500年くらい前、大浜のオヤケ赤蜂の乱の時、首里の役人が竹富島に視察に来た。住民達は家に隠れて恐がっていたが、西塘という子供だけは役人を木の上から見ていた。役人は西塘に蜜柑を上げた。西塘はそれを二つに割り両手に持って交互に食べた。役人は「右と左とどっちがおいしいか」と聞いた。西塘はいきなり手を叩いて「どちらの手が先に鳴ったか」と聞き返した。役人は西塘は立派な人になるだろうと思った。西塘が大きくなったので首里に呼び、園比屋武御嶽の石垣などのさせた。西塘は全ての仕事をうまくこなしたので八重山の頭に任命された。竹富のカイジバルに城(蔵元)を造ったが、交通などに不便を感じ、石垣の新川(宮良)に移した。そこは端なので真中の石垣に移した。新しく八重山支庁を造る時、蔵元の遺跡を残すために八重山病院の跡地に建てた。昔は王府からの船が八重山に来る時にはそれを平久保の烽火台で見つけ、火を焚いてそれを崎枝、竹富へと引き継がれ、八重山の蔵元に知らせた。西塘が死んだ後、現在の竹富町公民館の近くに西塘御嶽として奉られた。400年祭はできず、今では500年近くになる。竹富では祭りの前には必ず、西塘御嶽でお祈りをして祭りを行っている。6月初めの壬の日に、まず西塘大祭があり、その十日後の壬の日に豊年祭が行われる。そして8月初めの壬の日には、結願祭といってしめくくりの祭りがある。しかし、結願祭の十日前にまず西塘御嶽でお祈りをしなければならない。また、初願い始めは8月の戌の日にあり、その49日後に種取祭が行われる。4月には草花に害虫がつかないようにと願い、9月には成長の祈願をする。これは全て西塘御嶽で行われる。
| レコード番号 | 47O200303 |
|---|---|
| CD番号 | 47O20C018 |
| 決定題名 | 西塘(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 高那石吉 |
| 話者名かな | たかないしきち |
| 生年月日 | 19080714 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県八重山郡竹富町字竹富 |
| 記録日 | 19950910 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 竹富町字竹富T25A1 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | オヤケ赤蜂,首里の役人,蜜柑,両手,園比屋武御嶽,蔵元 |
| 梗概(こうがい) | 500年くらい前、大浜のオヤケ赤蜂の乱の時、首里の役人が竹富島に視察に来た。住民達は家に隠れて恐がっていたが、西塘という子供だけは役人を木の上から見ていた。役人は西塘に蜜柑を上げた。西塘はそれを二つに割り両手に持って交互に食べた。役人は「右と左とどっちがおいしいか」と聞いた。西塘はいきなり手を叩いて「どちらの手が先に鳴ったか」と聞き返した。役人は西塘は立派な人になるだろうと思った。西塘が大きくなったので首里に呼び、園比屋武御嶽の石垣などのさせた。西塘は全ての仕事をうまくこなしたので八重山の頭に任命された。竹富のカイジバルに城(蔵元)を造ったが、交通などに不便を感じ、石垣の新川(宮良)に移した。そこは端なので真中の石垣に移した。新しく八重山支庁を造る時、蔵元の遺跡を残すために八重山病院の跡地に建てた。昔は王府からの船が八重山に来る時にはそれを平久保の烽火台で見つけ、火を焚いてそれを崎枝、竹富へと引き継がれ、八重山の蔵元に知らせた。西塘が死んだ後、現在の竹富町公民館の近くに西塘御嶽として奉られた。400年祭はできず、今では500年近くになる。竹富では祭りの前には必ず、西塘御嶽でお祈りをして祭りを行っている。6月初めの壬の日に、まず西塘大祭があり、その十日後の壬の日に豊年祭が行われる。そして8月初めの壬の日には、結願祭といってしめくくりの祭りがある。しかし、結願祭の十日前にまず西塘御嶽でお祈りをしなければならない。また、初願い始めは8月の戌の日にあり、その49日後に種取祭が行われる。4月には草花に害虫がつかないようにと願い、9月には成長の祈願をする。これは全て西塘御嶽で行われる。 |
| 全体の記録時間数 | 22:04 |
| 物語の時間数 | 21:27 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |