流刑者波照間の上盛家の先祖(共通語)

概要

 私の家は元は沖縄の金城と言って、本家は糸満の白銀堂の後ろにある。それが首里の下役人をしていて運玉義留が王様の金の枕とか金の杯とかああいうものを盗んだとき、当番をしておったらしい。その関係で波照間にええ流刑されたとかいうことです。ところが後幾年かのうちに王様の屋敷普請のとき、盗まれたはずの金の杯が出てきた。盗んだけれども落として逃げたわけですね。だから王様の杯はあるんだからあんた達は罪はないから帰ってこいと言ってまた沖縄に帰っていきよった。ところがその間に子ども生んであるでしょう。私なんかはその子孫なるわけ。その先祖は、沖縄に戻ることになったけども、帰りに石垣で在番の下のカサという役人をしておって屋号は石垣だったと。それで、崎山だったのが私の家も石垣になっていたんです。私の家の文書には、その時代を道光と書いてあるから、多分明和の大津波あったころじゃないかなあと思っています。ところがその後でこの島にきた役人が来て、「親の家は上で、あんた達は子どもなのに上の親の家と同じ石垣ではいかん。」と言って、上盛になったそうですよ。今、私の家は根人殿内(ぬんどぅんち)と呼ばれていますよ。

再生時間:8:40

民話詳細DATA

レコード番号 47O201365
CD番号 47O20C066
決定題名 流刑者波照間の上盛家の先祖(共通語)
話者がつけた題名
話者名 上盛政弘
話者名かな うえもりまさひろ
生年月日 19120326
性別
出身地 沖縄県八重山郡竹富町波照間
記録日 19950911
記録者の所属組織 竹富町口承文芸学術調査団
元テープ番号 竹富町字波照間T21B07
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 世間話
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 金城,石垣
梗概(こうがい)  私の家は元は沖縄の金城と言って、本家は糸満の白銀堂の後ろにある。それが首里の下役人をしていて運玉義留が王様の金の枕とか金の杯とかああいうものを盗んだとき、当番をしておったらしい。その関係で波照間にええ流刑されたとかいうことです。ところが後幾年かのうちに王様の屋敷普請のとき、盗まれたはずの金の杯が出てきた。盗んだけれども落として逃げたわけですね。だから王様の杯はあるんだからあんた達は罪はないから帰ってこいと言ってまた沖縄に帰っていきよった。ところがその間に子ども生んであるでしょう。私なんかはその子孫なるわけ。その先祖は、沖縄に戻ることになったけども、帰りに石垣で在番の下のカサという役人をしておって屋号は石垣だったと。それで、崎山だったのが私の家も石垣になっていたんです。私の家の文書には、その時代を道光と書いてあるから、多分明和の大津波あったころじゃないかなあと思っています。ところがその後でこの島にきた役人が来て、「親の家は上で、あんた達は子どもなのに上の親の家と同じ石垣ではいかん。」と言って、上盛になったそうですよ。今、私の家は根人殿内(ぬんどぅんち)と呼ばれていますよ。
全体の記録時間数 8:54
物語の時間数 8:40
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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