オヤケ赤蜂って、王朝に背向かった豪族がおったんで、あれをもう討ち滅ばしたから、それを討伐に来た
大里大将なんかが、竹富島を休養の意味で、一時遊びに訪れるんですよね。そうすっと、もう他の人たちは
もうみんなもう逃げ隠れていないんですけどね、この西塘という少年だけが、木の上に乗っておったってい
うんですよね。そうしたもんだから、この大里大将は、「ああ、この子は珍しいねえ。」というわけで、沖
縄から持ってきたシークワァーサーですね、あれをあげたらしいですよね。そしてこの、シークワァーサー
を中から割ってあげて、「どっちが美味しかったか。」と聞いたらですね、西塘という少年は、やっぱりこ
う手を叩いて、「どっちの手が鳴ったか。」ってこの少年がですね、返したらしいですよね。だから、「あ
あ、これは非常に利発な子供だ。いい育ちをすれば、いい人材になる。」といういことで、その大里(うふ
ざと)大将なんかが、この島から西塘を連れて王朝に行くんですよね。ってことで、この西塘少年を連れて
、王朝に連れて行って、この大里大将が法律の方面なんかを仕込むわけですよね。そして、二〇年間かな、
この王府に仕えるわけだ。王府に仕えて、この石工(いしこう)の技術を学ぶわけですよね。それから、この西塘は、首里城の門なんかをですね、屏風型に作ったっていう話もあるんですよね。屏風ってのは真っ直ぐ立てたら転ぶでしょう。だから、城の石垣もこの屏風をやっぱりこう、意識して真っ直ぐ建てんで、こうこういうふうに曲げて、城を築いたって。その城がもう未だにちゃんと残っているというわけです。
それからまた、もう一つね、また園比屋武御嶽っていう御嶽があるんですよね。向こうの城門も西塘が築いておるんですよね。ちゃんと向こうでは、園比屋武御嶽の城門を築いたのは、西塘であるということは、歴史に残ってるはずですよ。
この人がねえ、この島を出るときは、七才だって言う人もあるし、一三才だと言う人もあるんですが、こうして王府に勤めているうちに、もう一人前なったもんだから、「八重山を治めなさい。」と言って、八重山を統治する最初の役人としてですね、八重山に派遣するわけですよ。ところがもうこの人は、竹富出身だから竹富の南海岸近くの皆治原(かいじばる)というところがあるんですよね。そこに、蔵元を作るわけですよ。蔵元っていうのは、あの頃の上納っていうのは、ほとんどもう百姓の農作物の穀類とか、女の人が織った上布の反物とか、みんなもうそういうものですからね、だからどうしてもね、蔵が必要でしょう。だから、蔵元を作って、そこでもう歴史ではもう二〇年間竹富の蔵元で八重山中を治めるわけですよ。お暇だったらずっと南まで行って見られたらいいよ。向こうの皆治原にはこう城の後がちゃんとあるんですよね。
またその後の歴史のあるんですよね、その後で、もうどんどんこの八重山と沖縄との交通が盛んになってきたもんだから、「やっぱり竹富では不便だから。」というわけで、今度はもう石垣の方にこの蔵元を移すわけですよね。蔵元っていうのは、今のもう石垣市の石垣支庁のような物だね。現在、その昔の蔵元の跡発掘して、新しく庁舎を立て替えようとしているわけですよね。ところが、そこは、もう埋蔵文化財豊富だから、「もう八重山を統治した歴史の遺跡だから、ここを残そう。」とその場所は保存して、ちゃんとした所に移せということになって、あそこは、歴史公園として残して、今度の石垣支庁の場所をですね、ずうっと東の方の元八重山病院のあったところだな。保健所のあるところに移転するらしいですよね。この島では、この人を、「これは島の大偉人だから。」ということで、こう神社を建ててもう崇拝してるわけですよね。
・大里大将‥‥沖縄本島の大里按司(あじ)のこと。按司とは、琉球各地の支配者の呼称。王府時代には位階名。尚真王二四(一五〇〇)年八重山の赤蜂謀反鎮定のため首里王府から派遣された。・赤蜂‥‥オヤケ赤蜂のこと。一五世紀末、八重山諸島において、豪勇として近隣を制圧していた。・皆治原‥‥竹富島南西、カイジ浜から少し中に入ったところ。蔵元跡の碑が建っている。・蔵元‥‥蔵許(くらもと)とも書く。宮古・八重山および久米島の仲里・具志川両間切に設置された官衙・政庁のこと。首里王府の島嶼統治上の重要な拠点であった。さまざまな部署があり、多くの役人が詰めて執務にあたっていた。八重山では一六世紀初期に西塘が大首里大屋子に任ぜられ、竹富島に蔵元を創設、その後、諸事に不便との理由で石垣に蔵元が移されたと伝えられる。
| レコード番号 | 47O200230 |
|---|---|
| CD番号 | 47O20C013 |
| 決定題名 | 西塘(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 河上親雄 |
| 話者名かな | かわかみしんゆう |
| 生年月日 | 19140102 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県八重山郡竹富町字竹富 |
| 記録日 | 19950322 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 竹富町字竹富T2A02 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | 伊波南哲さんの詩 |
| 文字化資料 | 沖国大国文学科平成8度卒業論文 竹富島の民話 p55 |
| キーワード | オヤケ赤蜂,大里大将,シークワァーサー,石工,園比屋武御嶽,蔵元 |
| 梗概(こうがい) | オヤケ赤蜂って、王朝に背向かった豪族がおったんで、あれをもう討ち滅ばしたから、それを討伐に来た 大里大将なんかが、竹富島を休養の意味で、一時遊びに訪れるんですよね。そうすっと、もう他の人たちは もうみんなもう逃げ隠れていないんですけどね、この西塘という少年だけが、木の上に乗っておったってい うんですよね。そうしたもんだから、この大里大将は、「ああ、この子は珍しいねえ。」というわけで、沖 縄から持ってきたシークワァーサーですね、あれをあげたらしいですよね。そしてこの、シークワァーサー を中から割ってあげて、「どっちが美味しかったか。」と聞いたらですね、西塘という少年は、やっぱりこ う手を叩いて、「どっちの手が鳴ったか。」ってこの少年がですね、返したらしいですよね。だから、「あ あ、これは非常に利発な子供だ。いい育ちをすれば、いい人材になる。」といういことで、その大里(うふ ざと)大将なんかが、この島から西塘を連れて王朝に行くんですよね。ってことで、この西塘少年を連れて 、王朝に連れて行って、この大里大将が法律の方面なんかを仕込むわけですよね。そして、二〇年間かな、 この王府に仕えるわけだ。王府に仕えて、この石工(いしこう)の技術を学ぶわけですよね。それから、この西塘は、首里城の門なんかをですね、屏風型に作ったっていう話もあるんですよね。屏風ってのは真っ直ぐ立てたら転ぶでしょう。だから、城の石垣もこの屏風をやっぱりこう、意識して真っ直ぐ建てんで、こうこういうふうに曲げて、城を築いたって。その城がもう未だにちゃんと残っているというわけです。 それからまた、もう一つね、また園比屋武御嶽っていう御嶽があるんですよね。向こうの城門も西塘が築いておるんですよね。ちゃんと向こうでは、園比屋武御嶽の城門を築いたのは、西塘であるということは、歴史に残ってるはずですよ。 この人がねえ、この島を出るときは、七才だって言う人もあるし、一三才だと言う人もあるんですが、こうして王府に勤めているうちに、もう一人前なったもんだから、「八重山を治めなさい。」と言って、八重山を統治する最初の役人としてですね、八重山に派遣するわけですよ。ところがもうこの人は、竹富出身だから竹富の南海岸近くの皆治原(かいじばる)というところがあるんですよね。そこに、蔵元を作るわけですよ。蔵元っていうのは、あの頃の上納っていうのは、ほとんどもう百姓の農作物の穀類とか、女の人が織った上布の反物とか、みんなもうそういうものですからね、だからどうしてもね、蔵が必要でしょう。だから、蔵元を作って、そこでもう歴史ではもう二〇年間竹富の蔵元で八重山中を治めるわけですよ。お暇だったらずっと南まで行って見られたらいいよ。向こうの皆治原にはこう城の後がちゃんとあるんですよね。 またその後の歴史のあるんですよね、その後で、もうどんどんこの八重山と沖縄との交通が盛んになってきたもんだから、「やっぱり竹富では不便だから。」というわけで、今度はもう石垣の方にこの蔵元を移すわけですよね。蔵元っていうのは、今のもう石垣市の石垣支庁のような物だね。現在、その昔の蔵元の跡発掘して、新しく庁舎を立て替えようとしているわけですよね。ところが、そこは、もう埋蔵文化財豊富だから、「もう八重山を統治した歴史の遺跡だから、ここを残そう。」とその場所は保存して、ちゃんとした所に移せということになって、あそこは、歴史公園として残して、今度の石垣支庁の場所をですね、ずうっと東の方の元八重山病院のあったところだな。保健所のあるところに移転するらしいですよね。この島では、この人を、「これは島の大偉人だから。」ということで、こう神社を建ててもう崇拝してるわけですよね。 ・大里大将‥‥沖縄本島の大里按司(あじ)のこと。按司とは、琉球各地の支配者の呼称。王府時代には位階名。尚真王二四(一五〇〇)年八重山の赤蜂謀反鎮定のため首里王府から派遣された。・赤蜂‥‥オヤケ赤蜂のこと。一五世紀末、八重山諸島において、豪勇として近隣を制圧していた。・皆治原‥‥竹富島南西、カイジ浜から少し中に入ったところ。蔵元跡の碑が建っている。・蔵元‥‥蔵許(くらもと)とも書く。宮古・八重山および久米島の仲里・具志川両間切に設置された官衙・政庁のこと。首里王府の島嶼統治上の重要な拠点であった。さまざまな部署があり、多くの役人が詰めて執務にあたっていた。八重山では一六世紀初期に西塘が大首里大屋子に任ぜられ、竹富島に蔵元を創設、その後、諸事に不便との理由で石垣に蔵元が移されたと伝えられる。 |
| 全体の記録時間数 | 4:06 |
| 物語の時間数 | 4:05 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |