オランダ人の船が新城島の近くに来たとき浅瀬に座礁して、その船のオランダ人は天気も悪いから新城島に避難して上陸し滞在しておったわけさ。そのときこの島の加屋本家の娘が自分の上納として納めた反物が、どの程度細かくせんと合格なるか不合格になるか、分からんし、余所の島の人の織った反物は、どのぐらい良いのを作っているのか、それを見にわざわざ石垣に見に行ったわけ。ところがその波照間から石垣に行く船も天気が悪かったから新城島に滞在していたら、そのとき新城島にいたオランダ人に加屋本の娘が強姦されて出来た子がゲートホーラだと言うから、ゲートホーラという大力者の父親はオランダ人だよ。だから、ゲートホーラは身体も大きく力が強かったらしいです。 昔の高倉は、台風となると屋根の茅が飛ばされたり、ときには猛烈に風が強いときには下の柱だけを残して上が全部風に持って行かれることがあるから、黒縄で作った網を上からこう被せて、さらにその上から船の錨綱のような太い綱で屋根が動かんように、六本か八本ぐらい掛けて引っ張って縛るわけさ。その綱は、さらにそれぞれ穴の開いた石を持ってきて穴に綱を通して縛って石を地面に埋め、高倉の台風対策にしたんだよ。ゲートホーラが天秤棒で両方に担いで持ってきたというその高倉の重し石があるがね、すごい大きい見事な石であるわけさ。私なんかはあの大きな石の上で遊んでおった。あれは、あまり大きくて重機なんかの機械力でなければ片づけられられなかったし、そのころは重機はない。転がしても転がせないからみんなハンマーで叩き割ってからようやく片づけたよ。ゲートホーラは、そんな大きい石を二つも一緒に運ぶぐらい力持ちだったそうだ。波照間ではゲートホーラとアカハチの二人は特別な大男で、ゲートホーラが沖縄に行ったとき、辻遊びなんかで酔っぱらって道路を歩くと、沖縄の人でもみんな避けるぐらいであったというからね、あれは簡単な男じゃなかったんですよ。昔は、屋敷と土地と妻子があり、倉庫と井戸とお墓を備えないと一人前とは言われなかった。今の時代は、儲けた金は銀行とか農協とかね、郵便局とがに預けて昔の倉庫なんかいらんですよ。また墓も沖縄辺りだったら門中墓とかがあって一つの門中にみんなこう入るよ。しかしこっちは分家すると倉庫と自分の墓がないと一人前とは言われないんだよ。このゲートホーラは大和の人に騙されてさ、「あんたはお墓を造るんだったらね、太陽に向かわして東向きに造りなさい。そうすれば、あんた以上に力の強いのが生まれる。」と教えたらしいです。だから、ゲートホーラは石を持ってきて囲いをして上も石で覆って海の側に立派な東向きの墓の造っておった。だけど東は太陽はこうどんどん上がる方向だから繁盛の方向でしょう。生まれの方向なら東がいい。しかし、死者を納める墓を東向きに造ることは死が繁盛するという理屈になってしまう。それで、そのゲートホーラは子孫一人も残さなかったと。これは、逆にゲートホーラのような強い者が生まれないように、墓を東向きに造れと教えたということですよ。これが分かったから、それから後に造った波照間のお墓で東向きの墓は一つもありません。ただ、保田盛家のお墓は北東に向いていますが、この保田盛家は、沖縄から来てるからね、「自分は太陽には向かわずに、自分の生まれ故郷に向かわす。」と墓は寅の方向だが、門は南に向けてる。その他の墓は全部北向きとか、西向きとか南向きになっている。
| レコード番号 | 47O201421 |
|---|---|
| CD番号 | 47O20C071 |
| 決定題名 | ゲートホーラ(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 勝連文雄 |
| 話者名かな | かつれんふみお |
| 生年月日 | 19170518 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県八重山郡竹富町波照間 |
| 記録日 | 19960318 |
| 記録者の所属組織 | 竹富町口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 竹富町字波照間T33B02 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 新城島,オランダ人 |
| 梗概(こうがい) | オランダ人の船が新城島の近くに来たとき浅瀬に座礁して、その船のオランダ人は天気も悪いから新城島に避難して上陸し滞在しておったわけさ。そのときこの島の加屋本家の娘が自分の上納として納めた反物が、どの程度細かくせんと合格なるか不合格になるか、分からんし、余所の島の人の織った反物は、どのぐらい良いのを作っているのか、それを見にわざわざ石垣に見に行ったわけ。ところがその波照間から石垣に行く船も天気が悪かったから新城島に滞在していたら、そのとき新城島にいたオランダ人に加屋本の娘が強姦されて出来た子がゲートホーラだと言うから、ゲートホーラという大力者の父親はオランダ人だよ。だから、ゲートホーラは身体も大きく力が強かったらしいです。 昔の高倉は、台風となると屋根の茅が飛ばされたり、ときには猛烈に風が強いときには下の柱だけを残して上が全部風に持って行かれることがあるから、黒縄で作った網を上からこう被せて、さらにその上から船の錨綱のような太い綱で屋根が動かんように、六本か八本ぐらい掛けて引っ張って縛るわけさ。その綱は、さらにそれぞれ穴の開いた石を持ってきて穴に綱を通して縛って石を地面に埋め、高倉の台風対策にしたんだよ。ゲートホーラが天秤棒で両方に担いで持ってきたというその高倉の重し石があるがね、すごい大きい見事な石であるわけさ。私なんかはあの大きな石の上で遊んでおった。あれは、あまり大きくて重機なんかの機械力でなければ片づけられられなかったし、そのころは重機はない。転がしても転がせないからみんなハンマーで叩き割ってからようやく片づけたよ。ゲートホーラは、そんな大きい石を二つも一緒に運ぶぐらい力持ちだったそうだ。波照間ではゲートホーラとアカハチの二人は特別な大男で、ゲートホーラが沖縄に行ったとき、辻遊びなんかで酔っぱらって道路を歩くと、沖縄の人でもみんな避けるぐらいであったというからね、あれは簡単な男じゃなかったんですよ。昔は、屋敷と土地と妻子があり、倉庫と井戸とお墓を備えないと一人前とは言われなかった。今の時代は、儲けた金は銀行とか農協とかね、郵便局とがに預けて昔の倉庫なんかいらんですよ。また墓も沖縄辺りだったら門中墓とかがあって一つの門中にみんなこう入るよ。しかしこっちは分家すると倉庫と自分の墓がないと一人前とは言われないんだよ。このゲートホーラは大和の人に騙されてさ、「あんたはお墓を造るんだったらね、太陽に向かわして東向きに造りなさい。そうすれば、あんた以上に力の強いのが生まれる。」と教えたらしいです。だから、ゲートホーラは石を持ってきて囲いをして上も石で覆って海の側に立派な東向きの墓の造っておった。だけど東は太陽はこうどんどん上がる方向だから繁盛の方向でしょう。生まれの方向なら東がいい。しかし、死者を納める墓を東向きに造ることは死が繁盛するという理屈になってしまう。それで、そのゲートホーラは子孫一人も残さなかったと。これは、逆にゲートホーラのような強い者が生まれないように、墓を東向きに造れと教えたということですよ。これが分かったから、それから後に造った波照間のお墓で東向きの墓は一つもありません。ただ、保田盛家のお墓は北東に向いていますが、この保田盛家は、沖縄から来てるからね、「自分は太陽には向かわずに、自分の生まれ故郷に向かわす。」と墓は寅の方向だが、門は南に向けてる。その他の墓は全部北向きとか、西向きとか南向きになっている。 |
| 全体の記録時間数 | 0:00 |
| 物語の時間数 | 0:00 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | × |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |