謝名親方鄭迥(シマグチ)

概要

謝名親方(じゃなうぇーかた)というお方は、薩摩が琉球に攻めてきた時に琉球の国の戦の総大将であった方である。そして負けますと、千六百九年、尚寧王(しょうねいおう)二十一年、尚寧王と一緒に薩摩に御用になったお方です。その後尚寧王は琉球にお帰りになったのですが、その時の詫びを罰の決め方に反対なされましたので、謀叛人として、後は沸き立っている熱湯に入れて殺すという罰にあたられました。すると、「私は琉球の武士である。釜の側まで薩摩の武将、陸の武将、海の武将の二人をお供に付けろ。」と言いますと、「良かろう。」ということになり二人のお供を連れて釜の側まで行きますと、右と左片腕づつで二人の帯を掴み、二人は自分より先に熱湯に投げ入れて、自分は後から飛び込みますと、三人は大釜の中でぐるぐると廻ったのです。その後、謝名親方は琉球の忠臣として、左御紋は三人が廻っている型で王家の御紋となったのです。その後、謝名親方の子供達三人、男の子がおりますが、三人とも武勇に優れた人達なので、三人で薩摩に仇討ちをするからと首里城(しゅりじょう)に申し出たのです。すると、「薩摩は琉球より大きな国だ、武士も沢山いる。琉球の強者に勝たならば、行っても良い。」という事になりますと、その相手する武士は豊見城(とみぐしく)という武士である。だが、兄弟三人とその豊見城とは同じ師匠の元で武芸を習っているが、兄と豊見城とは二人とも同等の腕前で、誰にも負けないぐらいの強さである。そして、いよいよ、立ち合いの日が近くなると、師匠は未だ誰にも教えていない奥の手、節落としの技を豊見城に教えたのである。節落としと言うのは鍔(つば)を割り、柄を掴んでいる指もろとも切り落とす技であるが、師匠の奥の手だから他人には教えず、自分自身を守る技だが、豊見城を勝たせるために彼一人に教えたのである。そして、いざ立ち合いの日になると、豊見城が馬に乗って出掛けようとすると、妻が、「首巻を忘れていますよ。」と首巻を持ってきますと、馬の尻をたたく鞭を後に差し出して、それで受け取り、自分の首に巻いて出掛けたのである。そして立ち合いになると、次男、三男には勝手切り捨てたのだが、同じぐらい稽古をしている長男とは、ぐるぐる廻りで誰も負けないでいると、それを見ていた師匠は煙管で煙草盆をぽんぽんと二回打って、「節だよ、節。」と言いますと、今まで二人を倒し、三人目は自分と同じ腕前なので、節落としを忘れていたことを思い出して、謝名の兄は鍔と指の節をみな切り落とされますと、その兄は落ちる刀の柄先を、足の親指と他の指の間に挟み、豊見城の喉元目掛けて蹴り投げたのです。だが、豊見城は首巻をしているのでその場を逃れたのです。三人倒したので師匠が降りて来られて、「よくやった、一人前男。」と背を軽く叩きました。すると、そこに瘡(かさ)ができましたが、琉球には初めての瘡で治療法がわからず、豊見城は死亡したとの事ですが、謝名兄弟は修行の面では豊見城より上手であって強かったそうです。それで、本当は合い死にする筈だったそうです。その後、「よくやった、一人前男。」と言われた故に、豊見城家には男の子は一人づつしか生まれなくなり、多くはならなかった、という話である。そして、初めてできた瘡は首里(すい)上国から出た瘡なので、上瘡という名が付いたそうです。また、倒れた三人は天に昇って三つ星となり、謝名親方は七つ星となって、天から琉球の行く末を見守っているとの事です。

再生時間:2:49

民話詳細DATA

レコード番号 47O419001
CD番号 47O41C464
決定題名 謝名親方鄭迥(シマグチ)
話者がつけた題名
話者名 阿波根昌栄
話者名かな あはごんしょうえい
生年月日 19210309
性別
出身地 北谷町
記録日 19960814
記録者の所属組織 沖縄国際大学口承研
元テープ番号 北谷町T17A01
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 謝名親方,琉球の国の戦の総大将,熱湯,左御紋,豊見城家,七つ星
梗概(こうがい) 謝名親方(じゃなうぇーかた)というお方は、薩摩が琉球に攻めてきた時に琉球の国の戦の総大将であった方である。そして負けますと、千六百九年、尚寧王(しょうねいおう)二十一年、尚寧王と一緒に薩摩に御用になったお方です。その後尚寧王は琉球にお帰りになったのですが、その時の詫びを罰の決め方に反対なされましたので、謀叛人として、後は沸き立っている熱湯に入れて殺すという罰にあたられました。すると、「私は琉球の武士である。釜の側まで薩摩の武将、陸の武将、海の武将の二人をお供に付けろ。」と言いますと、「良かろう。」ということになり二人のお供を連れて釜の側まで行きますと、右と左片腕づつで二人の帯を掴み、二人は自分より先に熱湯に投げ入れて、自分は後から飛び込みますと、三人は大釜の中でぐるぐると廻ったのです。その後、謝名親方は琉球の忠臣として、左御紋は三人が廻っている型で王家の御紋となったのです。その後、謝名親方の子供達三人、男の子がおりますが、三人とも武勇に優れた人達なので、三人で薩摩に仇討ちをするからと首里城(しゅりじょう)に申し出たのです。すると、「薩摩は琉球より大きな国だ、武士も沢山いる。琉球の強者に勝たならば、行っても良い。」という事になりますと、その相手する武士は豊見城(とみぐしく)という武士である。だが、兄弟三人とその豊見城とは同じ師匠の元で武芸を習っているが、兄と豊見城とは二人とも同等の腕前で、誰にも負けないぐらいの強さである。そして、いよいよ、立ち合いの日が近くなると、師匠は未だ誰にも教えていない奥の手、節落としの技を豊見城に教えたのである。節落としと言うのは鍔(つば)を割り、柄を掴んでいる指もろとも切り落とす技であるが、師匠の奥の手だから他人には教えず、自分自身を守る技だが、豊見城を勝たせるために彼一人に教えたのである。そして、いざ立ち合いの日になると、豊見城が馬に乗って出掛けようとすると、妻が、「首巻を忘れていますよ。」と首巻を持ってきますと、馬の尻をたたく鞭を後に差し出して、それで受け取り、自分の首に巻いて出掛けたのである。そして立ち合いになると、次男、三男には勝手切り捨てたのだが、同じぐらい稽古をしている長男とは、ぐるぐる廻りで誰も負けないでいると、それを見ていた師匠は煙管で煙草盆をぽんぽんと二回打って、「節だよ、節。」と言いますと、今まで二人を倒し、三人目は自分と同じ腕前なので、節落としを忘れていたことを思い出して、謝名の兄は鍔と指の節をみな切り落とされますと、その兄は落ちる刀の柄先を、足の親指と他の指の間に挟み、豊見城の喉元目掛けて蹴り投げたのです。だが、豊見城は首巻をしているのでその場を逃れたのです。三人倒したので師匠が降りて来られて、「よくやった、一人前男。」と背を軽く叩きました。すると、そこに瘡(かさ)ができましたが、琉球には初めての瘡で治療法がわからず、豊見城は死亡したとの事ですが、謝名兄弟は修行の面では豊見城より上手であって強かったそうです。それで、本当は合い死にする筈だったそうです。その後、「よくやった、一人前男。」と言われた故に、豊見城家には男の子は一人づつしか生まれなくなり、多くはならなかった、という話である。そして、初めてできた瘡は首里(すい)上国から出た瘡なので、上瘡という名が付いたそうです。また、倒れた三人は天に昇って三つ星となり、謝名親方は七つ星となって、天から琉球の行く末を見守っているとの事です。
全体の記録時間数 3:34
物語の時間数 2:49
言語識別 方言
音源の質 ×
テープ番号
予備項目1

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