだから、もう、私はすぐ行く。」といって、それから、藁帯(わらうーび)ですね、これをやって行ったそうですよ。行ったらまあ、あれですよ。「徳持ちぬ御帯(みうび) 御藁(みわら)くんまーち すんじゃなしみり でぃわんさだ。」とぅちね、まあ、こういう意味、「私はもう、藁帯(わらうーび)であるが、今日はごめんして、もうじきは、私もいかなければいかないんだから私に話をさせてくれ。」と言ったそうですよ。そうして、言った時にですねこの唖(ちーが)ですね、長男が、ものを言うたそうです。〈新城親方が〉「徳持ちぬ御帯(みうび) ゆわな引(ひ)ちまーち すんじゃなしみり
でぃわんさだ。」というた時にですよ、唖(ちーが)がですね、「ヤカーの言葉は何と言うか。」それから物言い始めた。それからですね、「まあ、まあひとつ、まあ、歌って下さい。」と、それから、「今日(きゆ)ぬふくらしゃや、なうにじゃなたてぃ ちぶでぃうぬ花(はな)ぬ‥‥。(きょうのうれしさは何にたとえられようか 花の蕾が露に会ったようだ)」ちゆ歌、「かじだ風(ふう)」ですね、あれの歌。それでですよ、まあ、いよいよものを言うことになりまして、長男に王を授けることになったそうですよ。それから津堅親方(ちきんうえーかた)は、次男を王にしようということを考えていたのです。それで、津堅親方は野心を起こして、どうしてこの長男を殺すかという野心。それから、まあ、いろいろですね、落とし穴を造ったり、何をしたりといって、津堅親方が野心を造ってですね、御主加那志を殺すように計画したそうですよ。それが上に知れてですね、津堅親方は後はもう罪に落ちるようになって、それでもう、津堅親方は、まあ、いろいろその罪が重いもんだから、これはただの刑にしてはいかないんだから、海に沈ましてみよう。それから 津堅にですね、津堅渡(ちきんどうー)に連れて行ってですよ、三百片(さんばっち)かかいる重さの石をですね、足にくびって津堅渡に持って行って沈ませたそうですよ。その時に津堅のですね、あの干瀬(ひし)はできたそうですよ。それですね、まあ、三百片かかいる石ですよ、ずっと沖の方に持っていって沈ませたそうですが、三回あがったそうです。三回(さんくゎい)。それでですね、母親がですよ、「凪(と)れの伊平屋嶽(いはだき)やうちゃがてぃる見ゆる 沈(しじ)でぃうちゃがいる我玉(わーたま)黄金(くがに)。(凪れのときの伊平屋嶽は、浮き上がって見える沈めてもなお浮き上がる 私の大事な息子よ)」といってですね、まあ、お母さんが歌をやったが、もうその時からはあがらないで沈んでいったそうです。それでまあ、新城親方ぁ、まあ、あれですね、まあ、長男のヤカーであったから、まあいろいろあれして、津堅親方は野心をたくむおかげで津堅渡に持って行って津堅渡に沈ませた。そういうことですね。

再生時間:4:34

民話詳細DATA

レコード番号 47O375817
CD番号 47O37C234
決定題名 津賢親方と新城親方(共通語)
話者がつけた題名 津賢親方と新城親方
話者名 大城健繁
話者名かな おおしろけんぱん
生年月日 18970929
性別
出身地 沖縄県恩納村瀬良垣
記録日 19760226
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 恩納村T26A13
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情 祖父母、両親が昔話の良い語り手であった。
文字化資料 『恩納村の民話・伝説編』P129
キーワード 津堅親方,御主加那志のご次男の子守り,新城親方,御主加那志のご長男の子守り,王を継ぐ,阿佐多部,三司官,表十五,唖,次男に王を授ける,津堅親方は野心,長男を殺す,落とし穴,津堅渡,三百片の重さの石,干瀬,伊平屋嶽
梗概(こうがい) この人(ひと)たちはですね、津堅親方(ちきんうえーかた)は 御主加那志(うすがなしー)のご次男の子守りであり、それから新城親方(あらぐすくうえーかた)は、御主加那志のご長男の子守りであったんですね。それで、首里では、御主加那志が亡くなられたんですよ。亡くなられてですね、王を継ぐ時に、誰を王にするかといって、非常にもう、 阿佐多部(あささび)、三司官、 表十五人といって、そんな役人がおったそうですが、その人達が集まってですよ、まぁ、いろいろ協議したのでありますが、長男は、もう唖(ちーがー)でありますよ、唖であったんです。それから次男さんは、やっぱり物言うんだから、誰が考えても王というものはもの言う人でなければいかないでしょ。だがですね、これがですよ、新城親方は、自分の、その、子守りして成長させた唖を王に推す。また津堅親方は、ものを言わない、いかなる王の子であっても、ものを言わない人が沖縄の政治をすることはできないんだから、ご次男を王にするといって、それでもう、協議をだいぶやってですよ、後はもう、次男に王を授けることになったそうですよ。はい。 それで新城親方はですね、これが、ご次男が、その、王になるということは聞かなかったそうですよ。それである人が、そのことを話して聞かせると、「いやこれではだめだ。これはもう、帯なんか、そのお、着物なんか着替える余裕はないんだから、もう、私はすぐ行く。」といって、それから、藁帯(わらうーび)ですね、これをやって行ったそうですよ。行ったらまあ、あれですよ。「徳持ちぬ御帯(みうび) 御藁(みわら)くんまーち すんじゃなしみり でぃわんさだ。」とぅちね、まあ、こういう意味、「私はもう、藁帯(わらうーび)であるが、今日はごめんして、もうじきは、私もいかなければいかないんだから私に話をさせてくれ。」と言ったそうですよ。そうして、言った時にですねこの唖(ちーが)ですね、長男が、ものを言うたそうです。〈新城親方が〉「徳持ちぬ御帯(みうび) ゆわな引(ひ)ちまーち すんじゃなしみり でぃわんさだ。」というた時にですよ、唖(ちーが)がですね、「ヤカーの言葉は何と言うか。」それから物言い始めた。それからですね、「まあ、まあひとつ、まあ、歌って下さい。」と、それから、「今日(きゆ)ぬふくらしゃや、なうにじゃなたてぃ ちぶでぃうぬ花(はな)ぬ‥‥。(きょうのうれしさは何にたとえられようか 花の蕾が露に会ったようだ)」ちゆ歌、「かじだ風(ふう)」ですね、あれの歌。それでですよ、まあ、いよいよものを言うことになりまして、長男に王を授けることになったそうですよ。それから津堅親方(ちきんうえーかた)は、次男を王にしようということを考えていたのです。それで、津堅親方は野心を起こして、どうしてこの長男を殺すかという野心。それから、まあ、いろいろですね、落とし穴を造ったり、何をしたりといって、津堅親方が野心を造ってですね、御主加那志を殺すように計画したそうですよ。それが上に知れてですね、津堅親方は後はもう罪に落ちるようになって、それでもう、津堅親方は、まあ、いろいろその罪が重いもんだから、これはただの刑にしてはいかないんだから、海に沈ましてみよう。それから 津堅にですね、津堅渡(ちきんどうー)に連れて行ってですよ、三百片(さんばっち)かかいる重さの石をですね、足にくびって津堅渡に持って行って沈ませたそうですよ。その時に津堅のですね、あの干瀬(ひし)はできたそうですよ。それですね、まあ、三百片かかいる石ですよ、ずっと沖の方に持っていって沈ませたそうですが、三回あがったそうです。三回(さんくゎい)。それでですね、母親がですよ、「凪(と)れの伊平屋嶽(いはだき)やうちゃがてぃる見ゆる 沈(しじ)でぃうちゃがいる我玉(わーたま)黄金(くがに)。(凪れのときの伊平屋嶽は、浮き上がって見える沈めてもなお浮き上がる 私の大事な息子よ)」といってですね、まあ、お母さんが歌をやったが、もうその時からはあがらないで沈んでいったそうです。それでまあ、新城親方ぁ、まあ、あれですね、まあ、長男のヤカーであったから、まあいろいろあれして、津堅親方は野心をたくむおかげで津堅渡に持って行って津堅渡に沈ませた。そういうことですね。
全体の記録時間数 4:34
物語の時間数 4:34
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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