砂辺の駆け落ち先祖(共通語)

概要

あの人たちは、あんまり定かではないんですが、城(ぐしく)時代だから、第一尚氏時代だという話していましたね、首里城のね、非常に高貴な方の娘さんとですね、同じ位の男の人と親同士が許嫁をしていたそうですけど、その娘さんはその人とは一緒にならないで、非常に身分の低い他の人と恋愛をして身籠もったわけですよ。その当時としてはもうそういうことをしたら、不埒なことをやっているということで、周囲からも変な見方をされて爪弾きされたり、左遷されるというふうな時代だったそうですね。だから、その二人は、首の方にはおられなくて、砂辺の方に逃避してきてね、籠屋洞窟であるか、後見御獄であるかはっきり分からないけど、そのどちらかで、子供を産んでね、砂辺の人たちと仲良くなっていたそうです。籠屋洞窟には、その人達が隠れていたので、身を隠すという意味から籠屋と言うんです。その時にですね、神事をやっているこの砂辺の祝女からですね、村の人に、「もしこちらの方に、侍の娘がいるということになれば親が来て、そしていろいろ罰をされる。だから、これで誰にも言うな。」ってことでですね、また、そこに誰か住んでいるということを皆に知られては大変だということで、そこの籠屋洞窟は、「見ない振りしておけ。トゥンケーランケヨー〔振り向くなよ〕。」と言って、振り返って見ないことになったんです。そして、「男が生まれたら女が女が生まれたようって、また女が生まれたら、これ男ぬうまりとんどーと言いなさい」と言ったので、それがこの部落では、戦後も続いてるんですよ。また、他の部落では、子どもがあの生まれたら酒肴を出して、太鼓なんか叩いて踊りなんかやっていますけどね、砂辺ではそういうことはしないんですよ。砂辺ではごく静かにですね、ブーサーというのをするんです。ブーサーとはジャンケンで、そしてサミーっていうのは指で数え合わせをしながら一つ一つ、二つ二つって。これは数合わせなんですが、三つ三つ三つ、四つ四つ四つ、五つ五つ、グーグーグーってやるんですよ。そうゆう余興をしてですね、子どもの誕生を祝ったというんですね。また、産井戸の水を汲んできて、この誕生した赤ん坊の眉間につけてそして根所の方にお供えして、子どもの誕生を報告てですね、その後だったら余興なんかできたそうです。それから年月が経って娘の親元が砂辺の方にいる分かってですね、迎えに来たそうですよ。そしたらこの子供さんたちは、砂辺の部落の人たちと仲良くしてるもんですから、もう住み慣れたこの砂辺から離れたくないっていうことでですね、「もう絶対に首里にはいかない。」ということで、首里の方に行かなくて砂辺の百姓となって住み着いたっていうふうな、話があるんですよ。だけどまた、他の人達の話では、その歴史家の話では、そうでないと話もある。この人はもう亡くなりましたけど、砂辺の古典音楽の研究会会長なんかやってた方の話では、当時は首里から三司官が村の人達が悪いことをしてないか派遣されて調査しに来たが、その三司官ていう方が来てね、その三司官がどこかの女の方と一緒になったが、それを他の人に知らせないために、籠屋洞窟に隠していたという話をしておりました。だから、籠屋洞窟の話は二通りのあれがありますよ。あの籠屋洞窟は、北谷町の教育委員会の方で調査したら、城時代の遺骨とか、あるいはまた二千五百年前、さらに三千年、五千年ぐらい前の骨が約五百体ぐらいが化石になって出てますけどね。その遺骨は籠屋洞窟の上の方に大きい赤瓦の家が造られて、そこに安置してあります。それで、長崎医大とか、京都大学とか、それから宮崎、鹿児島、沖縄の三大学の医学とか農学部とかの先生方が調査した結果ですね、籠屋洞窟には、三、四回くらいの時代の方々が住んでいたんじゃないかなあっていわれてますね。それでなぜ砂辺のこの籠屋洞窟に、高貴な方が住んでいたと証明できるかと言いますと北谷町の文化財の中村すなお先生という方が各大学の先生方とか研究した先生の話を総合し、また色々調査すると、こちらから出てきた石器時代の石斧とか、あるいはまた貝で作った腕輪とか、翡翠の原石も七点ぐらい出てきているから、その当時こういう高価なものを持っていた人は普通の砂辺の人ではないということで、その話を総合してみますと、駆け落ちをしてきた身分の高貴な方の話や三司官の話ともつながる訳さ。この籠屋洞窟が御獄であるかは分からない。後見御獄の方は大昔からも照神を祀ってるところだね。

再生時間:5:28

民話詳細DATA

レコード番号 47O419185
CD番号 47O41C472
決定題名 砂辺の駆け落ち先祖(共通語)
話者がつけた題名
話者名 与儀正仁
話者名かな よぎせいじん
生年月日 19321112
性別
出身地 北谷町宇砂辺
記録日 19961813
記録者の所属組織 沖縄国際大学口承研
元テープ番号 北谷町T24B01
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 第一尚氏時代,首里城,許嫁,籠屋洞窟
梗概(こうがい) あの人たちは、あんまり定かではないんですが、城(ぐしく)時代だから、第一尚氏時代だという話していましたね、首里城のね、非常に高貴な方の娘さんとですね、同じ位の男の人と親同士が許嫁をしていたそうですけど、その娘さんはその人とは一緒にならないで、非常に身分の低い他の人と恋愛をして身籠もったわけですよ。その当時としてはもうそういうことをしたら、不埒なことをやっているということで、周囲からも変な見方をされて爪弾きされたり、左遷されるというふうな時代だったそうですね。だから、その二人は、首の方にはおられなくて、砂辺の方に逃避してきてね、籠屋洞窟であるか、後見御獄であるかはっきり分からないけど、そのどちらかで、子供を産んでね、砂辺の人たちと仲良くなっていたそうです。籠屋洞窟には、その人達が隠れていたので、身を隠すという意味から籠屋と言うんです。その時にですね、神事をやっているこの砂辺の祝女からですね、村の人に、「もしこちらの方に、侍の娘がいるということになれば親が来て、そしていろいろ罰をされる。だから、これで誰にも言うな。」ってことでですね、また、そこに誰か住んでいるということを皆に知られては大変だということで、そこの籠屋洞窟は、「見ない振りしておけ。トゥンケーランケヨー〔振り向くなよ〕。」と言って、振り返って見ないことになったんです。そして、「男が生まれたら女が女が生まれたようって、また女が生まれたら、これ男ぬうまりとんどーと言いなさい」と言ったので、それがこの部落では、戦後も続いてるんですよ。また、他の部落では、子どもがあの生まれたら酒肴を出して、太鼓なんか叩いて踊りなんかやっていますけどね、砂辺ではそういうことはしないんですよ。砂辺ではごく静かにですね、ブーサーというのをするんです。ブーサーとはジャンケンで、そしてサミーっていうのは指で数え合わせをしながら一つ一つ、二つ二つって。これは数合わせなんですが、三つ三つ三つ、四つ四つ四つ、五つ五つ、グーグーグーってやるんですよ。そうゆう余興をしてですね、子どもの誕生を祝ったというんですね。また、産井戸の水を汲んできて、この誕生した赤ん坊の眉間につけてそして根所の方にお供えして、子どもの誕生を報告てですね、その後だったら余興なんかできたそうです。それから年月が経って娘の親元が砂辺の方にいる分かってですね、迎えに来たそうですよ。そしたらこの子供さんたちは、砂辺の部落の人たちと仲良くしてるもんですから、もう住み慣れたこの砂辺から離れたくないっていうことでですね、「もう絶対に首里にはいかない。」ということで、首里の方に行かなくて砂辺の百姓となって住み着いたっていうふうな、話があるんですよ。だけどまた、他の人達の話では、その歴史家の話では、そうでないと話もある。この人はもう亡くなりましたけど、砂辺の古典音楽の研究会会長なんかやってた方の話では、当時は首里から三司官が村の人達が悪いことをしてないか派遣されて調査しに来たが、その三司官ていう方が来てね、その三司官がどこかの女の方と一緒になったが、それを他の人に知らせないために、籠屋洞窟に隠していたという話をしておりました。だから、籠屋洞窟の話は二通りのあれがありますよ。あの籠屋洞窟は、北谷町の教育委員会の方で調査したら、城時代の遺骨とか、あるいはまた二千五百年前、さらに三千年、五千年ぐらい前の骨が約五百体ぐらいが化石になって出てますけどね。その遺骨は籠屋洞窟の上の方に大きい赤瓦の家が造られて、そこに安置してあります。それで、長崎医大とか、京都大学とか、それから宮崎、鹿児島、沖縄の三大学の医学とか農学部とかの先生方が調査した結果ですね、籠屋洞窟には、三、四回くらいの時代の方々が住んでいたんじゃないかなあっていわれてますね。それでなぜ砂辺のこの籠屋洞窟に、高貴な方が住んでいたと証明できるかと言いますと北谷町の文化財の中村すなお先生という方が各大学の先生方とか研究した先生の話を総合し、また色々調査すると、こちらから出てきた石器時代の石斧とか、あるいはまた貝で作った腕輪とか、翡翠の原石も七点ぐらい出てきているから、その当時こういう高価なものを持っていた人は普通の砂辺の人ではないということで、その話を総合してみますと、駆け落ちをしてきた身分の高貴な方の話や三司官の話ともつながる訳さ。この籠屋洞窟が御獄であるかは分からない。後見御獄の方は大昔からも照神を祀ってるところだね。
全体の記録時間数 5:28
物語の時間数 5:28
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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