ヤグハカマリ(共通語)

概要

 ヤグハカマリはね、保田盛家で生まれた人で、保田盛家の屋敷が狭いからって、自分の信仰するところと言って、今の波照間の御願の東の今の屋敷に移ったからね、そこをヤグ村というんだ。そのヤグ村に、「私はここに住む。」と言ってアカマラという人が来たんですね。その人もヤグ村に住んだのでヤグアカマラと言われていましたが、「あんまり人頭税が高いものだから、男の子が多いと人頭税が納められなくなるから生んだ子どももつぶして、育てた木も人頭税に取られて、また自分のところ作っても、女は布を織って、琉球政府に納めるさね。男は粟とか米とか作ってもね、作ったものをみんな出して、残りだけを食べるけど、それでは足りないから島の人の命は毎年蘇鉄にかかってる。こんなところには住むたくない。」と言ってよ、首里政府から人頭税を集める馬艦船(まーらんせん)が来てね、あれは大きい目玉が船首に光ってる大きい船で、あれには、米俵を集めに来た首里城の役人もこれに乗って来ていて、この島から米俵をどんどん積み込んでいたから、ヤグ村のヤグアカマラは、「こんなにしては住めない。地方のずっとどこに行っても辛抱する。」と言って、人が寝静まってから森の中にヤグ村のみんなを集めて、「今、この島に税金取る馬艦船(まーらんせん)が来ておる。役人が船から下りている間に、あの船を乗っ取ってこの島から逃げるから、自分たちのあっちで食べるものや着物、鍋とか持って来なさい。」と言ったので、ヤグ村の人は何十名かおったかも分からないけれど、それぞれ自分の家に帰ると持って行く物を持って、こっそり物を言わないで船に乗っていたら、船を出そうというときになって、ピサという女の人がね、「おかしいね、私の大事な鍋を忘れてきている。」と言ったのだが、家はヤグ村というところだから、鍋を持って来ると言っても、夜が明けたら政府の人が来て見つかるから、自分たちみんなが罰されて死なされるでしょう。だから、夜は明けるから船は待ちきれない。ヤグアカマラは、「でも時間だからね、ここから船は出すが南の浜に行って止まるから、あんたは家から鍋を持ってきたらすぐに南の浜に来なさい。」と言うから、そのピサという人は、鍋を持って南の浜の方まで行ったらね、あっちに大きい木が二、三本立っておるところがあったでしょう。あれの西に田圃あって、そこまで来たら、自分の乗っていく船は、南の浜には寄らないで南の方に行くわけよ。もうそうなると自分ではどうにも出来ないさね。そこの田圃で自分の持ってる杓子でね、鍋こんなに掻いて、「自分は捨てられた。」と泣いたから、そこの田圃を鍋掻き田という。そのヤグ村の人が行った南波照間という島は、台湾の側という人もいるけど、私の聞いたのはそうでない。終戦後沖縄の高江洲という人がカツオ船の船長さんやっていて、私の叔父さんの仲本さんが機関長で、カツオの餌のジャコを捕りしたり、サザエや貝捕りに南の方のフィリピンの近くのマルバンという島とバカンという二つ並んだ小さい島に行ったらね、その島にはフィリピンの人がいっぱいいたが、その中に波照間言葉ばっかり使っている人がおって、この着けてるのもみんな自分で織った物で、道具やなんかも波照間みんなそのままって。しかも本比田という人が南波照間(はいはてるま)に行った証拠に持ってきて、この島で増えたマルブサという花がその島の周囲にはいっぱいあったって。だから、今の研究者は南波照間(はいはてるま)を台湾の側というけどそうではない。それを聞いていた私の主人と死んでしまって、また高江洲という人はね、石垣から那覇に引っ越されていたので、その人に聞いたら分かるんだけど、高江洲という人の子どもが上間というところに引っ越していますからもう分からなくなっているんです。

再生時間:4:26

民話詳細DATA

レコード番号 47O201411
CD番号 47O20C071
決定題名 ヤグハカマリ(共通語)
話者がつけた題名
話者名 保多盛ヨシ
話者名かな ほたもりよし
生年月日 19200915
性別
出身地 沖縄県八重山郡竹富町波照間
記録日 19960319
記録者の所属組織 竹富町口承文芸学術調査団
元テープ番号 竹富町字波照間T34B08
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 上納品,鍋掻き田
梗概(こうがい)  ヤグハカマリはね、保田盛家で生まれた人で、保田盛家の屋敷が狭いからって、自分の信仰するところと言って、今の波照間の御願の東の今の屋敷に移ったからね、そこをヤグ村というんだ。そのヤグ村に、「私はここに住む。」と言ってアカマラという人が来たんですね。その人もヤグ村に住んだのでヤグアカマラと言われていましたが、「あんまり人頭税が高いものだから、男の子が多いと人頭税が納められなくなるから生んだ子どももつぶして、育てた木も人頭税に取られて、また自分のところ作っても、女は布を織って、琉球政府に納めるさね。男は粟とか米とか作ってもね、作ったものをみんな出して、残りだけを食べるけど、それでは足りないから島の人の命は毎年蘇鉄にかかってる。こんなところには住むたくない。」と言ってよ、首里政府から人頭税を集める馬艦船(まーらんせん)が来てね、あれは大きい目玉が船首に光ってる大きい船で、あれには、米俵を集めに来た首里城の役人もこれに乗って来ていて、この島から米俵をどんどん積み込んでいたから、ヤグ村のヤグアカマラは、「こんなにしては住めない。地方のずっとどこに行っても辛抱する。」と言って、人が寝静まってから森の中にヤグ村のみんなを集めて、「今、この島に税金取る馬艦船(まーらんせん)が来ておる。役人が船から下りている間に、あの船を乗っ取ってこの島から逃げるから、自分たちのあっちで食べるものや着物、鍋とか持って来なさい。」と言ったので、ヤグ村の人は何十名かおったかも分からないけれど、それぞれ自分の家に帰ると持って行く物を持って、こっそり物を言わないで船に乗っていたら、船を出そうというときになって、ピサという女の人がね、「おかしいね、私の大事な鍋を忘れてきている。」と言ったのだが、家はヤグ村というところだから、鍋を持って来ると言っても、夜が明けたら政府の人が来て見つかるから、自分たちみんなが罰されて死なされるでしょう。だから、夜は明けるから船は待ちきれない。ヤグアカマラは、「でも時間だからね、ここから船は出すが南の浜に行って止まるから、あんたは家から鍋を持ってきたらすぐに南の浜に来なさい。」と言うから、そのピサという人は、鍋を持って南の浜の方まで行ったらね、あっちに大きい木が二、三本立っておるところがあったでしょう。あれの西に田圃あって、そこまで来たら、自分の乗っていく船は、南の浜には寄らないで南の方に行くわけよ。もうそうなると自分ではどうにも出来ないさね。そこの田圃で自分の持ってる杓子でね、鍋こんなに掻いて、「自分は捨てられた。」と泣いたから、そこの田圃を鍋掻き田という。そのヤグ村の人が行った南波照間という島は、台湾の側という人もいるけど、私の聞いたのはそうでない。終戦後沖縄の高江洲という人がカツオ船の船長さんやっていて、私の叔父さんの仲本さんが機関長で、カツオの餌のジャコを捕りしたり、サザエや貝捕りに南の方のフィリピンの近くのマルバンという島とバカンという二つ並んだ小さい島に行ったらね、その島にはフィリピンの人がいっぱいいたが、その中に波照間言葉ばっかり使っている人がおって、この着けてるのもみんな自分で織った物で、道具やなんかも波照間みんなそのままって。しかも本比田という人が南波照間(はいはてるま)に行った証拠に持ってきて、この島で増えたマルブサという花がその島の周囲にはいっぱいあったって。だから、今の研究者は南波照間(はいはてるま)を台湾の側というけどそうではない。それを聞いていた私の主人と死んでしまって、また高江洲という人はね、石垣から那覇に引っ越されていたので、その人に聞いたら分かるんだけど、高江洲という人の子どもが上間というところに引っ越していますからもう分からなくなっているんです。
全体の記録時間数 4:26
物語の時間数 4:26
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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