武士の家(共通語)

概要

 武士(ぶし)ん家(や)は私らも小学校時代に薪を拾いに一回か二回行ったからある場所は知っているんですが、それ以来行ったことはないんです。最近ちょっと復元するっていって石を積んでいるみたいです。武士(ぶし)ん家(や)は低い湾というかちょっと半島か石が少し飛び出している岬の上に四角く石を積んだ石垣に囲まれていて、中には人が住める屋敷があって、鉄砲撃つために穴もあったということや棒なんか竿を立てて合図する石もあったということは聞いておるんですがね、私らはその銃眼や旗立て石も見たこともないんですよね。この武士(ぶし)ん家(や)は何のためにそれを作ったのか、いろいろ説が有るんですね。そこに人が住んでおって、その人たちは、島の人に、「魚を持ってこい。」と言っていたから、魚を捕って帰る人はその魚を持って行ってもらって、生活しておったという説を聞いているぐらいです。私(うち)の親父は村会議員して昭和一二年に四一才で死んだんですが、死ぬ前に、「武士(ぶし)ん家(や)には宝がある。何か埋まっておる。」と言ったらしいですね。それで、その後から私の甥になるんですが西原章吉っていって今竹富町の水道課長のお父さんも戦後、私(うち)の親父死んで後から、いろいろ石ころなんか片づけて火を燃やして調査していろいろ探したらしいんですが、何も無かったっていう話ですね。この武士(ぶし)ん家(や)の写真を持っている人少ないんじゃないですかね。ただ、私の所には武士(ぶし)ん家(や)を崩す前に遠くから撮った写真だけがありますよ。その写真では積まれている石は低かったですよ。ただ、戦争中にアメリカさんが撮ったという航空写真があるということを聞いております。この武士(ぶし)ん家(や)の石垣は、戦後鳩間の護岸工事やるために、鳩間の部落の周囲の石垣もみんなそこに売ったから、そこも割って取り壊したんです。

再生時間:5:22

民話詳細DATA

レコード番号 47O200491
CD番号 47O20C028
決定題名 武士の家(共通語)
話者がつけた題名
話者名 屋嘉武雄
話者名かな やかたけお
生年月日 19250204
性別
出身地 沖縄県八重山郡竹富町字鳩間
記録日 19960913
記録者の所属組織 竹富町口承文芸学術調査団
元テープ番号 竹富町字竹富T116B01
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 民俗
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 沖国大国文学科平成9度卒業論文 鳩間島の民話 P26
キーワード 鉄砲,
梗概(こうがい)  武士(ぶし)ん家(や)は私らも小学校時代に薪を拾いに一回か二回行ったからある場所は知っているんですが、それ以来行ったことはないんです。最近ちょっと復元するっていって石を積んでいるみたいです。武士(ぶし)ん家(や)は低い湾というかちょっと半島か石が少し飛び出している岬の上に四角く石を積んだ石垣に囲まれていて、中には人が住める屋敷があって、鉄砲撃つために穴もあったということや棒なんか竿を立てて合図する石もあったということは聞いておるんですがね、私らはその銃眼や旗立て石も見たこともないんですよね。この武士(ぶし)ん家(や)は何のためにそれを作ったのか、いろいろ説が有るんですね。そこに人が住んでおって、その人たちは、島の人に、「魚を持ってこい。」と言っていたから、魚を捕って帰る人はその魚を持って行ってもらって、生活しておったという説を聞いているぐらいです。私(うち)の親父は村会議員して昭和一二年に四一才で死んだんですが、死ぬ前に、「武士(ぶし)ん家(や)には宝がある。何か埋まっておる。」と言ったらしいですね。それで、その後から私の甥になるんですが西原章吉っていって今竹富町の水道課長のお父さんも戦後、私(うち)の親父死んで後から、いろいろ石ころなんか片づけて火を燃やして調査していろいろ探したらしいんですが、何も無かったっていう話ですね。この武士(ぶし)ん家(や)の写真を持っている人少ないんじゃないですかね。ただ、私の所には武士(ぶし)ん家(や)を崩す前に遠くから撮った写真だけがありますよ。その写真では積まれている石は低かったですよ。ただ、戦争中にアメリカさんが撮ったという航空写真があるということを聞いております。この武士(ぶし)ん家(や)の石垣は、戦後鳩間の護岸工事やるために、鳩間の部落の周囲の石垣もみんなそこに売ったから、そこも割って取り壊したんです。
全体の記録時間数 5:35
物語の時間数 5:22
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

トップに戻る

TOP