昔、沖縄と竹富との御用船の船頭として、選ばれた人の一人が、御用船に乗って沖縄に行ったそうです。そうすると、首里王子の女の子供が、体が弱いので、どうも思うように育たない。それで、「どうしたら健康に育てられるかな。」と思って物知りのお爺ちゃんに尋ねてみたところが、「あの子は、旅をする人を親にせんとなかなか思うように、元気はならない。」ということを知らせたので、「それじゃ、旅の人というたら船頭さんから選ぼう。」ということで、それで、御用船の船頭を一同首里王様の前に連れて来て、庭に
置いて、自分の子供には黄金のまりを持たせて、これを投げて当たる人を旅の親として育てたら健康になるということで、まりに祈願をして、子供に投げさせたところが、石川の船頭さんに当たったそうです。そして、もう船頭さんを呼んできて、「自分の子供は体が弱いので、船頭に旅の親になって育てられないと丈夫にならないというから、どうぞ旅の親になってもらいたい。」と、その石川の船頭に頼んだところが、船頭さんも、「ありがたい。こういう首里王様の子供を自分の子供と育てられたら、この上もないことですよ。
」と言ってその人が引き受けて帰ると、その子供はすぐにどんどん子供は元気になったそうです。
で、石川の船頭は、非常に風向きは良くなってこっち帰って、それから沖縄に行くか、どっかに行くのにもう一回港を出て行く途中に、風が強いのでもう波に流されて、昔の唐の南大というところにまで流されておって、そこで、船は失ったからそのまま唐の国で亡くなったら、首里王府様からは、「子供の旅の親だから、あだにはおかれない。」ということで、位を七段上げ、その船に位牌を記念として送ったらしい。それで、石川屋の人は、年に一回は唐の国に渡って、あの船頭さんを祀りをして、今の竹富の美崎原の海岸のにやあるという所の岩にこの船頭を祀っています。
・石川屋(いしかわやー)‥‥昔、石川家の祖先マツトウジという有名な船頭がいた。ある年、御用船の船頭として沖縄本島へ無事航海した。その頃、沖縄本島の名家の家に大変体の弱い子がいた。親がどうしたら健康になるかと霊感師に聞いたところ、「黄金の毬を作って旅人の集団に投げ、毬の当たったものを親としてその子を育てだせなさい。」という。子どもが投げた毬はマツトウジに当たり、マツトウジがその子を引取り育てると、子どもは健康を取戻した。その子の親は感謝してマツトウジに位牌堂を寄贈した。マツトウジは最後、支那に漂流しそこで一生を終えた。子孫はマツトウジの霊を竹富島北の美崎原にある岩に祀った。『竹富島誌』
| レコード番号 | 47O200180 |
|---|---|
| CD番号 | 47O20C010 |
| 決定題名 | 石川屋の司(方言) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 大山功 |
| 話者名かな | おおさんこう |
| 生年月日 | 18921025 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県八重山郡竹富町字竹富 |
| 記録日 | 19750807 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 竹富町字竹富T41B2 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | むかし |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 沖国大国文学科平成8度卒業論文 竹富島の民話p63 |
| キーワード | 御用船,船頭,黄金の毬,唐, |
| 梗概(こうがい) | 昔、沖縄と竹富との御用船の船頭として、選ばれた人の一人が、御用船に乗って沖縄に行ったそうです。そうすると、首里王子の女の子供が、体が弱いので、どうも思うように育たない。それで、「どうしたら健康に育てられるかな。」と思って物知りのお爺ちゃんに尋ねてみたところが、「あの子は、旅をする人を親にせんとなかなか思うように、元気はならない。」ということを知らせたので、「それじゃ、旅の人というたら船頭さんから選ぼう。」ということで、それで、御用船の船頭を一同首里王様の前に連れて来て、庭に 置いて、自分の子供には黄金のまりを持たせて、これを投げて当たる人を旅の親として育てたら健康になるということで、まりに祈願をして、子供に投げさせたところが、石川の船頭さんに当たったそうです。そして、もう船頭さんを呼んできて、「自分の子供は体が弱いので、船頭に旅の親になって育てられないと丈夫にならないというから、どうぞ旅の親になってもらいたい。」と、その石川の船頭に頼んだところが、船頭さんも、「ありがたい。こういう首里王様の子供を自分の子供と育てられたら、この上もないことですよ。 」と言ってその人が引き受けて帰ると、その子供はすぐにどんどん子供は元気になったそうです。 で、石川の船頭は、非常に風向きは良くなってこっち帰って、それから沖縄に行くか、どっかに行くのにもう一回港を出て行く途中に、風が強いのでもう波に流されて、昔の唐の南大というところにまで流されておって、そこで、船は失ったからそのまま唐の国で亡くなったら、首里王府様からは、「子供の旅の親だから、あだにはおかれない。」ということで、位を七段上げ、その船に位牌を記念として送ったらしい。それで、石川屋の人は、年に一回は唐の国に渡って、あの船頭さんを祀りをして、今の竹富の美崎原の海岸のにやあるという所の岩にこの船頭を祀っています。 ・石川屋(いしかわやー)‥‥昔、石川家の祖先マツトウジという有名な船頭がいた。ある年、御用船の船頭として沖縄本島へ無事航海した。その頃、沖縄本島の名家の家に大変体の弱い子がいた。親がどうしたら健康になるかと霊感師に聞いたところ、「黄金の毬を作って旅人の集団に投げ、毬の当たったものを親としてその子を育てだせなさい。」という。子どもが投げた毬はマツトウジに当たり、マツトウジがその子を引取り育てると、子どもは健康を取戻した。その子の親は感謝してマツトウジに位牌堂を寄贈した。マツトウジは最後、支那に漂流しそこで一生を終えた。子孫はマツトウジの霊を竹富島北の美崎原にある岩に祀った。『竹富島誌』 |
| 全体の記録時間数 | 2:06 |
| 物語の時間数 | 1:44 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |