オヤケ赤蜂(共通語)

概要

 年寄りの話を聞くとね、オヤケ赤蜂はね、ある説によると海から箱の中に入れて海岸に流れてきたという説もあるが、本当は外人とこの波照間で神司をしていた女の人の子どもで、拾ってきて育てたのはその家屋敷は分からんけど南の男の人だったと。あの当時は、オランダとかスペインとかの外国の船も相当来とったらしい。もう外国船が来ると、波照間の人はどこの国でも全部もう、「オランダ、オランダ。」と言っとったです。名前の赤蜂は、髪の毛も赤くなっているから、赤い蜂となった。僕らが兵隊に行くまでは大浜(ぼーま)赤蜂とも言いましたよ。赤蜂は波照間から出て大浜にいたから、そういう名前だったんですよ。大浜部落とこっちの波照間島には碑がありますよ。兵隊から帰ってくるとね、伊波南哲先生が、オヤケ赤蜂に変えてたからオヤケ赤蜂になってしまった。オヤケでもいいかもしれんけど、元の名前の大浜(ぼーま)赤蜂の方がいいな。あの人は長田大主が石垣へ渡ると、「自分もこんな島におられない。」と言って、最初は石垣の平得の海岸に洞窟があるらしいです。あそこにしばらくおってやがて大浜部落に着いたと。同じ波照間から出て行った長田大主はボーマ赤蜂が洞窟におった時に妹の姑乙姥に、「赤蜂に毒を飲まして殺してこい。」と言ったが、姑乙姥はとうとう出来なかったということですね。平得の人に、「そんな洞窟がありますか。」と聞いたら、「ありますよ。」ということです。この波照間では、人頭税が始まる前はですね、自分たちで作ったこの穀物は税に出すことないもんだから、毎年もう豊作、豊作で、一カ年に一回はですね、火の神の祭りのイリキヤアマリのカンタ遊びと言って、遊んだところがずうっと上の若夏国体聖火記念碑の側にありますよ。あん時は、こんな大きな木の上にもうたくさん神酒を作ったり、西表島に船を出して猪(うむざ)を捕ってきて、また、海に行って魚を捕ってきたりして、食べ物は余分にあるもんだからね、一週間も二週間も飲んだり食ったりしたと言うんです。あん時のカンタ遊びしたときの下袴(はかん)とかの衣装は焼かれて無いけど、あの時の首飾りや刀とかは自分が戦争に行くまではですね、美底さんの家にありましたが、戦争から帰ってくると、戦争のときにどこに行ったか分からなくなってないと言ってましたが、しかし、刀と首飾りのガラ玉は、私の家内が掃除をしたり、干乾ししたりして、美底という家の女がですね、毎年節祭に出しているんです。あれを県の文化課の方が見に行くと言ってたんですよ。この剣はね、諸刃の日本刀のだった。その遊んだ広場のカタバリヤの周囲は全部福木でですね、その中で踊ったりしたんでしょうね。

再生時間:13:51

民話詳細DATA

レコード番号 47O201428
CD番号 47O20C072
決定題名 オヤケ赤蜂(共通語)
話者がつけた題名
話者名 新城康佑
話者名かな あらしろこうゆう
生年月日 19191003
性別
出身地 沖縄県八重山郡竹富町波照間
記録日 19960319
記録者の所属組織 竹富町口承文芸学術調査団
元テープ番号 竹富町字波照間T35A04
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 髪が赤,箱
梗概(こうがい)  年寄りの話を聞くとね、オヤケ赤蜂はね、ある説によると海から箱の中に入れて海岸に流れてきたという説もあるが、本当は外人とこの波照間で神司をしていた女の人の子どもで、拾ってきて育てたのはその家屋敷は分からんけど南の男の人だったと。あの当時は、オランダとかスペインとかの外国の船も相当来とったらしい。もう外国船が来ると、波照間の人はどこの国でも全部もう、「オランダ、オランダ。」と言っとったです。名前の赤蜂は、髪の毛も赤くなっているから、赤い蜂となった。僕らが兵隊に行くまでは大浜(ぼーま)赤蜂とも言いましたよ。赤蜂は波照間から出て大浜にいたから、そういう名前だったんですよ。大浜部落とこっちの波照間島には碑がありますよ。兵隊から帰ってくるとね、伊波南哲先生が、オヤケ赤蜂に変えてたからオヤケ赤蜂になってしまった。オヤケでもいいかもしれんけど、元の名前の大浜(ぼーま)赤蜂の方がいいな。あの人は長田大主が石垣へ渡ると、「自分もこんな島におられない。」と言って、最初は石垣の平得の海岸に洞窟があるらしいです。あそこにしばらくおってやがて大浜部落に着いたと。同じ波照間から出て行った長田大主はボーマ赤蜂が洞窟におった時に妹の姑乙姥に、「赤蜂に毒を飲まして殺してこい。」と言ったが、姑乙姥はとうとう出来なかったということですね。平得の人に、「そんな洞窟がありますか。」と聞いたら、「ありますよ。」ということです。この波照間では、人頭税が始まる前はですね、自分たちで作ったこの穀物は税に出すことないもんだから、毎年もう豊作、豊作で、一カ年に一回はですね、火の神の祭りのイリキヤアマリのカンタ遊びと言って、遊んだところがずうっと上の若夏国体聖火記念碑の側にありますよ。あん時は、こんな大きな木の上にもうたくさん神酒を作ったり、西表島に船を出して猪(うむざ)を捕ってきて、また、海に行って魚を捕ってきたりして、食べ物は余分にあるもんだからね、一週間も二週間も飲んだり食ったりしたと言うんです。あん時のカンタ遊びしたときの下袴(はかん)とかの衣装は焼かれて無いけど、あの時の首飾りや刀とかは自分が戦争に行くまではですね、美底さんの家にありましたが、戦争から帰ってくると、戦争のときにどこに行ったか分からなくなってないと言ってましたが、しかし、刀と首飾りのガラ玉は、私の家内が掃除をしたり、干乾ししたりして、美底という家の女がですね、毎年節祭に出しているんです。あれを県の文化課の方が見に行くと言ってたんですよ。この剣はね、諸刃の日本刀のだった。その遊んだ広場のカタバリヤの周囲は全部福木でですね、その中で踊ったりしたんでしょうね。
全体の記録時間数 13:51
物語の時間数 13:51
言語識別 共通語
音源の質 ×
テープ番号
予備項目1

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