昔、鳩間島のパチンガーガーの傍の長間屋(なーまーやー)という家の人が、正月明けに海に行ったら、白い色の着物を着けた人が船を海に下ろそうとしていた。だから、長間屋(なーまーやー)の人が船を下ろすの手伝ってあげた。そしたらね、「ああ、どうも有り難う。あんたの名前はなんというの。」と聞くから、「私の家は長間屋(なーまーやー)ですよ。」と言ったらね、「実は私は人間ではない。夜鳴く夜烏(ゆーがらさー)だ。私達は悪い病気を蒔いて歩く疫病神だ。今度来て、この島を廻るとき、あんたの家がどこか分かったら、家の上だけは病気を蒔かないから、夜、私が鳴いて飛び回るときには、長間屋(なーまーやー)の孫子(まっふぁ)だよ言いなさい。」と教えてくれた。だから、夜烏(ゆーがらさー)が夜に鳴いて飛んでいるときには、「長間屋(なーまーやー)の孫子(まっふぁ)どー。」というようになった。この長間屋(なーまーやー)の人たちは、瓢箪っていったかね、ペーラかね。あれを売って子どもを育ててね、この子どもが一人前になって成長したもんだからね、石垣に移って石垣の今の二中(ふたなか)の向こうの西にお宮があるわけさ。そこのナナモトというところに住んだのさ。その鳩間から石垣に行く前にね、「じゃ、行かれるならみんなで送別会をしよう。」と。そしたらね、長間家(なーまやー)の屋敷は中森の西だからね、子どもなんかがやっぱしたまには部落に下りるわけさあね。そんなときに、心のいい人はね、「長間家(なーまやー)の子どもたちが来た。」といって、ある物分けてあげたりして。また、心の悪い人やなんかがね、「ええ、長間家(なーまやー)の物喰いもんが来た。またまたあの貧乏の惨めな人間が来た。」と言ってね、自分で食べてるの隠してねあげなかった人もいるみたいさ。それで、送別会の時にみんな呼んでからねやったときによ、この人が言葉狂言(ことばきょんぎん)と言って歌を作ってお礼をいうたらね、自分なんかが長間家(なーまやー)の子供をよくした人は残ってね、長間家(なーまやー)の人にほんと惨めな人間が来たといってやらなかった人なんかはね、この人がそれを言葉して歌を作ってゆうてあるもんだから、帰った人もおったって。これは、昭和一九年に亡くなった私なんかの婆さんに裏座で私なんかも三畳間に二人でいっていっつもいろんなこういう話ばっかりが聞かされたわけさ。
| レコード番号 | 47O200641 |
|---|---|
| CD番号 | 47O20C037 |
| 決定題名 | ナーマヤーと夜烏(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 鳩間真吉 |
| 話者名かな | はとましんきち |
| 生年月日 | 19300215 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県八重山郡竹富町字鳩間 |
| 記録日 | 19971120 |
| 記録者の所属組織 | 竹富町口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 竹富町字鳩間107A05 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 沖国大国文学科平成9度卒業論文 鳩間島の民話 p35 |
| キーワード | 船,疫病神,夜烏 |
| 梗概(こうがい) | 昔、鳩間島のパチンガーガーの傍の長間屋(なーまーやー)という家の人が、正月明けに海に行ったら、白い色の着物を着けた人が船を海に下ろそうとしていた。だから、長間屋(なーまーやー)の人が船を下ろすの手伝ってあげた。そしたらね、「ああ、どうも有り難う。あんたの名前はなんというの。」と聞くから、「私の家は長間屋(なーまーやー)ですよ。」と言ったらね、「実は私は人間ではない。夜鳴く夜烏(ゆーがらさー)だ。私達は悪い病気を蒔いて歩く疫病神だ。今度来て、この島を廻るとき、あんたの家がどこか分かったら、家の上だけは病気を蒔かないから、夜、私が鳴いて飛び回るときには、長間屋(なーまーやー)の孫子(まっふぁ)だよ言いなさい。」と教えてくれた。だから、夜烏(ゆーがらさー)が夜に鳴いて飛んでいるときには、「長間屋(なーまーやー)の孫子(まっふぁ)どー。」というようになった。この長間屋(なーまーやー)の人たちは、瓢箪っていったかね、ペーラかね。あれを売って子どもを育ててね、この子どもが一人前になって成長したもんだからね、石垣に移って石垣の今の二中(ふたなか)の向こうの西にお宮があるわけさ。そこのナナモトというところに住んだのさ。その鳩間から石垣に行く前にね、「じゃ、行かれるならみんなで送別会をしよう。」と。そしたらね、長間家(なーまやー)の屋敷は中森の西だからね、子どもなんかがやっぱしたまには部落に下りるわけさあね。そんなときに、心のいい人はね、「長間家(なーまやー)の子どもたちが来た。」といって、ある物分けてあげたりして。また、心の悪い人やなんかがね、「ええ、長間家(なーまやー)の物喰いもんが来た。またまたあの貧乏の惨めな人間が来た。」と言ってね、自分で食べてるの隠してねあげなかった人もいるみたいさ。それで、送別会の時にみんな呼んでからねやったときによ、この人が言葉狂言(ことばきょんぎん)と言って歌を作ってお礼をいうたらね、自分なんかが長間家(なーまやー)の子供をよくした人は残ってね、長間家(なーまやー)の人にほんと惨めな人間が来たといってやらなかった人なんかはね、この人がそれを言葉して歌を作ってゆうてあるもんだから、帰った人もおったって。これは、昭和一九年に亡くなった私なんかの婆さんに裏座で私なんかも三畳間に二人でいっていっつもいろんなこういう話ばっかりが聞かされたわけさ。 |
| 全体の記録時間数 | 5:50 |
| 物語の時間数 | 5:47 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |