オヤケ赤蜂は、波照間で誕生したらしいですよね。ところが、オヤケ赤蜂の時代は、オランダ船なんかい
ろんな外国の船なんかが漂流して来たりして、やっぱりこの上陸して、漁師なんかを銃殺したり、そういう
傾向があったらしいんですよね。その時代に漂流して来たオランダ人を上げたのが、波照間の家(うち)で
、そしたら、そのオランダ人とやっぱり島の娘とどれだけいい仲になったか分からんですけど、娘が妊娠し
て、産み落としたのがオヤケ赤蜂で、だけどやっぱり人種が違うわけですからね、娘は、オヤケ赤蜂を捨て
子にしたっていうでしょう。そしたら、農業してる人が、岩の中からこの赤子の泣き声が聞こえるものだか
ら、「これは大変だ。捨て子でもいるのかね。」と言って、覗いてみたらですね、やっぱり捨て子がいるけ
ど、それが髪は赤くして、目玉は青くしてですね、ちょっと人種が違うわけですよ。「これはちょっと捨て
子のままではならん。」ということで、連れて行って、その家で養うわけですよね。そしたら、七歳の時にはですね、牛の角を掴んでこうやってぽうとひっくり返したそうです。あれくらい大力な男になったそうです。それで、波照間を治めてなんとかというお仕事をしているだけど、波照間の酋長と仲が悪かったらしいですよ。「ここではもうどうも自分ではもうもう思うように出来ない。」ということ、とにかく、オヤケ赤蜂は、もう石垣に渡るわけさ。そしたら、石垣にもこうそれぞれちゃんと酋長がありますが、石垣島で勢力を広げて、大浜の酋長になるんですよね。
それで、この石垣島の大浜地区には、イリチャアマリの祭(イディキアマンの神の祭のこと)というのがあったらしいですよね。オヤケ赤蜂は、大浜の酋長ですから、そのイリチャアマリの祭を毎年こう盛んに行なったらしいですよね。それで大浜では、この祭を盛大にやるものですから、王府への年貢上納をどんどん減らしているわけ。だからね、王府からはこの祭をやめれということに命令が来たらしいですね。ところが、オヤケ赤蜂は、「やっぱりこの祭があるために生きがいも感じ、働きもしているので、止められない。」
ということで、悉くこう王府に楯突いて、首里王朝に立ち向かうらしいんですよね。そして、とうとう王府に謀反を起こすわけさね。それからもうオヤケ赤蜂の征伐につながるわけですよ。だいたいが、最初はね、やっぱりこう農民の味方といって、オヤケ赤蜂は、一時はこう非常に崇められたってよ。ところが時代が変わってまた王様に刃向かったということで、反逆児みたいなこと例えられているような状態ですよね。後は、もうオヤケ赤蜂は、力も強いからですね、農民が一丸となってこの人の味方になったらしいですけど、やっぱり衆寡敵せず、オヤケ赤蜂はもうちょうど池の所にこう追い詰められたから、池の中にこう入ってですね、一つの物語かも分からんけど、蓮の茎をですね、鼻にあてて息を吸いっとったらしいですよね。そうしたら、首里の軍は、オヤケ赤蜂を逃がしたもんだから、「この辺りにおればいいのにね。」と槍を池の中に突っ込んだところがですね、ぱっとこうその槍をオヤケ赤蜂が捉まえたらしいですよね。手応えがあったものだから、引き抜いて見たところが、やっぱり血がついとったというわけですよね。「ああ、これここにおる。」というわけで、そこで殺されたそうです。結局は、オヤケ赤蜂を生きたまま連れて行けばかなり褒美になったかもしれないけど、そのオヤケ赤蜂を殺した長田大主(ながたうーしゅ)は、石垣の酋長だが、オヤケ赤蜂を殺したということでまた首里王府からですね、咎められたという話もあります。この話は、伊波南哲(いばなんてつ)の叙事詩にもなり、映画にもなりましたよ。
・波照間の家‥‥波照間屋敷のこと。オヤケ赤蜂が住んでいたといわれる。現在の細原千代宅。・王府・王朝‥‥首里王朝のこと。・イディキアマンの神の祭‥‥・原始生活時代八重山に始めて火食いの道や、耕種の方法を教えた神の神徳に感謝して行われた祭。盛んに行われたため首里王府では、多くの民力、財力を費やす疲労の原因をなすものとして尚真王によって禁止した。・長田大主(なーたうーじ)‥‥石垣島の石垣地区を支配した人。宮古の仲宗根豊見親が波照間島で生んだ落とし種であると伝えられている。・伊波南哲(いばなんてつ)‥‥明治三五~昭和五一。石垣市登野城出身の詩人、作家。長編叙事詩『オヤケ・アカハ
チ』を記す。八重山の文芸復興に尽くし、死後石垣島の川平に詩碑が建立された。
| レコード番号 | 47O200231 |
|---|---|
| CD番号 | 47O20C013 |
| 決定題名 | オヤケ赤蜂(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 河上親雄 |
| 話者名かな | かわかみしんゆう |
| 生年月日 | 19140102 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県八重山郡竹富町字竹富 |
| 記録日 | 19950322 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 竹富町字竹富T2A03 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 沖国大国文学科平成8度卒業論文 竹富島の民話 p45 |
| キーワード | 波照間,オランダ,大力,長田大主 |
| 梗概(こうがい) | オヤケ赤蜂は、波照間で誕生したらしいですよね。ところが、オヤケ赤蜂の時代は、オランダ船なんかい ろんな外国の船なんかが漂流して来たりして、やっぱりこの上陸して、漁師なんかを銃殺したり、そういう 傾向があったらしいんですよね。その時代に漂流して来たオランダ人を上げたのが、波照間の家(うち)で 、そしたら、そのオランダ人とやっぱり島の娘とどれだけいい仲になったか分からんですけど、娘が妊娠し て、産み落としたのがオヤケ赤蜂で、だけどやっぱり人種が違うわけですからね、娘は、オヤケ赤蜂を捨て 子にしたっていうでしょう。そしたら、農業してる人が、岩の中からこの赤子の泣き声が聞こえるものだか ら、「これは大変だ。捨て子でもいるのかね。」と言って、覗いてみたらですね、やっぱり捨て子がいるけ ど、それが髪は赤くして、目玉は青くしてですね、ちょっと人種が違うわけですよ。「これはちょっと捨て 子のままではならん。」ということで、連れて行って、その家で養うわけですよね。そしたら、七歳の時にはですね、牛の角を掴んでこうやってぽうとひっくり返したそうです。あれくらい大力な男になったそうです。それで、波照間を治めてなんとかというお仕事をしているだけど、波照間の酋長と仲が悪かったらしいですよ。「ここではもうどうも自分ではもうもう思うように出来ない。」ということ、とにかく、オヤケ赤蜂は、もう石垣に渡るわけさ。そしたら、石垣にもこうそれぞれちゃんと酋長がありますが、石垣島で勢力を広げて、大浜の酋長になるんですよね。 それで、この石垣島の大浜地区には、イリチャアマリの祭(イディキアマンの神の祭のこと)というのがあったらしいですよね。オヤケ赤蜂は、大浜の酋長ですから、そのイリチャアマリの祭を毎年こう盛んに行なったらしいですよね。それで大浜では、この祭を盛大にやるものですから、王府への年貢上納をどんどん減らしているわけ。だからね、王府からはこの祭をやめれということに命令が来たらしいですね。ところが、オヤケ赤蜂は、「やっぱりこの祭があるために生きがいも感じ、働きもしているので、止められない。」 ということで、悉くこう王府に楯突いて、首里王朝に立ち向かうらしいんですよね。そして、とうとう王府に謀反を起こすわけさね。それからもうオヤケ赤蜂の征伐につながるわけですよ。だいたいが、最初はね、やっぱりこう農民の味方といって、オヤケ赤蜂は、一時はこう非常に崇められたってよ。ところが時代が変わってまた王様に刃向かったということで、反逆児みたいなこと例えられているような状態ですよね。後は、もうオヤケ赤蜂は、力も強いからですね、農民が一丸となってこの人の味方になったらしいですけど、やっぱり衆寡敵せず、オヤケ赤蜂はもうちょうど池の所にこう追い詰められたから、池の中にこう入ってですね、一つの物語かも分からんけど、蓮の茎をですね、鼻にあてて息を吸いっとったらしいですよね。そうしたら、首里の軍は、オヤケ赤蜂を逃がしたもんだから、「この辺りにおればいいのにね。」と槍を池の中に突っ込んだところがですね、ぱっとこうその槍をオヤケ赤蜂が捉まえたらしいですよね。手応えがあったものだから、引き抜いて見たところが、やっぱり血がついとったというわけですよね。「ああ、これここにおる。」というわけで、そこで殺されたそうです。結局は、オヤケ赤蜂を生きたまま連れて行けばかなり褒美になったかもしれないけど、そのオヤケ赤蜂を殺した長田大主(ながたうーしゅ)は、石垣の酋長だが、オヤケ赤蜂を殺したということでまた首里王府からですね、咎められたという話もあります。この話は、伊波南哲(いばなんてつ)の叙事詩にもなり、映画にもなりましたよ。 ・波照間の家‥‥波照間屋敷のこと。オヤケ赤蜂が住んでいたといわれる。現在の細原千代宅。・王府・王朝‥‥首里王朝のこと。・イディキアマンの神の祭‥‥・原始生活時代八重山に始めて火食いの道や、耕種の方法を教えた神の神徳に感謝して行われた祭。盛んに行われたため首里王府では、多くの民力、財力を費やす疲労の原因をなすものとして尚真王によって禁止した。・長田大主(なーたうーじ)‥‥石垣島の石垣地区を支配した人。宮古の仲宗根豊見親が波照間島で生んだ落とし種であると伝えられている。・伊波南哲(いばなんてつ)‥‥明治三五~昭和五一。石垣市登野城出身の詩人、作家。長編叙事詩『オヤケ・アカハ チ』を記す。八重山の文芸復興に尽くし、死後石垣島の川平に詩碑が建立された。 |
| 全体の記録時間数 | 7:07 |
| 物語の時間数 | 7:07 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |