ヒトゥリャ浜由来(共通語)

概要

竹富島のですね、午(うま)の方(ふぁ)、北と東の中間ごろに、この岩があって、岩の間にちょっとこう、白浜が入ってるんですよね。そこをヒトリャ浜と言ってるんですよね。昔ですね、若妻が夫に死に別れるんですよね。そして、男の子を一人出来てですね、子供を抱えながら、そのうえ人頭税で貢納する上布とかを織らんといかないということで、そういうことで非常に苦しめられ、生活に追われるわけですよね。そうすると、この夫に先出たれた若妻がですね、赤子を抱きながら毎日こうお世話しようとしているが、「どうしても赤子の育ちまずいし、だから、子供を育てるってことは容易じゃない。」というわけで、とうとうこの赤子をですね、もう浜に捨てようと覚悟するわけですよね。そうして、もうずうっと南の海岸に行ってですね、潮がこうずうっと満ちてくるところにこの男の子を捨てるんですよね。結局もうなかなか捨てきれない気持ちがあるから、「潮が満ちてきてもここまでは来ないから、ここに置けばもう命が助かる。」と思って、ちょうどこの潮がこう満ちてくる波打ち際に子供を捨てるわけですよ。そして、もう後ろを振り返りながら、家に帰るわけだね。
 そして、その翌日、「まあ、どうなったかね。」と言って来たところが、着物はですね、びっしょり濡れているわけですが、やっぱり子供はまだ生きているから、また着物を着替えさせるわけさ。また、翌日も来ても、やっぱり着物が濡れてるけど、生きているわけだね。まあそういう状態で子供を見ていて、二、三日は、こう振り帰りながら、そのまま通っていて、とうとうもう一六日経ってもなかなかもうもう思い切れんもんだから、浜に行ったら、まだ赤ん坊は元気だから、もう子供を抱き締めるんですけどね、もう生きている子供を抱き締めて、おっぱいをこうあげるんですけどね、そしたら、赤ん坊はおっぱいをひじょうにおいしそうに飲むんですよね。その子を拾い上げて、結局もうもう帰りしなにちょっと見たところがですね、行く途中にですね、野性の自然に繁っているフウマミっていう豆がですね、非常にもうたわわに実を付けてですね、実ってたらしいんですよね。「じゃ、これを摘んでこれで子供を助けよう。」というわけで、でこの野性のフウマミというのは虫のいない大豆ですから、自然の豆だけどね、以前はですね、この豆をよく作って味噌の原料にしたりしてよ、その後で改良されて、今の普通の大豆に変わったと言いますよ。だから、もう母親は、このフウマミっていう豆をたくさん摘んでですね、結局もう子供を一人前に育てたという話があるんですよ。この浜をヒトゥリャ浜っていうのはですね、着物がこう濡れるということをですね、ヒトリドゥルと言うんですよね。それで、赤ん坊の着物が濡れていたから、ヒトゥリャ浜っていう名前が付いたっていう話があるさ。この話は、喜宝院の住職の上勢頭さんが民俗を非常に研究していたんですよね。あの人が散髪に来てちょっと話したのを覚えたんですよね。
・ヒトゥリャ浜‥‥竹富島の東南の方向。南側はほとんど岩になってるが、それが切れて浜になっているところをいう。ヒトゥリャは、しっとり濡れるの意。・フウマミ‥‥野性の大豆。・喜宝院‥‥竹富島内にある浄土真宗の寺院。初代住職の故上勢頭亨氏によって開かれた。現在は仏教活動の他に上勢頭亨氏が六○年をかけて収集した八重山地方の民俗・民芸資料約四千点を展示した蒐集館を併設し、観光客で賑わう。

再生時間:3:57

民話詳細DATA

レコード番号 47O200237
CD番号 47O20C014
決定題名 ヒトゥリャ浜由来(共通語)
話者がつけた題名
話者名 河上親雄
話者名かな かわかみしんゆう
生年月日 19140102
性別
出身地 沖縄県八重山郡竹富町字竹富
記録日 19950322
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 竹富町字竹富T2A09
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情 上勢頭さんから聞いた
文字化資料 沖国大国文学科平成8度卒業論文 竹富島の民話 p9
キーワード 人頭税,赤子,フウマミ
梗概(こうがい) 竹富島のですね、午(うま)の方(ふぁ)、北と東の中間ごろに、この岩があって、岩の間にちょっとこう、白浜が入ってるんですよね。そこをヒトリャ浜と言ってるんですよね。昔ですね、若妻が夫に死に別れるんですよね。そして、男の子を一人出来てですね、子供を抱えながら、そのうえ人頭税で貢納する上布とかを織らんといかないということで、そういうことで非常に苦しめられ、生活に追われるわけですよね。そうすると、この夫に先出たれた若妻がですね、赤子を抱きながら毎日こうお世話しようとしているが、「どうしても赤子の育ちまずいし、だから、子供を育てるってことは容易じゃない。」というわけで、とうとうこの赤子をですね、もう浜に捨てようと覚悟するわけですよね。そうして、もうずうっと南の海岸に行ってですね、潮がこうずうっと満ちてくるところにこの男の子を捨てるんですよね。結局もうなかなか捨てきれない気持ちがあるから、「潮が満ちてきてもここまでは来ないから、ここに置けばもう命が助かる。」と思って、ちょうどこの潮がこう満ちてくる波打ち際に子供を捨てるわけですよ。そして、もう後ろを振り返りながら、家に帰るわけだね。  そして、その翌日、「まあ、どうなったかね。」と言って来たところが、着物はですね、びっしょり濡れているわけですが、やっぱり子供はまだ生きているから、また着物を着替えさせるわけさ。また、翌日も来ても、やっぱり着物が濡れてるけど、生きているわけだね。まあそういう状態で子供を見ていて、二、三日は、こう振り帰りながら、そのまま通っていて、とうとうもう一六日経ってもなかなかもうもう思い切れんもんだから、浜に行ったら、まだ赤ん坊は元気だから、もう子供を抱き締めるんですけどね、もう生きている子供を抱き締めて、おっぱいをこうあげるんですけどね、そしたら、赤ん坊はおっぱいをひじょうにおいしそうに飲むんですよね。その子を拾い上げて、結局もうもう帰りしなにちょっと見たところがですね、行く途中にですね、野性の自然に繁っているフウマミっていう豆がですね、非常にもうたわわに実を付けてですね、実ってたらしいんですよね。「じゃ、これを摘んでこれで子供を助けよう。」というわけで、でこの野性のフウマミというのは虫のいない大豆ですから、自然の豆だけどね、以前はですね、この豆をよく作って味噌の原料にしたりしてよ、その後で改良されて、今の普通の大豆に変わったと言いますよ。だから、もう母親は、このフウマミっていう豆をたくさん摘んでですね、結局もう子供を一人前に育てたという話があるんですよ。この浜をヒトゥリャ浜っていうのはですね、着物がこう濡れるということをですね、ヒトリドゥルと言うんですよね。それで、赤ん坊の着物が濡れていたから、ヒトゥリャ浜っていう名前が付いたっていう話があるさ。この話は、喜宝院の住職の上勢頭さんが民俗を非常に研究していたんですよね。あの人が散髪に来てちょっと話したのを覚えたんですよね。 ・ヒトゥリャ浜‥‥竹富島の東南の方向。南側はほとんど岩になってるが、それが切れて浜になっているところをいう。ヒトゥリャは、しっとり濡れるの意。・フウマミ‥‥野性の大豆。・喜宝院‥‥竹富島内にある浄土真宗の寺院。初代住職の故上勢頭亨氏によって開かれた。現在は仏教活動の他に上勢頭亨氏が六○年をかけて収集した八重山地方の民俗・民芸資料約四千点を展示した蒐集館を併設し、観光客で賑わう。
全体の記録時間数 5:31
物語の時間数 3:57
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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