雨蛙不孝(方言)

概要

 まあ蛙ですね、ただ一人っ子でありますけれども、あれはもう親不孝な者で、親がどうと言えばこうだ、こうと言えばこうだと言って、親にいつも反対をやっていたから、親は、「自分が生んだ子がこうして親の言うことも聞かない。」と始終もう残念に思っておったらしいです。それで、ある日、親は病気をしてそうとう危篤になったらしい。すると、今度はこの子供を呼んで来てですね、「今度は私はもう年は年で、いつ天国に行くかもわからんから、お前は必ず私の言うことを今度は守ってくれ。」と頼んだらしいですね。そうして、親の思いはですね、これは自分にいつも反対して自分がこうして、上と言えば下、下と言えば上にしているのだから、自分が死んだならば、そのときもこれは反対にするからと思ってさあね、「私の墓は、川原の端に作って、自分の葬式をやってくれ。」と言うたらしい。するとその蛙はですね、「せっかくこうして今まで大きくなってきたけれども、親の言うたことも一度も守ったことがない。今度はもうお父さんも亡くなろうとしているから、今度一度はもう親の言うことを聞いてあげよう。」と思ってね、川原の端に墓地を作ったさあね。墓地を作っておる時に親はとうとう亡くなった。そして葬式はね、もう川原の端に作ってある墓地の中に葬式はしてね、いよいよ葬式もすんできた。すると、帰る途中からはずんずん雨が降って、それが大雨となってですね、その翌日未明にお参りに行ったところが、その墓地は流れてない。それで、子供は、「ああ残念だ。せっかくこの一度だけは親に対する孝行をしようと思ってね、親の言うことを守ったけれども。」と言って、いつも泣とるけども、風の便りかどこからの便りがですね、親は自分の子供が何と言ってもいつも反対だから、川原の端と言えば山に墓を作ってくれると思っていたということが分かったから、それで、蛙は、この雨の降る時はですね、必ず泣くいうこういった昔話が、あるわけです。

再生時間:3:15

民話詳細DATA

レコード番号 47O200058
CD番号 47O20C004
決定題名 雨蛙不孝(方言)
話者がつけた題名 オッタの話
話者名 前野長用
話者名かな まえのちょうよう
生年月日 18920404
性別
出身地 沖縄県八重山郡竹富町字竹富
記録日 19750807
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 竹富町字竹富T39A2
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 動物昔話
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 沖国大国文学科平成8度卒業論文 竹富島の民話 p96
キーワード 川原,墓
梗概(こうがい)  まあ蛙ですね、ただ一人っ子でありますけれども、あれはもう親不孝な者で、親がどうと言えばこうだ、こうと言えばこうだと言って、親にいつも反対をやっていたから、親は、「自分が生んだ子がこうして親の言うことも聞かない。」と始終もう残念に思っておったらしいです。それで、ある日、親は病気をしてそうとう危篤になったらしい。すると、今度はこの子供を呼んで来てですね、「今度は私はもう年は年で、いつ天国に行くかもわからんから、お前は必ず私の言うことを今度は守ってくれ。」と頼んだらしいですね。そうして、親の思いはですね、これは自分にいつも反対して自分がこうして、上と言えば下、下と言えば上にしているのだから、自分が死んだならば、そのときもこれは反対にするからと思ってさあね、「私の墓は、川原の端に作って、自分の葬式をやってくれ。」と言うたらしい。するとその蛙はですね、「せっかくこうして今まで大きくなってきたけれども、親の言うたことも一度も守ったことがない。今度はもうお父さんも亡くなろうとしているから、今度一度はもう親の言うことを聞いてあげよう。」と思ってね、川原の端に墓地を作ったさあね。墓地を作っておる時に親はとうとう亡くなった。そして葬式はね、もう川原の端に作ってある墓地の中に葬式はしてね、いよいよ葬式もすんできた。すると、帰る途中からはずんずん雨が降って、それが大雨となってですね、その翌日未明にお参りに行ったところが、その墓地は流れてない。それで、子供は、「ああ残念だ。せっかくこの一度だけは親に対する孝行をしようと思ってね、親の言うことを守ったけれども。」と言って、いつも泣とるけども、風の便りかどこからの便りがですね、親は自分の子供が何と言ってもいつも反対だから、川原の端と言えば山に墓を作ってくれると思っていたということが分かったから、それで、蛙は、この雨の降る時はですね、必ず泣くいうこういった昔話が、あるわけです。
全体の記録時間数 3:33
物語の時間数 3:15
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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