八重山に長田大主(なーたうーじ)という偉い人がいたらしいですね。この長田大主(なーたうーじ)は
、一時はずっとほったらかしでしたけどね、今も新川に墓もあるし、ちゃんと親族の屋敷があるんです。そ
の長田大主が初めて首里に奉公してね、「八重山では、大浜赤蜂という悪い人間が、首里に抵抗しているん
だぞ。早くあんた方これを退治せんといかんよ。」ということを報告したみたい。ところが、長田大主(な
ーたうーじ)の姉さんの古乙姥(こいつば)は、ちょうど大浜赤蜂さんの奥さんになったっていたっていう
話ですけど、姉さんは、「いよいよ、首里から大浜赤蜂を殺しに来るんだよ。」って聞かされて、それを大
浜赤蜂に報告したらしいですよ。したところが、それを大浜赤蜂は、聞いたもんだから、それで、「その長
田大主(なーたうーじ)は、早くこれを殺さないと大変だ。」と言って、オヤケ赤蜂は、夜遅く長田大主を
探して来たところが、長田大主(なーたうーじ)は、ちょっとオヤケ赤蜂には力が及ばないから、逃げてで
すね。あの観音堂(かんだんどう)の石崎の道側に、ひざしの岩と言ってですね、岩があるんですよ。ちょ
っとこの岩の陰なら知られにくいということで、その岩に隠れておったところが、ある日のこと、姉さんが
探しに来て、ずうっと探したところが、岩の中に隠れてる長田大主を見つけたら、長田大主は、「ようし、
助かったすぐ首里に報告出来る。」と言ったら、大浜赤蜂の奥さんになっている姉さんは、「兄さん、弁当
はちゃんと作って持ってくるから、あんたはこっちから動くなよ。」と言って、自分はすぐ大浜赤蜂を大浜
に呼びに行って、早速、大浜赤蜂を連れて来たもんだから、長田大主は観音堂から逃げてですね、名蔵湾を
越えて、崎枝越に逃げて行こうと思っても赤蜂が追って来たというんだけど、ちょうど名蔵には、前盛家の
八十八歳とかいう歳取った婆ちゃんが、芭蕉糸を紡いでいる時に、長田大主が後ろの門から入って来るんで
すから、その足音に、婆ちゃんが、「何ですか。」って言ったら、「お婆さん、助けて下さい。」言うて、
この長田大主(なーたうーじ)は、ころっと倒れたそうですよ。それを聞いたもんだから、お婆さんですね
、釜の火を焚いとったから、すぐ釜を崩して、水で冷やして、そして、そこに長田大主(なーたうーじ)を
寝かして、このまま墓みたいに土を被せて竈をちょっと作ってね、その上に鍋をかぶして待っとったら、今
度は大浜赤蜂が後追って来たそうですよ。聞いたら、歩く足音が大きいもんですから、もうまだ百メートル
ぐらい先からぽんぽんぽんといって来るんだから、お婆さんはすぐに分かって待っていたら、大浜赤蜂が歩
いて来てね、すぐ大浜赤蜂は、「長田大主(なーたうーじ)がこっちに歩いて来たが、どっち行ったかあ。
」と言ったら、お婆さんは、「いや、長田大主なら、もうここを通って先の方に、行ったから、ここには誰
もいないよ。」と言っていたら、大浜赤蜂は、そっとその隠れている所に手を伸ばして、「土土、木木、火
、水。あんた方の竈の土の上に火は炊いてあるから、あれの下に埋められてはいない。大丈夫だ。」と言っ
たというんだから、やっぱり竈を作って、その下に長田大主を収めて、隠しているんだが、とにかく大浜赤
蜂は入って来た時と同じようにそのまま出て行ったから、頭がいい長田大主(なーたうーじ)はですね、屋
敷の後飛び越えて逃げました。長田大主は、ようやく命拾いして、あれから逃げ出して石垣のずうっと向こ
うの平久保(ぺーふ)に行ってですね、向こうで松木を倒してですね、それで筏を作って、それから、西表
島の嘉佐崎(かっしゃざき)というところに流れ着いたそうです。向こうにはちょうど人が住んだ洞窟があ
るんですけど、向こうで船をこさえて、南風に入って来ると向こうからその船で沖縄に渡って、首里王朝に
報告したんです。
首里の王様は、あれから、「大浜赤蜂を退治する。」ということで家来を集めたそうです。それで、わざ
わざ赤蜂を征伐に首里の兵隊が八重山に来られたらしいですね。来たら大変ですよ。あの頃のこっちの侍は、あまり沢山おらないけれど、赤蜂が、「船はもう千石船が入ってくるんだから、千石船の兵隊にはかなわない。敵の兵隊は、夜に攻めて来るだろう。」と考えよって、アーマの先から石の観音堂の先まで、水瓶を持って行ってですね、その水瓶をずうっと並べて、ここに松明をつけてこう縛って、その松明を赤蜂の兵隊が持っているように見せて夜は脅かしたというし、昼は人形作って沢山の兵隊がいるように見せて脅かしたけど、それでも、首里の大里首長は、攻め寄せて来たそうです。それで、首里から兵隊が来て、大浜を攻めたら、赤蜂はそうとう体力もあってですね、もう敵に追い回されて、かなわないから、平久保に逃げて行く場合には、昔の一斗入(いっとうれ)の酒瓶ですね、これを持って、この酒を飲んだり、この酒を飲んだりして交互に飲んでから逃げて行って、とうとう向こうでもう追い詰められて、深いみずる田の中に酒瓶持ちつつ突っ込んで、もう鼻だけ上にちょっと出して、息やっといたそうです。そこで、大里大将に、殺されるという御命になったとそういう話を爺ちゃんらが話すのを聞いて覚えてます。この大里大将は、その後からこの竹富島にもおこしになったようです。
・新川‥‥石垣島南西部に位置する。石垣港に隣接する地域で、石垣四箇の一つ。集落は市街地の一画を形成する。現字域は、石垣島南西部の富崎(観音崎)を含む。・大浜赤蜂‥‥オヤケ赤蜂の呼称。赤蜂は石垣市の大浜で勢力をふるっていたためこのようにも呼ばれていた。・古乙姥(くいつば)‥‥生没年未詳。一五世紀頃の石垣村一帯を支配した長田大主と真乙姥の妹。容色優れ、その美しい瞳は人を魅惑したという。長田大主の命を受け、政略結婚でオヤケ赤蜂に嫁いだが、兄の意に反し、赤蜂を助け最後は反逆者として誅殺された。現在大浜崎原公園にある「オヤケ赤蜂之碑」に合祀されている。・石崎‥‥方名はしゅざき。石
垣島西北端に位置する。・観音堂‥‥一七四二年に建てられた航海安全を祈願する観音堂。石垣市大浜で創建され、石垣市冨崎に再移転した。・ひざしの岩‥‥観音堂の所にある海に面した洞穴のこと。・名蔵湾‥‥石垣島西岸に位置し、観音崎と屋良武半島により半円を描き、およそ5・も東北に湾入する。湾奥には西から赤崎・ミジュン崎・ケーラ崎・長石崎などの小岬がある。屋良武半島よりは水深が深く、大型船の停泊場として適していた。・崎枝‥‥石垣市西部。市街地より約一四.三キロ。屋良武半島を包括し、古くは竹富からの寄百姓もあった。・平久保‥‥石垣島北端の平久保。・西表島‥‥八重山諸島中最大の島。竹富町
に属し、県下でも第二の規模。島の約九〇パーセントは国有地で占められ、約三分の一は西表国立公園である。マラリアが猛威をふるう同島において、人頭税と寄人制度による強制移住策が断行され、多くの悲劇をうみ、村々は廃村へと追いやられた。また、石炭を産する県内唯一の島として一八八五(明治一八)年より始まる西表炭鉱の哀史は、今なお人々の記憶にとどめられている。マラリアの撲滅やイリオモテヤマネコの発見以降、島を訪れる観光客は多い。・嘉佐崎(かさざき)‥‥西表島東海岸にある岬。沖縄戦中、防空壕としても使われた。漁などの雨やどりにもよく使われたという。・大里大将‥‥沖縄本島の大里按司(あじ)のこと。按司とは、琉球各地の支配者の呼称で、王府時代には位階名。尚真王二四(一五〇〇)年八重山の赤蜂謀反鎮定のため首里王府から派遣された。
| レコード番号 | 47O200218 |
|---|---|
| CD番号 | 47O20C013 |
| 決定題名 | オヤケ赤蜂と長田大主(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 大山貞雄 |
| 話者名かな | おおやまさだお |
| 生年月日 | 19041107 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県八重山郡竹富町字竹富 |
| 記録日 | 19950322 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 竹富町字竹富T1A05 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 沖国大国文学科平成8度卒業論文 竹富島の民話 p46 |
| キーワード | 古乙姥,観音堂,前盛家,竈,大里大将 |
| 梗概(こうがい) | 八重山に長田大主(なーたうーじ)という偉い人がいたらしいですね。この長田大主(なーたうーじ)は 、一時はずっとほったらかしでしたけどね、今も新川に墓もあるし、ちゃんと親族の屋敷があるんです。そ の長田大主が初めて首里に奉公してね、「八重山では、大浜赤蜂という悪い人間が、首里に抵抗しているん だぞ。早くあんた方これを退治せんといかんよ。」ということを報告したみたい。ところが、長田大主(な ーたうーじ)の姉さんの古乙姥(こいつば)は、ちょうど大浜赤蜂さんの奥さんになったっていたっていう 話ですけど、姉さんは、「いよいよ、首里から大浜赤蜂を殺しに来るんだよ。」って聞かされて、それを大 浜赤蜂に報告したらしいですよ。したところが、それを大浜赤蜂は、聞いたもんだから、それで、「その長 田大主(なーたうーじ)は、早くこれを殺さないと大変だ。」と言って、オヤケ赤蜂は、夜遅く長田大主を 探して来たところが、長田大主(なーたうーじ)は、ちょっとオヤケ赤蜂には力が及ばないから、逃げてで すね。あの観音堂(かんだんどう)の石崎の道側に、ひざしの岩と言ってですね、岩があるんですよ。ちょ っとこの岩の陰なら知られにくいということで、その岩に隠れておったところが、ある日のこと、姉さんが 探しに来て、ずうっと探したところが、岩の中に隠れてる長田大主を見つけたら、長田大主は、「ようし、 助かったすぐ首里に報告出来る。」と言ったら、大浜赤蜂の奥さんになっている姉さんは、「兄さん、弁当 はちゃんと作って持ってくるから、あんたはこっちから動くなよ。」と言って、自分はすぐ大浜赤蜂を大浜 に呼びに行って、早速、大浜赤蜂を連れて来たもんだから、長田大主は観音堂から逃げてですね、名蔵湾を 越えて、崎枝越に逃げて行こうと思っても赤蜂が追って来たというんだけど、ちょうど名蔵には、前盛家の 八十八歳とかいう歳取った婆ちゃんが、芭蕉糸を紡いでいる時に、長田大主が後ろの門から入って来るんで すから、その足音に、婆ちゃんが、「何ですか。」って言ったら、「お婆さん、助けて下さい。」言うて、 この長田大主(なーたうーじ)は、ころっと倒れたそうですよ。それを聞いたもんだから、お婆さんですね 、釜の火を焚いとったから、すぐ釜を崩して、水で冷やして、そして、そこに長田大主(なーたうーじ)を 寝かして、このまま墓みたいに土を被せて竈をちょっと作ってね、その上に鍋をかぶして待っとったら、今 度は大浜赤蜂が後追って来たそうですよ。聞いたら、歩く足音が大きいもんですから、もうまだ百メートル ぐらい先からぽんぽんぽんといって来るんだから、お婆さんはすぐに分かって待っていたら、大浜赤蜂が歩 いて来てね、すぐ大浜赤蜂は、「長田大主(なーたうーじ)がこっちに歩いて来たが、どっち行ったかあ。 」と言ったら、お婆さんは、「いや、長田大主なら、もうここを通って先の方に、行ったから、ここには誰 もいないよ。」と言っていたら、大浜赤蜂は、そっとその隠れている所に手を伸ばして、「土土、木木、火 、水。あんた方の竈の土の上に火は炊いてあるから、あれの下に埋められてはいない。大丈夫だ。」と言っ たというんだから、やっぱり竈を作って、その下に長田大主を収めて、隠しているんだが、とにかく大浜赤 蜂は入って来た時と同じようにそのまま出て行ったから、頭がいい長田大主(なーたうーじ)はですね、屋 敷の後飛び越えて逃げました。長田大主は、ようやく命拾いして、あれから逃げ出して石垣のずうっと向こ うの平久保(ぺーふ)に行ってですね、向こうで松木を倒してですね、それで筏を作って、それから、西表 島の嘉佐崎(かっしゃざき)というところに流れ着いたそうです。向こうにはちょうど人が住んだ洞窟があ るんですけど、向こうで船をこさえて、南風に入って来ると向こうからその船で沖縄に渡って、首里王朝に 報告したんです。 首里の王様は、あれから、「大浜赤蜂を退治する。」ということで家来を集めたそうです。それで、わざ わざ赤蜂を征伐に首里の兵隊が八重山に来られたらしいですね。来たら大変ですよ。あの頃のこっちの侍は、あまり沢山おらないけれど、赤蜂が、「船はもう千石船が入ってくるんだから、千石船の兵隊にはかなわない。敵の兵隊は、夜に攻めて来るだろう。」と考えよって、アーマの先から石の観音堂の先まで、水瓶を持って行ってですね、その水瓶をずうっと並べて、ここに松明をつけてこう縛って、その松明を赤蜂の兵隊が持っているように見せて夜は脅かしたというし、昼は人形作って沢山の兵隊がいるように見せて脅かしたけど、それでも、首里の大里首長は、攻め寄せて来たそうです。それで、首里から兵隊が来て、大浜を攻めたら、赤蜂はそうとう体力もあってですね、もう敵に追い回されて、かなわないから、平久保に逃げて行く場合には、昔の一斗入(いっとうれ)の酒瓶ですね、これを持って、この酒を飲んだり、この酒を飲んだりして交互に飲んでから逃げて行って、とうとう向こうでもう追い詰められて、深いみずる田の中に酒瓶持ちつつ突っ込んで、もう鼻だけ上にちょっと出して、息やっといたそうです。そこで、大里大将に、殺されるという御命になったとそういう話を爺ちゃんらが話すのを聞いて覚えてます。この大里大将は、その後からこの竹富島にもおこしになったようです。 ・新川‥‥石垣島南西部に位置する。石垣港に隣接する地域で、石垣四箇の一つ。集落は市街地の一画を形成する。現字域は、石垣島南西部の富崎(観音崎)を含む。・大浜赤蜂‥‥オヤケ赤蜂の呼称。赤蜂は石垣市の大浜で勢力をふるっていたためこのようにも呼ばれていた。・古乙姥(くいつば)‥‥生没年未詳。一五世紀頃の石垣村一帯を支配した長田大主と真乙姥の妹。容色優れ、その美しい瞳は人を魅惑したという。長田大主の命を受け、政略結婚でオヤケ赤蜂に嫁いだが、兄の意に反し、赤蜂を助け最後は反逆者として誅殺された。現在大浜崎原公園にある「オヤケ赤蜂之碑」に合祀されている。・石崎‥‥方名はしゅざき。石 垣島西北端に位置する。・観音堂‥‥一七四二年に建てられた航海安全を祈願する観音堂。石垣市大浜で創建され、石垣市冨崎に再移転した。・ひざしの岩‥‥観音堂の所にある海に面した洞穴のこと。・名蔵湾‥‥石垣島西岸に位置し、観音崎と屋良武半島により半円を描き、およそ5・も東北に湾入する。湾奥には西から赤崎・ミジュン崎・ケーラ崎・長石崎などの小岬がある。屋良武半島よりは水深が深く、大型船の停泊場として適していた。・崎枝‥‥石垣市西部。市街地より約一四.三キロ。屋良武半島を包括し、古くは竹富からの寄百姓もあった。・平久保‥‥石垣島北端の平久保。・西表島‥‥八重山諸島中最大の島。竹富町 に属し、県下でも第二の規模。島の約九〇パーセントは国有地で占められ、約三分の一は西表国立公園である。マラリアが猛威をふるう同島において、人頭税と寄人制度による強制移住策が断行され、多くの悲劇をうみ、村々は廃村へと追いやられた。また、石炭を産する県内唯一の島として一八八五(明治一八)年より始まる西表炭鉱の哀史は、今なお人々の記憶にとどめられている。マラリアの撲滅やイリオモテヤマネコの発見以降、島を訪れる観光客は多い。・嘉佐崎(かさざき)‥‥西表島東海岸にある岬。沖縄戦中、防空壕としても使われた。漁などの雨やどりにもよく使われたという。・大里大将‥‥沖縄本島の大里按司(あじ)のこと。按司とは、琉球各地の支配者の呼称で、王府時代には位階名。尚真王二四(一五〇〇)年八重山の赤蜂謀反鎮定のため首里王府から派遣された。 |
| 全体の記録時間数 | 6:24 |
| 物語の時間数 | 6:11 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | × |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |